YOSHIMOTO
吉本隆明・まかないめし。
居間でしゃべった
まんまのインタビュー。

第10回。

98・10月のある土曜日。吉本隆明さんの家。
場所は、吉本さんの家。

長い長い話をしたものを、細切れに
ここに掲載しております。

「週刊プレイボーイ」でも、
『吉本隆明・悪人正気頁』という
変則的な人生相談の企画もスタートしました。
合わせてお読みください。
できましたらなんですが、新しい読者の方々は、
はじめからお読みになってくださることを希望します。
で、この第10回は、
<これからの経済的幸福像って?>です。

糸井 で、量で、つまり、富の分量で競い合うという、
ベストテン思想みたいなものは、
やっぱり、貧乏臭いなって。

それは、アメリカという国が、やっぱり、
ヨーロッパという母親に愛されないで、
あの、何ていうか、早産してしまった子供と
同じような生まれ方をしていて、
吉本理論を、僕は、
簡単にとらえちゃっているんですけど、
やっぱり、ほんとはまだ歩かなくていいときに、
はいはいをしなきゃならないときに、
歩かなければならなかった国の貧乏臭さというのは、
全部分量で、比べられるところで、
何でもありルールで育つしかなかったんで、
太閤記を読むようにおもしろい部分はあるし、
立身出世物語、いっくらでもできるし、
アメリカンヒーローという形で。

でも、やっぱり、それって、
ほんとに楽しかったのかということを、
棺桶のふたをしめるときに思うようなアメリカ人が、
僕、二代目、三代目は、もう生まれていると思うんですよ。

で、そっちの人たちのほうが格好いいなというふうには、
大勢の気持ちをつかめないのはわかりきっているけども、
もうすでにアメリカ人の中に、
『売家と唐様で書く三代目』みたいな、
そういう思想が芽生えてて、一回はヒッピーという形で。
ヒッピーからヤッピーになって、
やっぱり、じれったいんで、
また、ビジネスマンとして復帰しちゃっている
みたいなとこあるんですけど、
どっかで、そのむなしさを、取り返そうとしている部分、
ジャンルというのが、やっぱり、
芸術の中にも、小さく、こう、芽が吹いているし、
その、人同士のつながりでも、
例えば、そのネット社会みたいになると、
主にアメリカと日本のつながりだと思うんですけど、
そこでの友達同士集めたら、三万人いたぞというような、
その仮想の共同体みたいなところで、
ああ、楽しかったって人生送れる豊かさというのは、
もしかしたら、もう無数にできて、
その三万人同士が、お互いに、貿易をするように、
情報の物々交換するような、
今まで見たことなかったようなユートピアというのが、
ひょっとしたら、一時的にしろ、できるんじゃないかな。

こういうものは、逆の立場の人が
「やっつけてやれ」と思ったら、
すぐ、つぶされるんですよ。
金でつぶれますからね、やっぱり。
スパイを送り込んだり、たぶらかしたりすれば、
幾らでも、そんなきれい風な動機なんていうのは、
壊れちゃうわけですよ。幸福観もずれますから、
それは、壊れちゃうのかもしれないんですけど、
少なくとも今まで、その、どう言ったらいいんでしょう、
道徳で人間の幸せについて述べる人たちと違う意味で、
もっと、ある意味で、ほんとうに気持ちいいこととか、
快楽を追求していったら、
案外物は要らなくなったみたいな、そういう、
貧乏出身の豊かさみたいなものが、
自分の中には、今、新しく、こう、
芽生えつつあるんですね。

これは、アメリカ人にもいるんですよ、きっと。
こういうのは、見たことないんですね、今まではね。
吉本 そうですね。
 
糸井 だから、お互いに育ち悪いもの同士で、
ちょうどいい自分の幸せ感みたいな。
吉本 そうですね。いやぁ、
僕はそこまではっきり考えたことはなかったですけど、
ただ、昔流、昔っていうか、明治、大正流の、
何か末は博士か大臣かとかっていうのだけは、
もう、終わったろう。(笑)

終わったというのは、何なんだろうというのは、
一生懸命、いろいろ考えますけどね。
そこまで、はっきり考えたことはないんですけど、
それはやっぱり、ちょっと考えざるを得ないですね。
何だろうなあということですよね。

