YOSHIMOTO
吉本隆明・まかないめし。
居間でしゃべった
まんまのインタビュー。

第13回。

98・10月のある土曜日。吉本隆明さんの家。
場所は、吉本さんの家。

長い長い話をしたものを、細切れに
ここに掲載しております。

こんなふうに言うと、まるでいままでがつまらなかった
みたいに聞こえるかもしれないけれど、
自分で掲載用にまとめていても、
このあたりの話はおもしろいわぁ!
若い読者から、「おもしろぞ」というメールを
もらうのも、けっこううれしいですね、この連載。

「週刊プレイボーイ」でも、
『吉本隆明・悪人正機頁』という
変則的な人生相談の企画やってます。
合わせてお読みください。
で、この第13回は、
<じぶんへの修正>です。

吉本 そこは、やっぱり、なかなかならないですよね、
社会全般、日本の社会見たって、
背中見たら、もうどうしようもないじゃないって
いうふうにしか見えないし、
お説教されても、何言ってやがんだと
いうふうになっちゃいますしね。

これは、ちょっとそういう、まあ、
社会全体でもいいし、何でもいいんですけども、
そういうのは、ちょっと黙って、
ともかく、これはユートピアだっていうのは、
こう目の前に出てくれたら、これはありがたいわけだし、
また、つくれたら、大したもんだなと思いますし、
それはほんとうに緊急な気がしますね。

今だったら、もう切れてるだけだっていう。
切れて、世代的にも切れるし、職業的にも切れるしって、
こういうことが、もうどんどん極まっていくみたいなね。
それしかないような気がしてしようがないですけどね、
ほんとに。
糸井 吉本さんが、緊急っていう言葉で、その感じを、
こう何ていうかな、心の底から、こう、
思えるようになったのは、
いつごろのタイミングだと思いますか、ご自分では。
 
吉本 自分じゃあ、自分で僕は、
あの『我が転向』じゃないけど、
70年のちょっと過ぎたころに、
全部、おれはこう思っていたという・・・
社会のイメージも、それから、まあ、
倫理的なイメージも、自分の、その、
自分は何を、何ていうんだろう、目的というか、
モチーフとして、生活して生きていくんだみたいな、
生きていくんだみたいなことも絡めてね。
こりゃあ、言葉のところからちょっと外れてるぞというか、
何かそういう感じがしたときがあるんですね。
そのときからですよ。それは70年ごろですよ。
70年前後ですよ。

おれの考え、今までいいと思って考えてきた、
きて、思ってたイメージとみんな違う、
ちょっと違うぞっていう感じになってきたんです。
こりゃあ、いけねえ
っていう感じになってきてからですよね。
糸井 出版物で言うと、やっぱり、『共同幻想論』の時期。
吉本 そうですね。
『共同幻想論』の延長線で、僕は、
『マス・イメージ論』というのと、
それから『ハイ・イメージ論』というのをやったときに、
このときに、そういうのをもう典型的に、
それを何とか自分で対応ができないのかなって
いうふうに思っても、できなかったんですけど。
でも、試みは試みとしてやったんですね。
だから、それは『共同幻想論』の延長で
やろうというふうに。
糸井 なんか鉄道から飛行機になったぐらい
違いましたね。
吉本 そうなんですね、そうなんです。
それはね、そう思ったんですよ。
だけど、ちっともうまくはいってないんだけど、
そのころから、そういうふうに、
そのころ、初めてね、おい、おれ、
おっかしいよなっていう感じになったんですね。

そのおかしいよっていうのは、
今だって続いてるって言やあ、続いているんだけど。
あの、これはしようがねえなあっていう、
こんなんで、こんなピンが狂った感じでは、
ちょっとどうしようもないじゃないのって
いうことになって、
ちょっと考えを修正しないといけないなあ
みたいなことを思い出してね。
それからが、ですね、あの……。
糸井 ずっーと緊急だと思いながら。
吉本 緊急だと思いながら。
だから、それはちょうど、何ていうか、
ピン、まあ、その、適切、不適切で言えば、
不適切であったから、
適切のほうに行こう行こうという感じに
なったっていうことなんですね。
そうなんです。実は今も続いてって、続いてて、
続いているうちに、あの、
体はやわになるしというのが今の現状でね。

で、ちょっとどういうことになるのかな、
どういうところに、
こう糸口があるのかなということにね。
僕は人のに聞き耳を立ててるっていうか、
本で言えば、
うまくすぱっとやってるやつはいねえかとか言ったりとか、
聞き耳を立てるとかっていうのは、
割合に熱心なんですけどね。
熱心なんですけど、なかなか、
それは適切なことは言ってくんないですよね。
適切の少し外側のところは、大体、
みんな同じようなことを考えるなあみたいに、
そういうところは、あるんですけどね。

だから、その適切のほうに、少し、
あるいは緊急なほうに少しでも、
こう出ていくっていうのは、
出ているっていうようなことがあるとね、
僕は物珍しくってていうか、だから、
糸井さんの今の話とか、さっきのアメリカの話とか、
アメリカ論みたいなのとは、それはちょっと、
ほう、初耳だぜとか、ああ、これはちょっと新しい、
こう、何か刺激を加えるぜという
感じがしているんですけどね。

それは、もっとほんとは全面的にあれしない、
してくれるね、あれがあったら、いいなあと。
糸井 やらなきゃだめですよね。
吉本 そうですね。まあ、少しずつ部分的に、
少しずつは集まっててもいいんだけど、
そういうのがないと、これはちょっと
緊急に間に合わんぜというか、
困るぜってなっちゃうような気がしますね。

もう、僕らのときは、
まだ、前の世代とちょっとつながっている
ようなところがあったけど、
今はもう、そういうのはないですからね。

つまり、僕なら、例えば中野重治っていうと、
これは昔プロレタリア文学で、
戦後も進歩的文学者でって、こういうふうで、
それで、こういう作品を書いて、こういうとこへ、
おもしろいとこでとか。
糸井 そういう記述は書けますよね。
吉本 記述が書けるわけで。
今の若い二十代でも、三十代でも
きっとそうと思いますけれども、
もう、中野重治って言ったって、
そんなに知らないと思いますね。
知ってたって、
名前は聞いたことがあるよっていうけども、
どういう人で、僕らの世代が若いころは、
どれだけ、この人の言うことが、影響を与えたかという、
その大きさはもう全然わかんない。
なに?、そういう人、確かにいたなあっていうか、
名前だけは知ってるけど、
うん、どんな人かわかんねえっていうふうに
なっていると思いますね。
文学でも、そうなってると思いますね。
糸井 文学全部そうですね。
吉本 なってますね。

1999-05-17-MON

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