中前結花

ほぼ日の塾第4期生

イラストちえ ちひろ

日ごろ、誰かの暮らしや仕事、
時には人生の話をうかがいながら、
記事にまとめるような仕事をしています。
そんなわたしが、「ほぼ日の塾」ではじめて
自分について語る記事に取り組んでみました。
これを「エッセイ」と言うのでしょうか。
わたしにとって、なんともおもしろい体験でした。
それから数ヵ月後、塾の集まりのときに、
「中前さん、なにか書いてみたら?」と、
うれしいお誘いをいただきました。
「なにか」と聞いて思い浮かべたのは、
いちばん近くて、いちばん遠い、父のこと。
父のことをお伝えしたところ、
「せっかくですから父の日に掲載しましょうか」と。
みなさんにも、みなさんのお父さんのことを
ふっと思い出してもらえたらなあ、
とそんな思いで、書いてみます。

もくじ

第三回 父の正体第三回 父の正体

日も暮れかけたころ、近所まで夕飯を買いに出かけた。
マンションの隣には小学校の校庭が広がっており、
休日にしかここを訪れぬわたしには、
平日の子どもたちが駆け回る様子を、
うまく想像することができなかった。

砂場をぼんやりと眺めながら、
さっきまで聞いていた父の話を思い出していた。
「これで買ってこい」と父に渡された数千円のお札を
ポケットの中でいじりながら、
足が出た分を払ってもいいから、
ちょっと上等の寿司を買おうと、
なんとなく頭で考えていた。
アイスコーヒーを一気に飲んだせいか、
すこし腹部に違和感を感じていたが、
一時のことだろうと構わずに、店へと急いだ。

帰るころには冷や汗が止まらなかった。
たまらず絨毯の上で横になったが、
時が過ぎれば治まるような痛みにも思えなかった。
すこしずつ胸の気分も悪くなってくる。
痛みは増すばかりで、やや朦朧とする中、
父は、さして心配する様子もなく、
「寿司、食べへんのか」とわたしに聞いた。
「マグロ食べたら治るかもしれへんぞ」との提案に驚く。
痛みを堪えながら、「マンションのヒーロー」の名は
返上してもらうことになるかもしれないなと思ったが、
それどころではなかった。

深夜0時を迎えるころ、
いよいよ「これはおかしい」と確信したとき、
車の鍵をチャリチャリと回しながら
父がわたしの横に立った。
「しゃあないな、ドクターカーで行こう」
マントではなくウインドブレーカーを翻し、
車の鍵をポケットに突っ込む姿は、
ヒーローに見えないこともない。
「行くぞ」
しかしまさか、自分がドクターカーの世話になるとは。
先に玄関を出る父の背中は実に頼もしかった。

フラフラと車に乗り込んだ。
片手でシートベルトを締めながら、
父が手の中でリモコンボタンを押すと、
待ってましたとばかりに
マンションの入り口のチェーンが降りる。
切り忘れたのか、カーステレオからは、
ABBAの「ヴーレ・ヴー」が小さく流れていた。
夜道を救急病院へ急いだが、父は地図さえ見ない。
緊急事態には慣れている。場数がちがうのだ。

役目を終えてチカチカと
黄色に点滅するばかりの信号をくぐりながら、
「これからどうなるのだろう」
となんとも不安な気持ちに襲われたが、
反面「父さえいれば、なんとかしてくれるだろう」
とも思った。

結局、救急病院では検査ができず、
胃腸薬だけもらって病室を出されてしまう。
すでにこのころには座っていられぬほどの
痛みに変わっており、
もはや気絶してしまいたい思いだった。
「わかりました」
そう言って父はわたしを連れ戻ると、
「救急車で受け入れてくれる大きい病院をさがそう」と、
手際よく準備した。
マンションのヒーローともなると、
打ち手はひとつではないのだ。
痛みは増すばかりだが、
ますます父のことが頼もしくなる。

救急車を待ちわびながら、堪えきれぬ痛みに、
思わず父のほうに手を伸ばした。
何も言わず、ふっ、と握ってくれた手は
思ったよりも冷えていた。
それでも、自分が想像以上にほっと安心するのがわかる。
朦朧とする中で、父にこんな感情を抱くのは
「ああ、生まれてはじめてのことだ」と思った。

小さいころから、母とばかり手をつないできた。
父が電話に出ると、「お母さんは?」とすぐに尋ねた。
「お父さんにはわからない!」と母の病室の前で泣いた。
「お母さんが居ないなら」と
正月は東京で過ごすようになった。
わたしは、父をなにも知らなかった。

昔、母から出会ったころの話を聞いたことがある。
勤めながら週末は叔母の喫茶店を手伝っていた母に、
常連客のグループの中にいた父が恋をした。
まだ父は大学生であった。
ある日、叔母の飼っている犬が戻らず
みなで心配していたところ、
近所で交通事故にあっていた。
残酷で可哀想な姿にだれも近づけずにいると、
父はなにも言わずにそばに寄って近くの空き地まで運び、
一生懸命に土を掘って、亡骸を埋めてやった。
「“あいつは田舎の生まれで慣れてるから”って
 みんなは言うてたけど、
 お母さんはね、そんなんじゃないと思ったなあ」
と懐かしそうに恥ずかしそうに語った。
母は、ちゃんと知っていたのだ。

かすかに遠くから音がして、
近づいてくる救急車のサイレンが心底ありがたく、
痛みがすこしだけ緩むのがわかった。

担架で担がれ乗り込んだ。
救急車の中で救急隊員に最後に食べたものを尋ねられる。
悩んだが、嘘はつけない。
本当のことを話すしかなかった。

「‥‥マグロです」
「それを食べて、痛くなったんやね?」
「いえ、その‥‥、痛くなってから食べました‥‥」
「なんで、そんなことするの!」

すがるように父を見ると、
父は不自然なほどそっぽを向いていた。
なんとも人間らしいヒーローだった。

6日間の入院となった。
その間、父は毎日着替えを持ってきた。
もっともすべて、マンションの方々から借りてきたものだ。
支えるばかりでなく、父も支えられている。
ありがたくお借りすることにした。

ようやく退院を迎えて父の部屋に戻った日には、
ブリの照り焼きとお粥をふるまってくれた。
「料理は全部なあ、マンションの人らに教えてもうたんや。
 味も自分で整えられるようになったしな。
 居りたいだけ居ったらええぞ」
心配をしてもらうことはあっても、
なにも心配することはないのだと思った。
父のつくる照り焼きは、母の味と同じだったのだ。

東京に帰ろうと思った。
いつもは管理人室の窓口で「またな」と言うだけの父が、
マンションの前の大通りまで見送ってくれた。
「仕事は、休み休みで張り切れよ」
肩をぱんっと叩かれたが、
その手はあの日のように冷たくはない。
大通りには、塗られたばかりのような
白線が分厚く引かれていて、
そこに赤オレンジの日が差していた。

「わたしは、変わらなくていいのだろうか」
帰りの新幹線で、ふとそんなことを思った。
わたしはいつまでたっても変わらない。
ちょっと格好良くなった父のことを
やっぱり母に話したくて仕方がないのだ。
「お母さん、あのね、お父さんがね‥‥」
とクスクスと笑って、
父のウインドブレーカーの話がしたいし、
実は父は結構すごいのだと教えてあげたい。
しかしすぐに「そうか」とひとりごつ。
そんな必要はないのだったと気づいたからだ。
そうだ、だって、
母は、マンションのヒーローを選んだ女だ。
そんなことはきっと、
遠くからすべてお見通しのはずなのだ。

(おしまい)
2018-06-19-TUE