雑誌『編集会議』の連載対談
まるごと版。

2.田坂広志さん篇。

第9回 魂でものを語る


田坂 もともと、身体の知のほうが深いんですよ。
身体を使って智恵をつかみ取れていない人は、
大体、話が浅いんです。
本をたくさん読んでいる人、
本だけで知識を身につけている人が、
一番危ないんですよね。
糸井 ガリ勉すれば一年でできることを
俺たちにいくら言ってもだめだよ、
と、ぼくは言うんですよ。

スポーツ選手たちは、それとは逆で、
ヒントを山ほど持っていますね。
負けることを知っているから、謙虚。
勉強家たちは、負けたことがない人が多い。
田坂 勉強家たちは、負けても、
ある幻想にうまく入りこんでしまうんですよ。
糸井 「あいつら、あそこでズルやった」
と言っている限りは、だめなんですよ。
田坂 スポーツのように
結果がはっきりしてしまうものは、
人間の精神を深めるんですよね。
辛いけれども認めざるを得ない、
そこから立ち直るしかないのは、
精神的にはかなりの修練なんですよ。

私の友人に、ボート部のコーチがいますが、
彼にとって一番つらいのは、負けたあとに
「さあ、もう一度頑張ろう」
と練習をはじめるまで精神を回復するのが、
ものすごく大変だと言うんです。
糸井 うわ、いいですねえ。
田坂 これは、すごい深みですよね。
ビジネスはみんな共同幻想で、
最後は「うちの会社は・・・だから」とか言う。
だけど、スポーツはやはり結局最後は
自己責任が非常に明確なかたちで出てくるから。

『きけ、わだつみの声』という本を読んでも、
22歳くらいの青年が学徒出陣して
1年後に23歳ぐらいで死んでいるんです。
しかし、22歳の青年たちなのに、
書き残した文章には、ものすごい深みがある。
22歳ぐらいでも、あの世界に入れるというのは
歴史的な事実としてありますね。
かと言って、戦争をやるべきだとは思いませんけど。
糸井 当時、戦争にあたる、
豊かさを阻害する要因があったんですよね。
今はそれを意識的にやる必要がある。

近代人がもてあましている体という肉の袋を、
意識的にトレーニングすることで、
プリミティブなものを
取り戻すことが必要であるように、
何か壮大な理由のあるゲームをやって、
戦争にあたるような飢餓を
自分のなかに植えこまないと、
人間として十全に生きられないんじゃないか。
田坂 おっしゃる通りですね。
糸井 今のビットバレーの人たちの話は、
噂でしかきかないけど、
中にはおもしろい奴もいるだろうと思います。
「おもしろい奴なんて、ひとりもいないよ」
なんて噂があるけど、
すごいストレスがあそこにかかっている限りは、
今はいなくても、生まれるんじゃないかと。
つまり、女の子にもてたくて
ギターをはじめたやつらが
世界的なバンドになることもあるので、
俺はそこのところを、もう少し期待したい。

年寄りがさんざん色々なことをして、
結局は何が欲しかったんだろう?という話を
ききたがるような人が欲しいですね。
つまり、10年遊ぶ方法は誰でも考えつく。
でも、50年60年と生き生き遊ぶ方法を考えるのは
すごくむつかしいんですよ。

既にやってきた人たちは、
「あのときの自分は間違っていた」
ということまで含めて話せるじゃないですか。
物と地位にしかゴールがないなら、
やはり脆弱でつまらなくなりますよね。

賭博にしてしまうといけないと思うんです。
冒険と賭博は大違いですから。
冒険は命を張っている。
だけど、賭博は、すっからかんになることで。
田坂 今おっしゃったことはすごく重要なことで、
つまり、「プロセス」と「目的」の
転換をしなければいけないと思います。
億万長者になるのが目的なのではなくて、
設定した目標に対して徹してゆくこと
そのことそのものが目的なんだ、という価値観を
持ちこむべきだと考えているんです。

糸井さんの時代の言葉で、古い言葉だけど、
「力及ばずして敗れることは辞さないが、
 力尽くさずして挫けることを拒否する」
というのは、いまだに結構好きで。
勝てば官軍、というだけのビジネスからは、
あまりいいものは出てこないと思うんですよね。

最近、ダイエーの中内功会長との
ご縁を頂いたのですが、
このあいだの日経新聞に書かれた
「私の履歴書」の最初の部分、
すごいセリフですよね。
「戦争中に、勇敢な仲間は
 みんな死んでいったけど、
 自分は勇気がなくて生き残った。
 その思いが、
 今も私にこの道を歩ませている・・」
戦争が終わって半世紀をこえても、
中内さんは戦争で死んだ仲間に対して
俺はこういう生き方をしている、と頑張っている。
好き嫌いに関係なく、感動しました。
糸井 今、中内さんはおもしろいですね。
やっぱり魂の言葉じゃないですか。
理(ことわり)じゃなくて、魂じゃないかな。
田坂 魂でものを語れる、数少ない経営者だと思います。
稲盛さんもそうですね。
ベンチャーをつくるときに
血判を押したくらいだから。
私は「古い」とか、
「巨人の星みたいだ」とか批判せずに、
そういう生き様も認めてみたらいいのでは、
と思うんですよね。

私、人間は「原体験」で生きられると思います。
私もそういうなかのひとりなので、
ひとつの原体験で、
50年の歳月を歩めると思っていますよ。

古来、名経営者として成功するためには、
3つの体験が必要だという名言があります。
1つが投獄、1つが戦争、1つが大病なんです。
そうい生きる死ぬの体験をしていない限り
名経営者にはならないということなんですけど。
ところが今は、3番目はあるかもしれないけど、
投獄されても死ぬことはないですし、戦争もない。

だから、もう今は人間を極限状況に置いて
ビジネスにかりたてていくような要素はない。
それに対しての新しい発想が必要なんだろうと、
これが私自身のテーマでもありますね。
今の学生さんにこういうことを言っても、
伝わりにくいとは思うのですが。


(つづく)

2000-06-24-SAT

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