80's
『豆炭とパソコン』のひとり旅。

第20回

第1回目のインタビュー取材は、
とてもリラックスした様子の糸井さん、永田さん、
そして緊張気味の私の3人で始まりました。

最初に、私が持参した連載原稿の束を
二人の前にどんと積み上げ、
「まずはおさらいしながら話を進めませんか」
と促してみました。
「思い出して何をするんだっけ」と糸井さん。
「今回は、全体を振り返ってみるというところに
 ポイントをおきたいと思っているんです。
 最初の頃、糸井さんがおっしゃっていた
 “自分探し”は、連載が終わってみたら
 どこかに飛んでしまったんですよね。
 その変化の過程が、
 この束に隠されているのではないかと
 思うのですが・・・」
緊張しながら答える私の説明にじっと耳を傾けていた
糸井さんの口をついて出たのは、
意外な、いや、今思えば納得の一言でした。
「隠れてないよ」
「え、隠れてない!? そうなんですか!」
「うん!」
絶句する私に、永田さんが追い打ちをかけます。
「ホラ、だから言わんこっちゃない(笑)」
そして糸井さんは、ポカンとしている私に諭すように
静かに話し始めました。

「この、ひとつの物語だけでリニアに何かが変わる、
 ってことはないんですよ。
 “自分探し”なんていうことを考えるってことは、
 やっぱり時間があるんですよね。
 それが自分がしなきゃなんないことが増えていくと、
 探すも何も、
 今のこの動いているのがオレだってことになる。
 だから、そう思うようになったっていうことが
 一番の変化じゃないかなあ。
 さまざまなことが絡み合っているから、
 その変化の過程はひとつの物語を掘り起こしていっても
 見えてこないでしょうね」

そうか、そうか、そういうことか。
じゃあ、どうやったら見えてくるのでしょうか。

そこで、すかさず永田さんが質問を差し込みます。
「じゃあ、この企画の話に絞って言うと、
 “80代〜”を今振り返ってみて、
 どの瞬間が一番印象に残っていますか?」
「一番いっぱい考えたのは、
 箱が開かずにいるときですよね。
 そのときが、
 連載スタートして一番ドキドキした場面だね」

ふむふむ。

「何も知らない人のところに、
 コンピュータがポンと行っても、それだけじゃ、
 触りようがないんですよ。
 実は案外難しいものなんだってわかっちゃうと、
 コンピュータって永遠に流行んないんじゃないかと思う。
 それを一人の人がいれば、助けられるじゃないですか。
 『こうするんですよ』って教えてもらって
 『あぁ、なるほどね』ってわかれば、
 あっという間につながりますよね。
 でも、実際つながるまで時間がかかりましたよね。
 iMacは“コンセントにつなげるだけ”みたいな、
 簡単なイメージがあるけど、
 実はプロバイダの申し込みがどうだとか、
 接続の設定がこうだとか、いろいろあるでしょう。
 だから、これ、気軽そうに始めてるけど、
 実際はちっとも気軽じゃなかったわけですよ」

「当初は、どの程度まで予想していたんでしょうか。
 先生を探してどうしよう、とか?」
永田さんが突っ込みます。

「先生を探して、いなかったらどうしようかってことは、
 考えなかったんですよ。
 あの、始めから結果がわかっていることは、
 誰にでもできることなんですよね。
 もうこの頃には“何がどうなるから、
 やる”っていう発想を捨てていましたからね。
 途中で途切れても失敗してもいいから、
 とにかく今やれることをやろうと。
 だって、この時点で『私やります』っていう人が
 いるかどうか、わからないですよね。
 で、いたとしても、どういう人かわからない。
 母親本人がイヤがるかもしれないですよね。
 全部わからないわけですよ。
 だから“ほぼ日”の企画って、いつもそうなんだけど、
 最悪『ココね』っていうのだけは確保しておくわけです。
 この企画も、先生が見つからなかったときには、
 僕が一人でやるって決めてましたから。
 つまり『募集します』って言って、
 『いませんでした』っていうことになったら、僕が行く。
 僕だけじゃ足りなかったら、僕の友達と一緒に僕が行く。
 それで企画が全然違うものになっても、
 それはそれでオッケーなんですよ。
 最低ラインとして、
 先生が見つからなかったときのことだけを考えて
 覚悟しておけばいいんです。
 それで、
 見つかったらどんどん嬉しくなるじゃないですか、
 足し算で。ときにはかけ算にもなるし」

うんうん、なるほど。
「そこで南波先生が見つかったんですね。
 先生役をお願いするにあたっては、
 どんなポイントがあったんでしょうか?」

「ひとつは、先生が書いたものがそのまま記事に
 なってくれたら、というのがありました。
 全く知識のない人がメールを送ってくるわけには
 いかないから、教えてる人の文章が必要だったわけです。
 南波先生が、文章を書ける人だということは、
 メールでわかりましたから、もう『やったぁ!』ですよ。
 あとは、例えばお子さんがいて、旦那さんがいて、
 仕事があって、っていう先生の事情がありますから、
 その上、先生役をやって、レポートを書いてくれるって
 いったら、それはもう大変なことなんですよね。
 それをやってくれるって、言わせるだけの何かが
 僕らにあるんだろうかっていうのが、
 実はいつも心配なんですけどね。
 『そうやってやることが楽しいんだ』って思って
 もらえればいいんだけど、そうじゃないと、
 何かとってもいいことがあるわけでもないし、
 そのおかげで早起きしなきゃなんないかもしれないし、
 『ないほうがいい』って言われたら、
 もうおしまいなわけです。
 読者だって“ほぼ日”をクリックしなければ、
 その時間で他にもっとできることが
 いっぱいあるでしょう。
 でも『なんで来るの?』って言ったときに、
 そこに動機をキープしておくのって、
 すごく大変なわけです。
 やった方がいいっていう理由を探してることが、
 もう“ほぼ日”のコンセプトに近いですよね」

こうして永田さんの予想どおり、糸井さんの話は、
水面に浮かんだり水中深く潜ったりしながら、
静かに、でも着実に私たちを先導し始めました。
いつのまにか、私の意味のない緊張もほぐれ、
すっかり糸井さんの泳ぎっぷりに見とれながら、
会話の流れに身をまかせていきました。

2000-12-16-SAT

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