MAGIC
ライフ・イズ・マジック
種ありの人生と、種なしの人生と。


『おじさんの表参道』

おじさんは、腹が減ってしまいました。
本当は立ち食い蕎麦屋に駆け込んで、
かき揚げうどんか蕎麦などを
ちゅるちゅるしたいのだが。

このところ、駅前の立ち食いの店が
少なくなっているように思う。
しかもここは表参道駅、
うどんつゆの香りなど一向に香ってこない。
代わりに、なんだか甘い香りやコーヒー、
紅茶の香りが漂うばかり。

やれやれ、腹は減ったが先に用事を済ませて
渋谷駅近くの立ち食いを目指すとするか。
と、改札を出て右側の出口に向かった。

すると、目の前に、
なにやら丼のようなディスプレイが見えてきた。
目が悪いので、おそらく見間違いであろうと
近づいて見てみれば、
丼のなかにうどんらしきものが入っているではないか。

実にリアルな食品サンプルは、
まぎれもなくきつねうどん、
きつねうどんだったのだ。

表参道駅の改札を出て30秒のところに、
まさかまさかのきつねうどん。
おじさんは、まるで狐につままれたような気持ちで
店に入った。

店内は、なんだかクレープの店と見まがうような、
白を基調としたおしゃれなインテリア。
奥の4人掛けテーブルに、
10代と思われる女の子たちがおしゃべりに夢中だ。
横に長いテーブルにも若い女の子が座って、
スマホの画面に見入っている。

「いらっしゃいませ、ご注文が決まりまし‥‥」
店員さんも若い女の子だ。
「いや、もう決まってるから。
 あの、きつねうどん」
「はい、少々おまちくださ‥‥」
最近、どうにも女の子の語尾が聴きづらい。

すぐに、きつねうどんがやってきた。
表参道の、女の子ばかりの店なのだが、
白いテーブルにあるのは、
まぎれもなくきつねうどんではないか。

丼の横に、ごく普通の金属のスプーンが添えてある。
なんじゃこれは。
まぁいいかと箸を持つ。

つゆは関西風のようで、透明だ。
大きい揚げが1枚、ワケギがたっぷり。
そうか、おじさんならば丼を両手で持ち、
まずはつゆをじゅるじゅると吸い、
「あぁ〜、うんめぇ〜」
などとひとりごちるところだ。

だが、ここは表参道駅のすぐ側、
お客さんは女の子ばかりである。
両手で持ち上げるには、丼は重すぎるのだろう。
ゆえに、スプーンで少しずつ、
つゆをいただくのであろう。

女の子たちに倣って、
おじさんもスプーンを手にしてつゆを掬って飲む。
うまい、うまいではないか。

それにしても、良かったなぁと思う。
表参道の女の子にもおじさんと同様の、
だしの旨味が分かる舌が、
古来からのDNAが存在するのですよ、
そうだよ、そうじゃないと困るんですよ、おじさんは。

そう独り合点して、うどんをじゅるじゅると啜った。
うまい、うまいではないか、うどんだよ、うどん。
じゅるじゅる、じゅるじゅる。

突如、女の子たち、若い店員さんの視線を感じた。

ふと周りを眺めてみれば、
女の子たちも箸でうどんを食べては、いる。
が、誰も音を立てて啜っていない。
むにゅむにゅと箸で麺を口中にたぐり入れている。

「きゃぁ〜、これ、美味しい〜」
「ねぇ、そっちも食べたい〜」
「じゃ、交換しましょ〜、きゃ〜」
などというおしゃべりは聞こえてくるのだが、
啜る音は一切聞こえてこないのだ。

どうやら、おじさんはじゅるじゅるを
断念せざるを得ない状況に追い込まれているらしい。
店員さんの顔が、
「今度じゅるじゅるが聞こえたら、即レッドカード〜!」
みたいに見えてきた。

おじさんは観念し、うどんをむにゅむにゅと
箸で口に送り込んだ。
いや、それで味わいが落ちるわけでもない。
つゆだって、スプーンで掬って飲んだ方が楽でもある。

うどんをむにゅむにゅ、
スプーンでつゆをスッ〜、スッ〜。
つゆをたっぷり含んだ揚げが、沁みる沁みる。
「うぐぅぅぅ」
声なき嘆息を漏らしたいのだが、
状況はアゲンストのまま。

最後のつゆを飲み干すべく丼を両手で持ち上げ、
ごきゅんごきゅんなどした日にゃぁ、
いよいよ店員さんのビンタを覚悟せねばなるまい。

おじさんはゆっくりとスプーンを使い、
まるでスープをいただくように優雅につゆを啜った。
丼の底に残ったうどんを、音を立てないように、
慎重にむにゅむにゅと食べた。

いかんいかん、最後を飲み干すと禁断のゲップが。
ゲップを無理やり胃袋に押し返し、
「ご馳走さま〜」
会計を済ませ、長い階段を昇りきると、
いつもの街並が見えてきた。

路地を左に曲がり、更に奥を右に折れて、
人通りのない道に出た。
そこでゆっくり、音の出ないように、
おじさんは小さなゲップをした。
ごめんね。


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2014-10-12-SUN
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