MAGIC
ライフ・イズ・マジック
種ありの人生と、種なしの人生と。


『老紳士の背中』

駅からの帰り道、
知り合いの老紳士に出会った。
いつものスーツ姿であったが、
今日は黒いネクタイを締めておられた。

「先生、ご無沙汰しております。
 また少々、マジックを教えてもらいたいので、
 よろしくお願いしますよ」

数年前にひょんなことから知り合いになり、
僕が老紳士にマジックを教えている。
だから、老紳士は僕のことを
先生と呼んでいるのだった。

老紳士は長年勤めていた企業を定年退職し、
今は悠々自適の暮らしぶりらしい。

「いやいや、
 私は早々に出世コースから外れましてね。
 少し会社の株を持っているだけですよ、
 ははは」

老紳士は謙遜されるが、落ち着いた風貌といい、
高級そうなスーツが似合う佇まいといい、
大いに出世された人物に違いない。

「会社のOBたちと、年1回、
 同窓会みたいなことをやってましてね。
 そこで、私はマジックを披露してるんですよ。
 まぁ、シロウト芸なんですがね。

 だんだん飽きられてきたんで、ここはひとつ、
 先生に新しいマジックを教えていただければ、
 ありがたいのですがねぇ」

そんなご縁で、マジックをご指導することになった。
老紳士は見事に新しいマジックを
マスターされるのだった。

「昨日は一日中、練習しましてね。
 それでやっとこの程度ですが、ははは」

きっと現役の頃もこの調子で
バリバリ仕事されていたのだろうと、
僕は想像して笑った。

老紳士の奥様が入院されたと聞いた。
そんな時でも、老紳士は、

「今日も病院に行って見てきましたが、
 家内は勝手なことばかり言ってましたよ、ははは。

 それでね、先生、
 ちょっと面白いことを思いつきましてね。
 実は、あれこれマジックの新作をこしらえてまして」

リビングの大きなテーブルに工具を並べて、
なにやら工作中の様子だった。
よくもまぁこんな面倒そうな作業をと、
僕は半ば呆れてしまった。

「いやいや、指先を使ってボケ防止になりますしね、
 気も紛れて一石二鳥ですよ。
 これも、先生にマジックを教わったおかげですよ。
 この新作ができたら、もちろん、
 先生に差し上げますからね、ははは」
 
その日以来、久しぶりに会った黒ネクタイの老紳士は、

「あの新作マジックですがね、それが、
 ちょっとまだ、完成してませんで。
 完成の目処が立ったら、ご連絡します。

 それと、先生、新しいマジックを
 よろしくお願いしますよ。
 ただ、今年は同窓会を欠席することに
 なるかもしれませんが。
 
 だけども先生、新しいマジックは習いたいですから、
 お願いしますよ、ははは」

そう言いながらいつもより少し小さく笑って、
老紳士は坂道をゆっくりと降りていった。
その老紳士の背中を、僕は見えなくなるまで見送った。

このページへの感想などは、メールの表題に
「マジックを読んで」と書いて、
postman@1101.comに送ってください。

2015-03-08-SUN
BACK
戻る