雑誌『編集会議』の連載対談
まるごと版。

2.田坂広志さん篇。

第2回 操作主義という病


田坂 私が今、心配しているのは、
マーケッターが100人いると、
99人くらいが、操作主義に陥る点です。
糸井 なります。嫌いです。
田坂 なるでしょう?
操作主義のひとは心構えとして、
「消費者がこう考えて欲しい」
と思うのです。もう一歩進めて言うと、
「こういう風に考えさせてやろう」
という風に、走ってしまうんです。
操作主義のひとの使う言葉は、
それがどんなにエレガントなものであっても、本音は、
「あいつにこのように感じさせてやれ」
というものです。
これは現代の病だと思います。
糸井 病ですね。
相手を人格として認めていないほうに、
必ず行くわけですから。
マーケッターがうれしそうに
「俺が黒幕なんだ」言っているけど、
それは磁石に砂鉄を集めているようなもので、
「砂鉄にだって、意志があるんだぞ」
と言いたくなる。
集まったことで何かを生むかもしれない、
という期待はありますけど、
今のマーケッターブームには、
田坂さんがおっしゃった通りのいやらしさがある。
田坂 それだけは批判しておきたかったので、
『生命論パラダイムの時代』
という本を書いたんですよ。
我々は、無意識に
機械論パラダイムの発想を持ってしまいます。

ちょっと操作すると、
車を時速200キロで飛ばせたり、
きっちり精度よく印刷できたり、
機械文明が願望を思うままに実現してくれるから、
ひとは、無意識に世界を、
機械だと思いこみたくなるんですね。
そこで、目の前にいる人間に対しても、
「うまくこいつを操作してやろう」
と思ってしまう。

最近のマーケティング論に出てくる言葉で
正直に言って私が批判的なのは、
「ワン・トゥー・ワン・マーケティング」、
という考え方なんですよ。
セス・ゴーディンは華々しく、
「インターネットによって、
 企業は極めて安いコストで、
 多くの消費者と対話することができる」
と書いていますが、私はこういうことを聞くと、
プロレスのデストロイヤーを思い出します。
彼の「四の字固め」は痛いけど、
ぐるっとひっくり返ると
彼のほうが痛くなってしまうんですよ。

セス・ゴーディンの考え方も言葉を逆にすれば、
「インターネットによって、
 消費者は極めて安いコストで、
 多くの企業と対話することができる」
となり、「ワン・トゥー・ワン・ショッピング」が、
これから可能になるのです。

実際に起こることは、企業の操作主義を
ひっくりかえしてしまうと思いますよ。
だから、今起こっていることは、
企業からすると、ものすごく怖いことです。
顧客が「差し値」で買うわ、
中古品が新品と競合するわ、
マーケット上で商品の評判を語りあうわ、です。
インターネット革命が生み出していることは、
企業の操作主義をぶち壊していると思います。
糸井 この話の延長線で言うと、今まで通りの
ダンピング競争になってゆくのが目に見えている。
つまり、クリエイティブが何もないところで、
何に飢えているかわからないひとたちに、
めちゃくちゃに安いものが、
へとへとになりながら売られてゆく。

消費者は、めちゃくちゃに安いものを
へとへとに売られていても要らないから、
もっとそっぽを向いてしまう。
そうなると、もっと安くなる・・・
こうなったら、しわ寄せは生産現場に来る。
田坂 このあいだ花王の会長の
常盤さんと対談したのですが、
あれほどコスト競争を徹底的にやる花王の
元経営トップが、あっさりと、
「コスト競争に巻きこまれたらあきまへん。
 コスト競争は勝者なき戦いだから。
 勝つのはお客さんだけなんです。
 だから、あれはやってはいけない」
と言っていました。

もともと商人の心意気は、
「高い値段だったけどよかった。後悔していない」
と言わせてなんぼだと思います。
新しい付加価値に向かわずに
どちらが人件費が安いというような話をするのは、
ビジネスマンとしては、能のないことです。
適正なレベルでのコスト削減は
当たり前にやることだけど、お客さんが
「思わず財布のひもがゆるんじゃった」
と言うような世界をつくれるかどうかが、
ビジネスの進むべき方向だと思います。
糸井 本当にひどい目に遭わないところで
バランスがやっと取れているのは、
ぼくの仮説なんですけど、
消費者が別の場面では
生産者をしているということだと思います。

ぼくらはウェブで毎日発信しているのですが、
読者が書いてくることが、
たまに、筆者を超えているんです。
その気分は最高ですよね。
どっちも無料だから、最高の競争ですよ。

「腕に自信のあるかたは、腕相撲しましょう」
というもので、高いレベルで安定してくる。
「ぼくはプロだから、おもしろいに決まってる」
といって書くひとの原稿は、
数字で言っても、がちゃんと落ちてくる。

必ずネタがあるとか、ニュースがあるとか
アイデアがあるとかにしないと、だめなんです。
読者のメールは編集部でしか読んでいないですが、
「この筆者、読者に超えられちゃってるよ」
というときがあるんです。

あるいは、企業から頼まれてアンケートを採ると、
その答えが、彼らが何億と使っている調査より、
ずっと役に立ったりするわけです。

この、筆者と読者の質の混交。
これこそが、新しいカオスだと思うんです。
売り手でも買い手でも送り手でも受け手でも、
どれでもないところで、遊んでいる。
つまり、プレイだと思うんですね。
このプレイのゲームの場をつくることを、
企業はできっこないでしょう。
それをやりたいなあというのが、
ぼくがホームページをやっている原点なんですよ。

ものの売り買いにしても、ソフトの提示にしても、
今まで集められなかったものを、
どれだけ集められるか、だと思います。
それができたときには、
今までの企業がやっていた
「母数を増やすための広告」
だとかいう泥沼的なものが、
全部パーになるんじゃないかなあ。

最後に勝つのは、
きれいな踊りを踊れるところだと思う。
「踊り踊るなら、東京音頭」じゃないけど、
みんなが踊る時代に、
誰が一番かっこいい踊りを踊るのかは、
これからのぼくの課題ですね。
全員にそれをわかってもらえるとは、
思いませんけど。
田坂 「マーケティング」という言葉は、
死語にすべきだと思います。
あれって企業の論理なんですよ。
売る側の操作主義が露骨に出ている言葉で、
「我々はものをつくる、
 それを消費者に、いかに買わせるかだ」
と、マーケティングは結局そうでしょう。

この前に出した
『これから日本市場で何が起こるのか』
という本で、私は「マーケティング促進」ではなく、
「ショッピング支援」という捉え方のほうがいい、
と言っているんです。

もちろんこう言っても、
ひそかな操作主義が入ってくる可能性があったり、
人間はどこまでも煩悩の産物だから、
どこまでもしたたかに考えてしまうのですけど、
それはさておいて、とりあえずは
消費者がものを買うときに、
そのニーズを満たすお手伝いをしようと。
お客さんのニーズをじっと聞いて、
「それ、うちでは満たされませんよ。
 申し訳ないけど、隣の糸井商店をお勧めします」
と、ライバル企業の商品を薦めるぐらいの
メンタリティーに変えるべきだと思います。

昔から商売道にはこういうのがありましたけど、
商売はまた不思議な世界で、
そういう器の大きいところが、
結果としては世の中に支えてもらえるんです。
そういう深みのある企業像に
向かっていると思うんですよ。

(つづく)

2000-06-10-SAT

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