MAGIC
ライフ・イズ・マジック
種ありの人生と、種なしの人生と。


『1983年の春は』

1983年の春、
私たちはある地方の寄席に10日間、
出演することになった。
初日の舞台に勇んで飛び出し、
音楽に乗ってマジックを始めた。

が、反応はまるでなかった。
反応を期待するには、
あまりにも観客が少なかったのだ。
愕然としていると、更にひとりのおじさんが
席を立とうとしているではないか。

私は思わず、
「おじさん、ちょっと待ってください。
 今おじさんに先立たれたら、
 残されたごく少数のお客さんが
 可哀想じゃないですか」

客席から侘しい笑いが起きて、
おじさんは席に座りなおしてくれた。

やれやれと、私が、
「それでは、さっそく、
 誰かにステージに上がって手伝って
 いただきましょう」

すると今度は客席から、
「あんたが客を減らしてどうすんだよ。
 むしろ、あんたはさっきから何もしてないんだから、
 降りて一緒にマジックを見りゃぁいいんだよ」

思わぬ反撃を喰らうのであった。

2日目も3日目も、客席はまばらだった。
そこで、
数えられるほど少ない観客を舞台に上げるよりも、
私が観客の役を演じてみることにした。
私たちのマジック・コントの始まりであった。

マジシャンが、ポットの熱いお湯をグラスに注ぐ。
続いて、グラスに紙の筒をかぶせ、

マジシャン(以下M)
 「とても不思議なマジックを
  ご覧いただきましょう。
  なんと、このグラスのお湯が
  一瞬にして他の飲み物に変身するのです。
  さぁ、そこのお客さん」

私「へっ? 僕ですか?」

M「あなたしか、まともな客はいません。
  ほら、見てごらんなさい、
  他はロクなもんじゃありませんよ」

私「いいんですか、そんなこと言っちゃって」
 
M「さて、このお湯が
  あなたの今いちばん飲みたい飲み物に
  変身しますよ。
  何がいいですか?
  なんでも好きな飲み物を言ってください」

私「じゃぁ、ビ、ビール、生ビール」

M「あんたもロクなもんじゃないねぇ。
  いいですか、よく聞きなさいよ。
  このお湯が、お湯が好きな飲み物に
  変身するんですよ。
  お湯だから、温かい飲み物にしてください」

私「そうかぁ、じゃ、焼酎のお湯割り」

M「あのねぇ、今は仕事中ですよ。
  アルコールはダメでしょう」

私「じゃ、コーヒーでいいや」

M「あぁ、コーヒーね。
  でも、朝からコーヒー何杯も飲んでて、
  ちょっと飲み過ぎじゃない?」

私「はぁ、じゃぁ紅茶、紅茶でいいです」

M「はいっ、あなたが今いちばん飲みたい飲み物、
  紅茶に変身します」

私「あたしの意見なんてひとつも入ってないよっ!
  どこがいちばん好きな飲み物なんだよっ!」

私の叫びを無視しつつマジシャンが紙の筒を外すと、
コップの中のお湯が見事に紅茶に変身している。

タネ明かしをすれば、
紙の筒の中に仕込んでおいたティーバッグを、
グラスにかぶせる時に投入していたのだ。

私「うん、確かに紅茶だねぇ。
  この香りは、ダージリンかな?」

マジシャンは、
タネのティーバッグを紙の筒から取り出しながら、

M「いや、これはアールグレイです」

私「どっひゃぁぁ〜!」

私たちの呼吸は次第に合ってきて、
良い感じだったのだが、
観客の反応は冷ややかなものであった。

1983年の春は、寒かった。

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2016-03-20-SUN
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