YOSHIMOTO
吉本隆明・まかないめし。
居間でしゃべった
まんまのインタビュー。

第3回。

1998年10月のある土曜日。吉本隆明さんの家。

場所は、吉本さんの家。
正面の路地の真ん前に吉祥寺というお寺があって、
塀ごしに「小さな大仏」が見える。
小さな、と、大仏は、矛盾しているようだが、
ほんとにそうなんだから、それでいいのだ。

目の手術で入院が決まった日の、前日だったので、
ちょっと遠慮がちにスタートしたはずだった。
当然、日常会話なんだから、その目の手術の話題から
はじまるに決まっているわけだ。

第2回は<からだを治すということなど>でした。
話はそのまま続いていって、
今回、第3回は<科学的っていうこと>と題しました。
糸井 あの、ちょうど小学校の運動会のときに、
組体操やるじゃないですか。
で、一人どっかの人が崩れるとタタタタと崩れますよね。
で、弱いやつ一人いるときには、周りがかばいますよね。
で、かばう力のほうが強ければ、
弱いやつがいても大丈夫なんですよ。
ああいうつながり方を人間の体がしてるっていうふうに、
僕はイメージしたことがあって。
だから、小指の先にけがしたとしても、
それが迷惑をかけてるというか、
影響を及ぼしてるどっかがあって、
で、どっかが踏ん張ることで体全体をキープするんだから、
踏ん張ってるやつのほうをなだめれば、
小指の先の問題はもう少しいいほうに
解決していくんだっていうような。
吉本 そうでしょうね、そうですよね、きっと。
糸井 今はやりの生態系じゃないですけれども、
つながりの中で強いところを、逆に、
「おまえのおかげだ、ご苦労さんだったね」みたいな、
指圧だとかマッサージだとかがあるんじゃないかな。
吉本さんの話を聞いてると、ほんとに、
前に僕が、そういうことにすごく凝ってた時期があって、
そん時と同じなんですよね。
吉本 そういうのに凝ってた……。
今凝ってんですね、僕は。(笑)
糸井 おもしろいですね。
吉本 いや、とにかく進歩する感じがしますからね。
何となくおもしろいですね、興味深いですね。
だから、やっぱりああいう気功師とか
ああいうのの専門家っていうのは、
きっとそれにずっとのめってって、
もっと習練を積んだんだろうなと思いますね。
何か、あっ、ここまで信じていいのかな
ということもありますけど、
たしか二、三日前、
きのうかおとといぐらい、
テレビ見てたらやってたんですよ。
それは、日本人の気功師の人がいて、
(気功の)大家がいて、そいでその人がやると、
そうすると何かオーストラリアの女の人とか男の人とか
三、四人、こういうふうに並んでて、
して、その人がやるんですよ。
そうするとこっちのほうが、こう体を動かしたり、
いや、ここのところはこっちのほうが
何となく重くなってきたとかね、そう言ってるんですよ。
そんなに遠隔操作っていうのが効くかどうかって、
何となくちょっとほんとかなって
疑問を生じるところがありますけどね。
そのスタジオのところでメンバーのあれを、
その気功師が何かしてくと、
そうするとその人たちが体を動かしたり、
手足をこう動かしだしてね。
そして、横になっちゃったりっていうのは・・・
その場のは何となく信じられる気がしましたけどね。
ああ、そうか、そのくらいのことは
気功やればできるんじゃないのかなって、訓練すればね。
そういう感じがしましたけど。
糸井 暗示っていうのと違うんですよね。
吉本 違いますよね。
糸井 暗示って、一回意識を経過しますよ。
吉本さん(お茶)
吉本 そうですね、暗示じゃないですね。
だから、治癒能力には違いないでしょうけど、
要するに普通の人の持ってるあれの、
非常に強大な形でそれを持つように
訓練してできるようになったみたいなことのように
思いますけどね。
それこそ電気大学の先生が出てきて、
結局こういうのをあれしてみると、
要するに熱電気っていいますか、
熱に近い電気的なあれだっていうふうに、
科学的にっていうか、電気的に計測したりすると
そういうふうに思えますねって言ってましたね。
ただの熱じゃなくて、ただの電気でもないんだけど、
とにかく熱か電気に変わったとか、
相互変換したとかいうような、
そういう感じの、要するにエネルギーだっていうふうに
なりますねとか、そういうことを言ってましたね、
