MAGIC
ライフ・イズ・マジック
種ありの人生と、種なしの人生と。


『人生はつまみ食いだ』

美しい料理人、N子先生が現れた。
大きな鞄には、本日の食材と調理道具が
ぎっしりと詰まっている。

今夜はおよそ30人分の料理を作らなければならない。
30人分の食材の量のすごいこと!
いやはや大量、これらが全部、
人々の胃袋に収まってしまうのだろうか。

「N子先生、今日はぜひ、
 僕にアシスタントをさせてください。
 といっても、難しいことはできないので、
 下ごしらえに野菜などを刻むとか
 チーズをおろすとかの単純作業しか
 手伝えないのですが」

事前にお願いしたら断られるに違いない。
現場でN子先生の到着を待ち、
直前にお願いしてみたのだった。

N子先生は一瞬だけ困惑の表情になったが、
「はぁ、じゃぁ、お願いしようかな」
と、なんとか許してくれた。

プロの仕事を、
すぐそばでじっくりと観察するのが好きだ。
席で美味しい料理をいただくのも嬉しいものだが、
調理の始めから完成までを
プロの横に並んでじっくり見てみたい。

例えて言えば、敬愛する師匠の高座を
袖から見つめるような感じだろうか。
師匠の呼吸を間近で感じられ、
客席の反応も師匠と同じ感覚で
受け止められるような気がする。

師匠の額に浮かぶ汗を見て、
真剣勝負の恐ろしさに震える。
観客の笑顔に、
例えようもない嬉しさがこみ上げてくる。

師匠の小さな仕草さえも、
観客にしっかりと届いている。
声の大きさではない、大げさな動作でもない、
小さな芸の積み重ね。
それが、観客にしっかりと届いている。
不思議な芸のチカラ。

プロの料理人の仕事も、同じだと思う。
小さな仕事の積み重ね。
高級な食材に頼ることなく、
ネギの1本にもしっかりとプロの、
料理人の仕事を施すのだ。

うまいのは当たり前、様々に手を加え、
時にそのまま、華やかな逸品に仕上げる。
N子先生を見ていると、
段取りを考えながら作るというより、
始めから完成図が見えているようだ。

僕はN子先生の指示を聞き逃すまいと、
じっと先生の顔を見つめる。
N子先生は、
「じゃぁね、まずはこれ。
 それができたら、
 これをみじん切りにしておいてね」

僕は、指示されるままに包丁を動かし続ける。
N子先生は完成図を見ながら、
僕は目の前だけを見つつ。
ただ横に立って、並べられた空の皿に
盛られるであろう料理の数々を夢想する。

N子先生の傍にいると、
素晴らしい特典がもらえる。
先生は、フライパンの中で
ジュウジュウ音を立てている肉に
塩、胡椒をする。
自分で味見をし、焼きたての肉を
僕にも食わせてくれる。

誰よりも先に、
N子先生の料理をつまみ食いできる!
こんな美味しい特典が他にあろうか。
あぁ有難い、うまいうまいと感動しつつ、
食べる、食べる。

もはや、つまみ食いの域を超えた量を
食べてしまうのだが、美味しいから仕方ない。

サラダも前菜も、スープも濃厚なソースも
茹で上がった魚貝も、次々とつまみ食いする。

「あっ、あいつ、あの手伝いの男、
 やたら食ってるぞ」
そう見つからないよう、
さっと口に放り込むのだ。
なるべく口を動かさないよう味わいつつ、
パセリを小さく分ける作業をこなす。

料理のお手伝いという使命を拡大解釈し、
料理とともに供されるワインなども
味見せねばなるまい。
冷蔵庫から、冷えた白ワインをデキャンターに移す。
そいつを再び冷蔵庫に戻しつつ、
ボトルに残ったワインを
小さなグラスに注いでグイッと飲む。

N子先生が皿に残した、
宴席には出さない肉を口に入れ、
冷たい白ワインと口中調味する。
うまい、うますぎるN子先生の料理。

数杯味わううちに、少し酔っ払ってきた。
N子先生の料理が完成するそばから、
自分の皿に取り分けて味わう。
ますますワインがすすむではないか。

N子先生の料理が出来上がった頃、
僕もすっかり出来上がってしまった。
だが、N子先生は苦笑いしつつ許してくれた。

そういえば、あの師匠も袖で笑い転げる僕に、
「おい、この人から木戸銭取ったほうがいいよ。
 だって、お客さんよりウケてんだから、
 ふふふ」
そう言ってくれたっけ。

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2015-08-16-SUN
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