荒俣宏、インターネット荒野への旅

(雑誌『編集会議』の連載対談まるごと版)

第1回 いやあ、どうもこんにちは。


[前口上の巻]
さあ。インパクがはじまりました。
その、ひと月くらい前に、インパクの編集を
コアにやっているふたりが、対談をしたんですよー。
荒俣宏さんと、darlingです。

そこで・・・。
雑誌「編集会議」での対談時のテープだけをもらって、
「ほぼ日」のわたくし木村が勝手に編集をして、
新春特別企画としてお届けしようということになりました。

さっそく、読んで欲しいのだぜ。ほほえめるよー。

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糸井 いやあ、こないだはどうも。
こんな暮らしだから、
最近は、しょっちゅう会っていますけど・・・。
(※インパク準備中による頻繁なミーティング)
ただ、荒俣さんがウェブに夢中になっている、
ということを聞いたのは、わりと最近なんです。

荒俣さんと言うと、ぼくのなかでは、まあ、
グーテンベルクの申し子みたいなところがある。
荒俣 ええ。
糸井 あれだけこう・・・何て言うんだろう?
ほとんど、フェティシズムに近いような感じで
本を愛してきていた人でしょう?

そんな人が、インターネットに関して
かなり強い興味を持っているとうかがいまして、
そうやって、本を愛しながらも
インターネットが好きな人もいるんだよなあ、
という感想を、それ聞いた時にはまず持ちました。

一般的な話をすると、ひとつフェチがあると、
それ以外を否定する感覚があるじゃないですか。
ひとつのパイを分割するような、
ゼロサム的な世界に入りがちで・・・
荒俣 はい。
糸井 でも、荒俣さんがインターネットにのめりこむ
その自由さを聞いたら、
ものすごくうれしくなりました。
その自由さがあっちこっちにあったら、
もっと、本の世界にもウェブの世界にも
いいんじゃないかなあと思っているんです。
メディアの分類の垣根を超える代表者として
荒俣さんのことぼくは見ているんだけど・・・
パソコンへの抵抗は、なかったでしょうか?
荒俣 おおもとのところから話しちゃいますけど、
本が好きというのは、
もうそれこそ子どもの時からで、
あの「ブック」というかたちが
いちばん大好きで・・・。
だいたい、それを抱いて寝ていたくらいですので。
糸井 (笑)そんなに、好き!
荒俣 買った本があると、うれしくて抱きました。
・・・ま、ふつうの人は18歳くらいになると
女の人を抱いて寝るようになるんですけれども、
私は、その・・・ず〜っと、本を(笑)。
糸井 わははは。
荒俣 なんかだいたいその頃のぼくは、
「三歳にして心朽ちたり」
という中国の熟語が、とても好きで・・・。
どうせ世の中なんて大したことはないのだから、
せめてくだらないことに拘泥して生きていこう、
という一種のあきらめの境地があったんですね。
糸井 (笑)ほおー。おもしろくなってきたっ。
荒俣 それが好きで、そのあきらめの境地に達さないと、
なかなか本を愛したり買ったりできないんです
よ。
と言うのは、本よりおもしろいことなんて、
どう考えても世の中にはいっぱいあるのですから。

僕が本読んでる時、みんなはスポーツをやったり
連れ立ってハイキングに行ったり、合コンしてる。
そいつらのほうが、そりゃあ絶対楽しいと思う。

そこであえて本にこだわろうとすると、
西行や芭蕉のような心境にならないと、
なかなか、そうは思えない(笑)。
糸井 「朽ちたあ」と思わないと。(笑)
荒俣 そう。
「朽ちた」って思わないと・・・。
特に、本フェチみたいな人が
本を買おうと古本屋に行くと、だいたい高いし、
2万か3万だみたいな本を買う時は、
もうこれは、大変ですよっ。
糸井 いやあ、命がけですよねえ。
荒俣 (笑)はい。もう命がけ。
その時にまわり見わたせば・・・
2万か3万くらいあったら、それこそ、
どっかでおいしいものが食べられたり、
教習所で車の運転をできたりするじゃないですか。
糸井 うん。
荒俣 そういう使いかたに比べてみると、
本を買うよりもそっちのほうが、
絶対いいに決まってるんですよ。

