YOSHIMOTO
吉本隆明・まかないめし。
居間でしゃべった
まんまのインタビュー。

第15回。

98・10月のある土曜日。吉本隆明さんの家。
場所は、吉本さんの家。

長い長い話をしたものを、細切れに
ここに掲載しております。

こんなふうに言うと、まるでいままでがつまらなかった
みたいに聞こえるかもしれないけれど、
自分で掲載用にまとめていても、
このあたりの話はおもしろいわぁ!
若い読者から、「おもしろぞ」というメールを
もらうのも、けっこううれしいですね、この連載。

「週刊プレイボーイ」でも、
『吉本隆明・悪人正機頁』という
変則的な人生相談の企画やってます。
合わせてお読みください。
で、この第15回は、
<さんまと広告とインターネット>です。

糸井 「踊るさんま御殿」、おもしろいですよ。
(上の1行、前回と重複)
吉本 ああ、あれはものすごく、
まだ、おもしろいというか、番組ですね。

それから、もう一つは、あの関西のほうのさ、
えーと、あの人は何ていったっけな。
上岡龍太郎というのがやってる
上岡探偵局というのがあるでしょう。
それは日曜だと思いました。
糸井 テレビ何だっけな、
とにかく、何か依頼人がいて、テレビ探偵局とか何とか。
 
吉本 そう、そう。そういうあれですよね。
それで、そういって、あれって、
それは結構、今でもおもしろいと思って見てます。

それで、あとはもう、タモリもまだおもしろいですね。
おもしろいと思います。

ついでだけど、もうたけしはもう、
自分でそうしているんでしょうけども、もう、
おもしろいっていうのやめちゃったっていう。
糸井 そこは降りてますね。
吉本 おりちゃったという感じがしますね。
そうすると、おもしろいのはそれだけだって
いうようになると、そうすると、
今度は、ああいうものが、テレビとして、
テレビの番組要素として、
何がどこをどういうふうにして、
あれ、おもしろいと感じているのかということが、
問題になると思うんですね。

これは、ニュース番組でさ、
単にニュースだけじゃなくて、
ワイドにしてさ、ちょっと劇的な要素というのを
入れちゃって、ニュースの報道番組にしているというのと、
同じようないろんな意味合いが、
こう全部入れているのかなという気も。
だから、おもしろいというのかなという気も
するんですけど、よくわからないところですね。

それから、広告、CMのあれでもって言うと、
ほらっ、あの人何ていうんだっけな、
悪役の人が出てきてさ、青汁、青汁まずいって、
「もう一杯」とかいう、
あれは結構、印象深く残っているんですね。
ああ、これはうまく印象を作ってるなというふうに
思っているんですけどね。
あまり金もかけないで、
結構、やってるなという感じがするんですけどね。

あとは、ちょっと、今の糸井さんの専門のほうのさ、
このテレビのCMっていうの、
ちょっと、僕もつかめないし。
糸井 CMは、今、もうぼろぼろです。
吉本 つかめないなあっていうとこあるんですけどね。
糸井 何のために広告するかという意味が、さっきの、
その人間の幸福論に近いモチベーションが
わかんなくなっているんですよ。
で、商品名を覚えさせるためにっていうことだけで言うと、
コストが高過ぎるんですね。

つまり、一人頭三十円かけて、
名前を覚えてもらったところで、
好きになってくんないと意味ないわけですよ。

ところが、テレビ、
今までは、名前を覚えてるということで、
流通との関係なんですけど、
仕入れ先がみんなの知っている商品を仕入れたほうが
売りやすいわけですね。
問屋があって小売り業者だというふうには。

ですから、その仕組みの中では、名前を覚えてもらう。
それには、何がきくのというようなことが、
はっきり言えるということが非常に重要だった。
ほんとは、その時代が終わったんですよ。

つまり、その、先ほどのお話で言うと、
母数を獲得するための戦略しては、
非常に成り立つんですけども、
対そのコストパフォーマンスで考えると、
好きじゃないけど知ってるというものの数が、
多くなり過ぎたんですよ。

そうしたときに、今みたいな不景気になったら、
この流通の仕組みも、今、揺るいでいるところで、
果して、何をやると、広告は
マスメディアを使って意味があるだろうかって、
答え出せる人が、おそらく、いないんですよ。

例えば、宣伝は一つもしてないけれども、
全国で何万店あるコンビニエンスストアに
必ず置いてある商品のほうが、
置いてないけどもだれでも知ってる商品よりも、
売るチャンスはあるわけですね。