いや、もう日本もきっと、少し、
そういうところに行きつつあるって、
今の若い世代って、そういうふうになってんのかなあ
とも思いますしね。
糸井 ひょっとしたらね。
吉本 ひょっとしたら、
そうじゃないかなとも思いますね。
糸井 いったん、とにかく、
お金という形で物差し当ててというのは、
やっぱり、まあ、かなり不滅なところあるんですけど、
終わりつつあるかな。

高い給料で引っ張ってきた社員たちが、
さて、いい仕事をするかというと、
意外にだめなんですね。
僕ら、いろんな業界、自分の近い業界で見ていると、
お金でスカウトしたりなんかした会社が、
今、危ない目に遭っているんですよ。

バブル期って、ゲーム業界なんか、
一人動いたら一億とか、
そういう話があったりしたんです。
あるいは、ハワイでゲームをつくりましょうとかね。
楽園でクリエーターの思うままに、
毎日、自由に最高の環境でやりましょうとか、
必ず外車がもらえますとか、
やったって話があるんですけど。
これが、実際は、日々精進していかないと、
クリエイティブって、やっぱり、つぶれるんですよ。
ある日よかったという人でも、意外に、
もう一年後には、大してよくないんですよね。

それを、さあ、こんないい環境ですよ、
お金もこんなにあげますよと言ったら、
その人、実はもう死んでるんですよ。
そうすると、もう、ものを生み出す力も、
実はお金でコントロールできなかった
ということなんですね。

そうすると、あれっ、お金万能じゃなかった、
ビジネス的にも。
経営者がそれに気づいても、
お金以外に何がモチベーションなのか見えなくなってる。

次は、単純に言うと、宗教なんですね。
カリスマのもとに集まればいいから。
宗教のバリエーションで、今、いろんな形で、
きっと、ボランティアとかやるんでしょうけども、
これも基盤は危なっかしいものではあるんで、
これはもう、どれもほんとに危なっかしいんですけど、
イエスの方舟みたいにしかなんないかなって。
吉本 そうですね。
糸井 ええ。
吉本 うーん、いや、そうでしょう。
いや、僕はイエスの方舟が一番宗教的、
新興宗教で言えば、
一番いいやり方してんじゃないかと思うんですけど、
何かの、あれを、こう、あれして。
糸井 サイズを大きくしないっていうことですね。
吉本 しないんですよね。それで、今、
思い出したんだけど、結局、経済、
まあ、金銭ということになりますけど、
経済本位で、理想の社会とか、
理想の状態というのを考え、まあ、仮に考えるとしますね。

そうすると、どういうことになるかというと、
全部が、全員が金利生活者になったら、
もう一番経済的には理想なわけなんですね。

具体的に言えば、自分が、何ていうか、
あるレストランならレストランに
資本をちゃんと投資していると。
そうしておいて、休みになったら、
家族、友人一同と一緒に、
そこのレストランへ食事に行って、
外食で楽しむんだといって、食事に行く。
そうすると、そいつは、食事をして楽しんで、
同時に、自分の投資したレストランなんか
もうかっている、自分がもうかってるわけですね。

理想的に言うと、それが一番、
全部がそうなったら、一番いいっていう、
終わりだっていう、終わりというか、一番いい……。
糸井 退屈になるとこありますね。
吉本 そうなっちゃうわけですね。
そうなっていくから、これが、すごく考えると、
マルクスから始まって、
社会の中核は経済現象だみたいから始まって、
アメリカの金融資本、高度の金融資本みたいな、
そういう発達したところの考えまでさ、やっぱり、
その経済問題が、その中核だっていう考え方を通すならば、
やっぱり、それじゃ全部が
金利生活者になったらどうなんだと。
そしたら、もう終わりというか、そうなるわけですね。

日本人の平均の貯蓄量が一千何百万だと、
こう言うでしょう。
それをべらぼうに増やして、何といいますか、
将来、ちゃんと食えると、
余生は食えるというふうなところまで、
それは貯蓄が増えたというんでもいいわけだし、
自分の投資したところで食事したら、
食って、なおかつ、それは食ったことがもうけなんだ
というふうにしてもいいわけだし.
これで理想かとなると、
ちょっと頭ひねっちゃう。(笑)
糸井 おかしい。
吉本 ひねっちゃうわけですね。
そりゃあ、何か、ちょっと違うぜというふうに思ったりね。
思ったりしますし、
さればとて、もうちっと
金があったらいいのになあという、
個人的にはそう思ったりは、
もう少し金があったらと思うし。

1999-05-04-TUE

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