雑誌『編集会議』の連載対談
まるごと版。

2.田坂広志さん篇。

第5回 ビジネスの本質が、癒しになってきている


田坂 20世紀の後半からずっとそうだけど、
ビジネスの本質は、もう「癒し」になっている。
衣食住だとかは、
とっくの昔に全部満たされているから、
今の人々は、商売やサービスを通して
自分の癒しに向かうひとが、増えていますね。、
糸井 文豪の家に書生がいたとか、
蔦谷重三郎の家に十返舎一九がいたとか、
ああいう形が、今後は出てくると思います。
十返舎一九は事業計画は立てられないけど、
傍にそれが仕事になるとわかるひとがいて、
例えば、わけのわからない写楽という奴に、
「ちょっとお前、これ描いてくれ。
 だめでもともとだ、わっはっは」
って言ったら、化けちゃった、みたいなものが。
田坂 その通りです。
それが今の、エンジェル
(ベンチャー企業にお金を提供する人々)
と言われる人の構図だと思います。
糸井 ・・・そういうはず、ですよね。
田坂 アメリカのエンジェルは、
3億貸してあげようとやっているわけですが、
必ずしもぼろもうけしていない。
彼らはもう何千億ともうけてしまったので、
若い奴に数億あげるのは、
そんなにたいした話ではないのです。
何のためにやっているかと言えば、
「やってみたまえ」としゃべって、
時折その若い彼らを呼んで、
「いいか、ビジネスってのは・・・」
「俺が若いときにやったビジネスは・・・」
つまり、これも癒しなんです。
糸井 自分への。
田坂 はい。
もちろん、エンジェルたちにも
ある程度の計算はあるけれども、
単純にお金をもう何倍も増やしても仕方がない、
天国まで持っていけるものではないんで。
エンジェルたちにとって、
若い人は、かつての自分の姿なんです。
俺もエンジェルに救われて、こういう今がある、
お前も・・・と、癒されていますよね。
パトロンになるということは、
とても精神的なものだと思います。
糸井 そうですね。
田坂 ベンチャーをやる理由として、
お金もうけだけだとしたら、
決して効率のいいものではありませんよ。
結果として成功していますけど、

シリコンバレーでも何でも、
失敗している数のほうがずっと多いです。
死々累々のなかから成功例が出てくるのですが、
そこでの価値の本質は、
成功することではなくて、
とにかくチャレンジすることだと思います。
自分の夢を実現しようと、
動き出すことですよね。
糸井 自己実現をした自分をどこに置くかが
今まで日本では問われにくかった。
「フェラーリ、六本木のお姉ちゃん、億ション」
この三種の神器を、これは要らないと
言えてきちんとやれている人がいれば、
きっとアイデアはいいんじゃないかと思います。
田坂 そういう意味で、今、欠けているのが、志。
糸井 それそれそれ。
田坂 シリコンバレーの友人と話していて思うのは、
けっこう志を持っているということです。
ビジョンというか、明確な何かを持っている。
日本はそれよりもすぐに
フェラーリのほうに行ってしまうので、
これも日本の貧しさだと思います。
糸井 やはり、宗教が「お金」になってしまった、
実際には「金教」が一番布教されていた。
ということなのでしょうね。
批評眼は高まっていて、
チェックリストのつくり方は、
みんなが勉強していたんだけど・・・
「金教」に対して、
はっきりと提案できるひとがいなかった、
というのに日本の哲学の貧困を感じます。
田坂さん、何年生まれですか?
田坂 1951年です。
糸井 俺はちょっと上で、
学生運動のさなかにいたわけです。
あれは、野党精神みたいな話なんだけど、
先輩の顔つきを見て、
「こいつらが、えばるんだろうな」と感じて、
ああ、もうほんとに辞めよう、と思いました。
あんな性格のやつが、
あんなことをするんだろうな、
そう思うと、ただ単に、
権力志向が反対になっただけのような気がして。
相変わらずいつでもパワーが軸になっていて、
フェラーリを買えるひとの順番を変えるような、
それが苦しいんです。
・・・さっきの、
「部長、お疲れさま」というあたりに、
極端に言うと、俺の人生の目的があるのかなあ?
田坂 お金の使い方は、使う人の人間的な力が
すべて出てしまうと思います。
お金というメディアを通じて、
他の人に影響を与えていくから、
おっしゃった部分はすごく重要ですね。

昔「あまりイトイを信じるな」と、
糸井さんがおっしゃっていたでしょう?
あれはすごく正しくて、あるカリスマに
自分をアイデンティファイしたいという気持ちが、
ファンの中にはあるのですが、
それは実は結構病的なんですよ。

クリシュナムルティという宗教家が、
「あなたのほかに、
 いかなる権威をもつくるべきではない」
という名言を残しています。
なぜ、自分以外に権威を認めて、
そこに自分をアイデンティファイして
擬似的な権力をもとうとするのか、
あなたはそのままでもう十分に満たされていて、
それだけで完全じゃないか、と。

誰かのファンになる必要も、
自分のファンをつくる必要もないという
その価値観が、21世紀には重要になるでしょう。
インターネットは、それを可能にする
インフラをつくっているような気がします。
糸井 今は、ひとりも信じなくても、場が持てる。
それがすごい光なんです。
ぼくは昔に「信じるな」と言った一方で、
「立候補しないやつに、票は入らない」
とも言いました。みんな、負けるのが嫌なので、
「これをやってみたいです」と言わないんですね。
自分も、もともとはそういう人間でした。
立候補しないくせに、
票が入ってくることを待っていたんです。
でも、票は入ってこない。
早い話が、ぼろぼろの負け戦になる。
ぼくの今までの歴史は、
他人が何と言おうが、負け戦の歴史ですから。

そこで、
「あ、俺、我慢しなきゃいけなかったなあ」
と気づいたんですよ。
パワーがゼロでは、戦えないんですね。
自分に2もあれば「相手の力×2」で相手が喜ぶ。
2を持つためには、我慢をするべきだと思った。
インターネットという世界で、
生まれてはじめて立候補したんですよ。

立候補するために言わなければならない
「俺はすばらしい」という言葉を、
「ほぼ日」という代理の自分を立てたので、
言えるようになったんです。
「場がすばらしい」と言うだけだから、
読者をほめているだけで、ぼくは影でいられる。
前に出て矢が刺さる役はしなければいけないけど、
「俺ってすばらしい」を言わなくてよかったので
はじめて立候補ができました。

「俺を信じるな」
「立候補しないやつには票が入らない」
このふたつを、ネットで矛盾なく接合できた。
それは、うれしいですよ。
パワーのないところには、雑誌も
「何か書いてください」
とは言わないですから。
最小ロットのようなものです。
クリシュナムルディーにしても、
信者がいたからこそ言葉が伝わるわけで。
田坂 なるほど。
糸井 そういう、実はわかりきった矛盾みたいなものを
ちょっとは引き受けないといけないんですよね。
ミディアムリターンというのも、その考えです。
たぶん、父親の政治なんですよ。
おいしくないお母さんの料理でも、
子供が「おいしくないよ」と言えば
「黙って食え」と言う。
実は、そこで自分を偽っているわけです。
自分もおいしくないと感じているから。
でも、それを言う役をすることが、
1か2かのパワーを行使することだと思う。
僕の美意識としては言ってはいけないんですが、
ちょっと歳を取ったので、
「黙って食え」という役をできるようになった。
このずるさが、うれしいんです。
人の生きる道として正しいという気がして。

(つづく)

2000-06-16-FRI

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