解説してましたね。
だけど、それがオーストラリアまで届くかっていうと、
そこまでは、自分がそう実感しない限りは
どうも信じられないなってとこありますけどね。
糸井 吉本さん、もともと東工大の人だから、
そういうのって素直には入っていけないタイプ
だったはずですよね。
吉本 そうです、そうです。
糸井 僕は逆に、信じたいんだけども、
何度もだまされたんで、
(笑)違うなと思ったりしましたけど。
でも、どうしても謎になる
ある「島」が残っちゃうっていう。
これは、「まず、ある」っていうことから
見たほうがいい部分っていうのがどうしても残りますね。
さっきのつながりの中に、
じかには会ってないんだけどもつながってるもの、
というイメージが。
例えばレミングの集団自殺とかありますね。
吉本 あります、あります。
糸井 あれは個体としては全部別のレミングなんで、
まあ自我があるわけじゃないのはよくわかるけれども、
あるいは桜前線がずーっと北上していく、
これは日照時間によってホルモンが作用するとか、
いろんな説明できることもあるけれども。
そのつながっている感じっていうのが、
何か探りようがないんでそのまんまになっちゃったけど、
まだ残っておりましたみたいなことがね。
そこは知りたいですね。
吉本 知りたいですね。そこはほんとに。
つまり、普通いう意味の科学的っていうので、
いや、それ違うよって思えるんですけど。
アメリカの科学者の書いた啓蒙書を読んでたらね、
なぜか知らないけど日本のことが出てくるんですよ。
日本では気功師みたいのがいて、
さわらないで痛いとこが治っちゃう
というようなことがあったりね。
何かいわゆる神秘的なことで、
手足をひゅっとこういうふうにあれしてただけで
何か立ち上がっちゃったとかね。
そういうことっていうのはあるっていうけど、
そんなものは全然。
糸井 ないですよ、と。
吉本 ないって言ってんですよ。
そうすると、ないとまで言いきられると、
それちょっと科学的じゃないよという気がしますよね。
やっぱり、そう簡単に決めてもらっちゃ困る。
やっぱり科学的っていうなら、
ちゃんとあれして決めてもらわないと困ります
という感じになりますね。
だから、そういう意味で科学的って言ってるやつがさ、
十九世紀か二十世紀の初めでさ、
小学校の理科の実験みたいに、
こっちから酸素をあれして、
こっちから水素を吹き出したら水ができたっていう、
そういうのならそれはいいけどね。
だけど、今みたいにめんどくさいことが絡み合ってきたら、
その科学的じゃ、ちょっと説明つかない
ということがあるんじゃないのかと思うから。
あんまりそういうふうに言われると、
それ、科学的ってちょっと
違うんじゃねえかというふうになっちゃいますね。
思いますね。
怪しいなというふうに思いますね。
糸井 基本的に同一条件下で再現性があるというふうに
考えると、あったりするわけですよ、その神秘なものが。
吉本 しますからね、しますからね。
ほんとにそうですよね。
糸井 そうしたら、説明する理論が追いついてない
と思う考え方を、当然保留してもいいですもんね。
吉本 起こってくるわけですよね。
だから、あんまり、これで科学的っていうのは
ちょっとおかしいんじゃないのかねっていう、
それでまた少し、僕はそんなことを考え合わせて、
自分の今のあれも考え合わせて。
前、疑いをもってなかったことってあるんですよね。
それは、ロシア・マルクス主義の元祖だけど、
レーニンが『唯物論と経験批判論』の中で、
要するに唯物論とは何かっていったら、
あの人はいろんなことを言ってるんだけど、
結局何を言ってるかっていったら、
人間よりも、もっと細かく言えば、
人間の、判断する脳よりも、
先に宇宙はあったんだということを証認するのが
唯物論だって言ってるんですよ。
糸井 それ、かっこいいですね。
吉本 かっこいいです。
それで、そうするとね、
僕は前はそれでいいじゃねえかって、
ただ、要するにそれは唯物論っていうんじゃなくて、
みんなだれだってそう思っているんじゃないかって
思ったよね。(笑)
(第4回につづく)

1999-01-06-WED

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