MAGIC
ライフ・イズ・マジック
種ありの人生と、種なしの人生と。


『プロフェッショナルな人々』

正月早々、都内のホテルに出かけた。
出番まではまだ時間があり、
ホテル内で開催されている
様々なイベント会場を見て歩いた。

広いフロアーの一角で、的当てゲームをやっている。
9等分されたボード目がけてボールを投げ、
落としたボードの枚数に応じて
景品がもらえるというゲームだ。

小さな子供がボールを投げている。
しかし、ほとんどのボールが的を外れてコロコロと
あちこちに転がってしまう。

そのボールを拾い、
すぐに子供に渡しているおじさんがいる。
会場は暖房が効きすぎて暑く、
スーツ姿のおじさんは
汗だくになってボールを拾っている。

子供がそのボールを無造作に投げる、投げる、投げる。
おじさんは拾う、拾う、拾う。

私は、飽きもせずその光景を眺めていた。
始めは、
「やれやれ、正月早々に球拾いだよ。
 しかも、子供の誰ひとり『ありがとう』も言わない。
 おじさんは球拾いの機械、
 くらいにしか思ってないんじゃないの」
そう思っていた。

しかし、おじさんは優しい笑みを浮かべて、
「はい、もう一回、今度はよぉく的を見てね」
などと、子供を励ましてさえいるではないか。

おじさんはプロなのだ。
おじさんは、ただ球を拾っているのではない。
おじさんは、このゲームを
子供に目一杯楽しんでもらおうと心底願っている、
この世界のプロなのだった。

その後の私のステージは、ひどい出来だった。
私も大いに観客を楽しませる
プロの技を見せなければいけないと、
ついつい、懸命にやってしまったのだ。

いつものように、
「は〜い、次はまぁまぁ不思議なマジックですよ」
などと、適当にやればよかったのに。

あるマジシャンがテレビ番組で
素晴らしいマジックを演じていた。
テクニックがすごいとか、
マジックのタネが良いとかではなく、
マジシャンの佇まいそのものが見事なのだ。

マジックというと、いつも過剰に期待される部分が
あるように感じてしまう。
奇跡のような超常現象のような、
信じられない夢のような現象を
求められているように感じることがあるのだ。

このマジシャンは、そんな観客の期待を
あっさりと超えた不思議現象を演じているのだった。

観客はマジシャンの指先を追うのを諦め、
マジシャンの微笑を浮かべた顔ばかり見ている。

彼は、
「この不思議はマジシャンのものではなく、
 素敵な皆さんがもたらしたものですよ」
などと、余裕たっぷりに応じている。

私は彼のプロフェッショナルぶりに、
次第に嫉妬し始めていた。
あぁ、情けない。

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2016-01-17-SUN
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