雑誌『編集会議』の連載対談
まるごと版。

2.田坂広志さん篇。

第6回 ちょっとした揺らぎで、大きな差が生まれる


糸井 どの場面にも通用する通行手形を持っている、
というのが、今の人間の最高の地位だと思います。
神のかたちが変わって、等身大になった。
つまり、大衆がもっと自分を
愛せるようになったということだと思う。
エレファントマンの骨を買うとか、
ディズニーランドを貸しきりにするとか、
そういう伝統芸みたいな「スターのかたち」は、
まだあるのですが、あとはどれだけ
平気でスーパーマーケットに行けるか、
というのがほんとの自由で。
・・・ジョン・レノンが道で殺されたときに、
かっこいいひとの象が大転換したんですよね。

スーパーマーケットに行けないだとか
防弾ガラスのある車に乗らなければいけないと、
もう自由がないんですよ。
それだけでかわいそうだなと思います。
田坂 精神の進化を、
わたしは鏡の進化だと言っています。
精神は、自分を何かに映しだして、
いろいろなことをイメージしながら
変わっていくように見えるんですよ。
インターネットは、その壮大な鏡だと思います。
糸井 ああ、おんなじことを考えてた。
鏡なんだよ。
インターネットがないと、
自分を見えなくなってきてる。
田坂 意識だけではなくて、無意識も
そこに全部うつしだされてくるような気がする。
いろいろなひとが多重人格的に、
男になったり女になったり
嘘をついたり演じたりという世界に、
人間の無意識が集まってきますよね。

ウェブ上の情報は、勝手に動くから、
「こんな風にやってやれ」というような
誰かの操作は、通用しないじゃないですか。
生命力を持ってすごいことが起きてきます。
ウェブには、心の生態系が生まれてくるんです。
それは、まだ誰も理論化していないし。
糸井 フィールドワークからしか
見えてこないタイプのことですよね。
田坂 ポケモンについて中沢新一さんと対談したときに、
鋭く「ポケットの中の野性」を論じていました。
ウェブの中にも、何かあるんですよ、野性が。
糸井 ポケモンは早い話が駄菓子屋の楽しさですよね。
楽しさの比喩が、昭和30年代にあるんですよ。
テレビ以前の世界にあったもので、
「あれは、何で楽しかったのかなあ?」
と現世に戻してみると、
いつの間になくなっているものが
けっこうありますよね。
夕涼みするパンツ一丁のおじさんとか。

あったものがそんなになくなった以上は、
どこかで無理して消したな、とぼくは怪しむ。
夕涼みのおじさんにあたる何かが、あるはずだ。
東京オリンピックあたりを
対称軸のまんなかに置いてぴたっと重ねあわせると、
足りなくなったものが
全部きれいに見えてくるんじゃないか・・・
ずっと前から考えていたわけじゃないけど、
ぼくのやっていることは、
そういうことばっかりだったなあと思うんです。

前に、吉本隆明さんと、
「魂の部分は変わることがないんだ」
という話をしました。
魂という言葉を使ってしまうと、
今のひとたちは嫌がったりするんだけど。
早い話が変わっていることは枝葉の部分だと。
枝葉ではないところに対するリスペクトが、
もっと必要なんだと思います。
「あの人が好き」「あの人じゃなくてこの人」
というようなことは、変化しないのだろうと。

クリエイティブの生み出し方や受け取り方は、
ものすごく様変わりするように見えるけど、
実は9割8分はおんなじで、
2分だけの違いが大きく見えるんじゃないか。
例えば10年前の服と今の服は、
変化としては小さいんですけど、
イメージとしては10年前の服を着ていたら、
「何、あのひと」とどよめきが大きくなる。
田坂 ちょっとした揺らぎで全体が変わっていってしまう、
それがインターネットの世界だと思います。
「神は細部に宿る」ということです。
ほんのちょっとの違いで、大きな差が生まれる。
だからこれからのプロは、
変人扱いされると思うんですよね。
「あの人、どうしてあんなことにこだわるの?」
「神経質じゃない?」
そういうタイプのひとが、大きな波をつくるのです。
糸井 「クレイジー」という言葉を、
マスメディアを使って
自分の企業のスローガンに入れたアップルは、
やっぱりすごいと思う。
ガンジーであったりアインシュタインであったり、
あれは接合点としては、もう最高ですね
---- 「クレイジーな人たちへ」と言われて、
消費者もよろこぶ。
糸井 俺たち昔から、ほめ言葉は「ばか」だった。
いいやつを見つけた、と誰かに説明されるときに、
「こいつ、こうでこうで・・・・ばかなんだよ!」
と言われたら、「会いたいねえ」と。
1回、コピーでも使ったんです、
「本読むばかが、私は好きよ。」というの。

・・・あのさあ、お互いに、
ぼくはコピーライターとしての
自己否定みたいなことばっかり言ってるし、
田坂さんはマーケッターとしては、
全部自己否定的な類推をしていますよねえ。
笑っちゃいますよね。
田坂 やっぱり、そういうもんなんでしょうね。
どんな分野でも、ある程度まで行くと、
それと逆の世界が見えてきちゃうのでしょう。
シンクタンクと言うと、すぐに
調査、予測、評価、と言うけど、もう古い。
分析もコントロールもできないと思います。
アラン・ケイの言う
「未来を予測する最良の方法は、
 それを発明することである」
というようなメッセージがすごくいい。
糸井 かっこいいですよね。
田坂 それをやってみたい。
糸井 あのひとたちの発言って、びりびり来ますね。
田坂 ほとんど宗教を超えていますね。
あれくらい強いメッセージ、ないですよ。
糸井 「どっちにするかを、お前が決めるんだよ」と。
田坂 複雑系とか散逸構造とかを勉強してみたときに
すごくよくわかったのは、
「ああ、未来って、決まっていないんだ」
という当たり前のことなんです。
ただ、我々は、
未来が決まっていたら怖いなあと思いつつ、
やっぱり決まってて欲しいと思うところもある。
決まっている未来をわかるんじゃないか、
と思いたくなるから、占いがあるわけで。

ところが、ニーチェを含めて
基本的に人類が持つべき一番深い思想は、
未来が解放系で、何も決まっていないということ。
すごく根本的なメッセージですよね。
マーケティングにおいても、そう思うんです
だから、市場調査とかそういう、
人間の魂の弱さをさらけ出した
やりかたはやめるべきだ、と言いたくなる。

ディープインタビューが、
流行りだしているでしょう?
最近、ほっとしているんです。
3万人調査したとか、
母集団を誇る話でもないでしょう、と。
そこを、ディープインタビューで
ひとりの消費者に徹底的に聞きましょうと、
それは実は深くきくことに意味があるよりも、
きく人の人間力が問われているんですよね。
糸井 そうやってきくのが、ぼくは楽しいんです。
思ってもみなかったことをきくのが、
一番おもしろい。

「今コップが目の前にあったとします。
 名前もついていないんですよ。
 今までのコップを考えないで、
 わあ、素敵だなあと思ったコップが、
 そこにあります。どんな形をしてますか」
そうきくのは、遊びとして楽しい。
使い手がこう考えているというのを、
ぼくは、ひきだしてあげたいんですよね。

「誰が総理大臣になると思いますか」
という選択肢の幅の小さすぎるものではなくて、
「あなたの前に素晴らしい総理大臣がいます。
 どんな顔をしていますか」
ときいたり。
ただ、これはお金にはならないですね。
3万人集めたほうがビジネスになる。
おそらく田坂さんにも、
そういう問題が目の前にあるでしょう?
田坂 そうなんです。

(つづく)

2000-06-18-SUN

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