MAGIC
ライフ・イズ・マジック
種ありの人生と、種なしの人生と。


『遺されたもの・後編』

まるで夏のような陽射しを浴びながら、
私は邸宅への坂道を上がった。

玄関に到着し、インターフォンを押すと、
なんとも賑やかな女性たちの声が聞こえてきた。

「お恥ずかしいことですが、
 ほとんどのものは人手に渡ってしまいましてね。
 それでも、この道具たちは
 絶対に遺そうと思いまして」

見たところ、どれも古めかしいのは否めない。
私は正直に感想を述べた。
「当時の素晴らしさを、今、表現するには、
 作り直すのがいちばんだと思います」

なんでも同じだと思うが、完成されたマジックでも
そのまま続けているといつの間にか古びてしまう。
人間が演じている以上、本来の意味や意志が
少しずつ薄れてしまうものなのだ。

そこで私は思い切った提案をした。
「もっとしゃべりを増やした方がいいと思います。
 で、セレブ感を盛りに盛って、
 『お皆さま、これからお素晴らしい、おマジック、
  どうぞ、ございますことよ〜!』
 なんてのは、いかがでしょう?」

この提案は瞬時に却下されてしまった。
私は動揺を隠しながら、
「まぁ、冗談はこれくらいにして、
 まずは遺品を全部、見せていただきましょう」

すると、麻由子さんが箱根細工のような
木箱を持ってきた。
「これもマジックの道具だと思うんですけれど、
 実は開け方が分からなくて」

表面の板をずらしたりして開ける、細工物の箱だ。
私は苦心惨憺、なんとか開けることができた。
ところが、箱の中にあるのは、
一冊のノートだけだった。
どうやら、これはマジック道具ではないようだ。

麻由子さんはノートを開き、
「本当に驚きです。
 これは、父のノートのようです」

『私はニューヨークの裕福な家に生まれ育ち、
 社交界で知り合ったマジシャンたちに感化されて
 マジシャンになったと伝えてきました。
 ですが、実は私は家族に捨てられてしまった
 身の上なのです。

 父母はヨーロッパからの移民で、
 ニューヨークで始めた事業に失敗、
 私を育てられずに施設に預けたのです。
 私は施設で育てられ、父母の顔を知りません。

 ある日、施設に慰問団がやってきました。
 その中にマジシャンの夫婦がいて、
 私は彼らの養子として引き取られたのです。
 ハイスクールを卒業する頃、育ての父母は言いました。

 『マジシャンなら、世界中のどこだって行けるよ。
  世界中を廻って公演していれば、
  本当の両親が見にきてくれるかもしれないよ』

 でもね、私は実の両親に会いたくて
 マジシャンになったわけではないのです。
 私は世界一周の船に乗り、世界中を巡る旅に出ました。
 それは、どこかにある、
 私の故郷を探す旅だったのです。

 そうして、私はついに、
 横浜に私の故郷を見つけたのです。
 
 私は、育ててくれたマジシャンに深く感謝しています。
 施設にきてくれた慰問団に感謝しています。

 人間のいちばんの罪は殺人、人を殺すこと。
 自殺もそうです。
 反対に、人間のいちばんの善行は人を育むこと、
 人を活かすことだと思うのです。

 私は、多くの人々に育てられ、活かされたのです。
 周りの人々は、決して裕福な人々では
 ありませんでした。
 私は思うのです。
 恵まれた人が富を分け与えることだけが善行、
 ボランティアではないのだと。

 私はいつか皆のもとを去るでしょう。
 どうか、私の遺したマジックで
 ボランティア活動を続けてほしいのです。
 
 これまでの私の嘘を許してほしい。
 私がこの世を去って後、
 誰かがこのノートを読んでくれることだろう。

 その時、私がいかに皆に感謝しているか、
 感じてくれたらと願っています。
 ありがとう私の家族、極東に見つけた故郷の人々』

皆でノートを囲んで読み進んだ。
「これまで、なんとなく父の気持ちを受け継いで慰問、
 ボランティア活動をしてきました。
 でも、今やっと父の想いを聞けたような気がします。
 小石さん、新しいマジック、
 父の意志を確かに受け継いだマジックを、
 どうか一緒に創ってくださいね」

麻由子さんの声が、
遠いところから飛んでくるように
聴こえてきた。

だが、もう私の助言など必要ないだろう。
麻由子さんの表情には、ハリソンさんと晴子さんの
想いが温かく宿っているのだから。

                 (おわり)

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2014-06-15-SUN
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