今、特に不況になると、経済原理がぐっと、
その貨幣信仰になりますからね。
そうなったときには、広告しなくても、
置いてもらえるということのほうが重要になるわけですよ。
たくさん置いたらそれだけ、ペイするということなんです。
そうすると、広告の意味っていうのが、
かつてと意味は変わるわけですね。

吉本さんが広告に興味を持ってた時代というのは、
この会社を好きになるっていう部分で、
好きな会社から供給を受けようというムードをつくる
という広告が、まあ、モチベーションとしては、
一番あり得た時代なんですね。

ところが、そうじゃなくって、
どういうふうに流通チャンネルを広げて母数を増やそうか
っていうときには、広告は、やっぱり、
意味がわからなくなるんです。

ですから、基本的には、マスメディアを使う広告は、
ゾンビになっちゃったというか、死体なんですよ。
そこでのやり方はもちろんあるんで、
全体にどういう仕組みをつくったら、
一番効率よく、しかも、好意を減らさずにできるか
というやり方はあるんですけど。
そこまでのことだと、今度は、
そのクリエーターのモチベーションにつながりにくく
なるんですね。自分がやってる意味みたいな。

いったん広告屋さんのブームも、
もう終わっちゃったですけども、まだ、
若い人は、名を上げたいだとか、
拍手されたいというのがありますから、
おれがやったというにおいをどれだけ出すかというところに
モチベーションがあるわけです。

でも、それはやっぱり、やせてるんですよ。
やせているんで、世の中とのかかわりじゃなく、
おれがやったでは、どんなに人の間に盛んに、こう、
受け入れられても、やっぱり次につながらないんですよ。

やっぱり、広告の今の位置というのは、
小さい会社が、中くらい以上になるために、
名前を覚えてもらうという手法が、
一番ピンとくるんですね。

吉本さんが今おっしゃった青汁なんかは、
典型的にそうで、メジャーなブランドになる寸前の
ところにあるものですから、
ああ、印象深く覚えたぞという、
昔の文脈、時代劇を楽しむように、
その広告の意味がはっきりするんですよ。

ですから、そういうものが、
今、印象深くとらえられるっていうのは、
おそらく、ほかの、
名前を覚えたからって好きにはならないぞというのと、
ちょうど対をなしているんだと思いますね。
吉本 なるほど。うーん。
糸井 多分、広告だけで言うと、
好きになってもらうかどうかという競争は、
これから、改めてもっと出てくるんだろうなって。

で、この間、お邪魔したときに、
ちょっと言ったかもしれないですけど、
コンピュータで使うソフトで、
シエアウエアという概念があって。
シエアウエアというのは、この道具、
まあ、プログラムの道具なんですけれども、
この道具は、あなたがここから吸い込む、
通信で吸い込んで、使えるようになりますよと。
ただで吸い込めますよと。
で、お金を払う気がある人は、後のフォローもしますから、
ここに幾ら振り込んでくださいというシステムで。
ただ配っているもので、
コンピュータが、どんどん、
道具を増やしているわけですね。
店で売っていないんだけど、インターネットで、
プログラムとれちゃうわけですよ。

そうすると、払うか払わないかというのは、
個人の裁量に任されているんですね。

昔の、その、ホモエコノミクスとしての人間は、
払うか払わないかという選択は、
一も二もなく、払わないって決めて
るんですね。キセルじゃなくて、罰則もないんですよ。
でも、これがね、払うんですよ。

で、払うのと払わないの区別があるんですよ。
僕自身も、払っているやつと
払っていないやつがあるんです。
これは、好意の多寡の問題なんですよ。
好きなら、好きな会社の好きなソフトに払うし、
例えば僕、友達にこれ使いなよって勧めたソフトを
代理に払ってあげたりまでもしていますよ。五人に配って。

で、特に名前を上げないけれども、
どうも好きじゃない会社のソフトは、CDで買っても、
おお、これ、おれ持ってるから、使いなよとかいって、
まあ、海賊版にしちゃうわけですね。
ただで使っちゃってて。
ほんとは、僕は、ソフトで商売している人間なんで、
全部に払うのが、道だとは思うんですけども、
あの会社に払う気にならないという気持ちで

(テープがえ)

……近いんですけど、ですから、
マスメディアを使って、
硫黄島を全部爆撃するような広告は、
これからも、ずっと続くとは思うんですね。

でも、それが、工場を建てて、生産拡大してって
考えると、当然、作るのは物ですから、
今はやりの収穫逓減していくわけですけど。
そうなったときのことまで考えると、
一番いいバランスのところで、
従業員の給料が少しずつ上がりながら
物をつくっていくような、
で、次の物をまたつくっていけるような
会社の仕組みみたいなものを考えて、
3万人おきゃくさんがいれば商売になるな
というような企業がたくさんできるという夢に、
やっぱりまた、僕の考えはなっていくと。