本を買って、ただ自分が喜んでいるだけで、
両親はぜんぜん喜ばず
に、しかも、
「こんなにすごい本持ってるよお」
って見せたって、女の子は絶対に寄ってこない。
糸井 ははは(笑)。寄ってこないですね。
荒俣 そしたら、運転免許を持ってる男の方が
絶対に効率いいわけです。
そうなると、そこで本を買っちゃう自分に
どうやって言いわけをするかと言うと、ですね。
「持ってたものがスリにすられたと思って」
「悪い女にだまされたと思って」
「火事になって家が燃えちゃったと思って」
・・・で、買おう!というようなところで
だんだんエスカレートさせて、
自分をなぐさめるしかなくなるわけで。
糸井 あははは(笑)。いいなあ、それ。うん。
荒俣 そういう言い訳が最後はとうとう年代を超えて、
「第二次世界大戦に遭遇して、
 東京空襲に遭ったと思って、この本を買おう」

と自分を言いきかせていたんだけど、
そのへで小松左京が『日本沈没』を書いたから
これはちょうどいいなあと思って、
「小松左京の言うとおり日本が沈没したと思えば、
 何を買ったって、ぜんぜん惜しくないぞ」と。
隣の人間がモテて、こっちがモテてなくても、
どうせ日本が沈没しちゃったら、
どちらに転んでもおんなじだ・・・(笑)。
糸井 (笑)そうですよ!
荒俣 で、そう考えて本を買うようになったり、
本にこだわるようになっていったので、いつしか
「いろいろなものを諦めて本を買う」
という仕組みになっていったんですけども、
そうやって集めていたら、
ひどいことがわかっちゃったんですよ。
糸井 え? 何ですか?
荒俣 世の中の本は、だいたい、
そんなに大したものがない
というのが
わかっちゃったんです。これはコワい。
糸井 おお! 
その世界に入ったあとでまた戻っちゃったんだ。
荒俣 これがコワいところで、以前は
芥川龍之介の初刊本なんか喜んで買ったけれども、
実はそんなのは大したことがなくて、
その前に出たものとしては、
もっといい本がぞろぞろあるし・・・。

海外に目を向けたら、目の玉の飛び出るような
いい本もあって、で、やっぱりまあ、そういうのを
どんどんエスカレートして買うじゃないですか。
糸井 (笑)やっぱり、買う!
荒俣 そうしたら、そのうちにだんだんだんだん
そーいうことがバカバカしくなっていって、
「本をこんなに集めていって、
 いったい何の役にたつんだろうか?」
というある種の無常感みたいなのが出るんですね。
糸井 ええ・・・ついにそこまで(笑)。
荒俣 (笑)そのために、まあ・・・長い道のりで。
生きている時の彩りだとか楽しみだとかを
捨ててきたことの代償としてわかったのが、結局、
「自分が集めていたものは大したものじゃない」。
糸井 (笑)
荒俣 極端な話をすれば、本のことを考えてみると、
一番残る本って、粘土板なんですよね。
糸井 そこまで!(笑)
荒俣 メソポタミアの奇形文字で作った粘土板を
天火で焼いたものは、まあ何万年も持つけれど、
紙になると耐久年数が「数百年」になって、
更に酸性紙になると100年持つかどうか・・・・。
CD−ROMになると20年かそんなもんになるとすると、
ハードウエアとしての本は、どんどん
だめな方向に行っているわけです。
糸井 なるほどー。そうか。
おもしろいなあ、それ。
もっと言ってえ!(笑)。

(※あのう、まあ。
  開催中のインパクの話とは
  あまり関係ないですけども、つづきますよお。
  いやあ・・・そのうちに関係してくるんだって!)

2001-01-01-MON

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