広告の意味も、今、僕はインターネットなんかを、
こんなに一生懸命やってるのも、その可能性があるから。
だから、吉本さんちのお母さんが「尋ね人」をやっても、
一人でも見つかったら、
これはこれでおもしろいわねって発想でおやりになったら、
一日で二人見つかっちゃう。
じゅうたん爆撃しても、こんな見つからないんですよ、
きっと。

そう考える、見ようと思ってる人に、
ある情報が届くっていう世界があるんだって。
二人見つかったということを、月曜日も書きますから、
呼び水になって、また、
ゲームとして好奇心を刺激するわけですよね。
すると、おれも墨田区にいるんだけどって
いうような人だとか、
この山本さんっていう人、おれは知ってるかも
しれないなって、電話してみるとか、そういう、その、
どう言ったらいいんでしょうね。遊びになるんですね。

これは、名前を覚えてもらって、
知ってるものだから買うというような、
人間の、その好奇心とか知性をばかにしたやり方
じゃなくって、広告は成り立つんじゃないかなあって。

もっと言うと、今、広告スポンサーにも、
僕は、ある商品の、ある部分の欠点について、
僕は述べますよって。
ここは欠点だけども、そんなものは、
どんな商品だってあるものだし、その欠点はありながらも、
そのいいところは、ちゃんと伝えられるぞと。
新聞広告を十五段買ったら、二千万とかになっちゃうけど
ここでは、そんなに部数はないけれども、
書きたいことはいっくら書いても、
インターネットってただなんですね。
この分量がなければ伝えられないことを、
たっぷりも言えるし、少なくも言える。

しかも、欠点も言って、
おれが思ってることを正直に語って、
広告屋をやれるとしたら、
おれはそんなにもうからなくても、
自分の幸せ感には、はっきりつながるから、
まあ、これからどう発展していくかということについても、
大体あきらめて、少なくとも、その、
ばかにされないくらいの数字にはなるでしょうと。

とやると、ここで、何人食わせられるかな
という規模もあるけども、
ここまでで打ちどめねっていうやり方もできるし、
そこから卒業していく人は、
また、違うことをやればいいし、
固定しないで、その都度、
リンクがつながっていくみたいにやっていくビジネス
というのを模索して、うまくいったら、ま、いいなあと。

あとは、組織論として、
さっきの米の飯をどういうふうに手に入れるかって
いう部分で、これは、やっぱり、お金なくって、
糸井さんがよそで稼いでいるから、そういうこと
できるんですよって言われるのも、しゃくなんで、
何とか、今はほんとにそうなんですけど、
たぶん、かつかつ食えるぐらいにはなるだろうし、
賃上げもできるんだよというシステムを考えるために
どうしたらいいかというと、
先ほどの吉本さんの金利じゃないですけど、
やっぱり、ストック・オプションの考え方とか、
従業員が経営者を少しずつ兼ねているというような形で 、
少し頑張ることが、少しお金が入ることになるような
つながり方が、組織論として多分必要だろうな。
今のまんまじゃ僕の宗教になってしまうので、
そのときにはやっぱり、
信者を離さないためにうそついたりすることに
なり得るわけですよ。

ですから、そこのところは、今から、
僕はあまり自分を信用していない人間なんで、
危なっかしいところは、
なるべく、今から手を打っといてと思っているんですけど、
まあ、お金が回らなくなったら、すぐつぶれるんですけど。
少なくとも、今、考えている限りでは、
小さい回転だったらできるんじゃないかなと。

これが、今の、その、まあ、
短い説明でしかないんですけど、
広告のある現状とコミュニケーションですね。

それから、さっき、テレビ番組の話で、
吉本さん、おっしゃったのは、
やっぱり、さんまって天才に、今のテレビって、
おんぶしてるんですよね。
あれは、病的に天才です、さんまさんって。
あの速度で、自分が楽しいっていうことを伝えながら、
おもしろいことを絶えず見つけていける人って、
ほかにはいないですね。
吉本 ああ、そうか。
糸井 金利の話でもそうですけれど、
ギャグを遅延させてしまったら、価値がなくなりますよ。
それを、例えばさんまさんって、あの、先に笑いますよね。
つまり、利息をお支払いしますよっていう話を、
三日間ぐらい大騒ぎで、鐘や太鼓でやっといて、
ほんとに、一カ月先じゃなくて、三日先に、
その金利三%かもしんない、五%より少ないけれども、
払ってくれる人なんですよ。
あんなに、絶えず、払ってくれるお笑いタレントって、
ほかにはいないんですよね。
吉本 ああ、なるほど、よくわかりますね。

1999-06-10-THU

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