MAGIC
ライフ・イズ・マジック
種ありの人生と、種なしの人生と。


『遺されたもの』

メッセージが届いた。

「突然のメッセージ、どうかお許しください。
 わたしは吉岡麻由子と申します。
 以前にお世話になりました、
 今成晴子の娘でございます。
 実は、晴子は半年前に身まかりました。
 
 生前、晴子が、
 『マジックについて、分からないことがあったら、
  プロのマジシャンで小石さんという方に
  助言をしてもらいなさいね』
 そう申しておりました。
 
 そこで誠に不躾なお願いを申し上げます。
 一度、拙宅にお越しいただき、母の遺しました
 マジック道具を見ていただいて、
 あらためて助言などいただければと思い立ちました。
 お忙しいとは思いますが、ぜひともご検討のほど
 宜しくお願い申し上げます」

始めは何のことだかさっぱり分からなかったが、
お名前を何度も頭の中で繰り返すうちに
思い出すことがあった。

今成晴子さんは、横浜近郊の施設を巡る
ボランティア活動をされていた
アマチュアのマジシャンだった。
ずいぶん以前に、一度ショーを拝見したことがあり、
楽屋にお邪魔して、
「何か、アドバイスをいただけないでしょうか?」
「はぁ、いやいや、アドバイスなんてできませんが、
 あのマジックなら僕はこんな風にやるだろうなぁ、
 なんて思ったりして・・・」
などと、他愛ない会話を交わしたことがあったのだ。

実のところ、あまり確かな記憶、思い出はない。
ただ、どことなく気品のある
美しいご婦人であったことは覚えている。

晴子さんのご主人はハリソン・テレックという
米国人で、世界を廻る豪華客船の
専属マジシャンであった。
寄港先の横浜をいたく気に入り、
船を降りて横浜を終の住処と決めたという。
彼は、山の中腹にあるシアター・レストラン
『キャナレル』の専属マジシャンとなり、
『ハリソン・テレックの永遠の謎』
という、当時としては珍しいマジック・ショーを
長く公演することとなった。

シアター・レストランのオーナーは今成東次郎という
立志伝中の人物で、晴子さんは東次郎氏の長女であった。
ハリソン・テレックは晴子さんを見初め、
始めはマジック・ショーのアシスタントにぜひと
オーナーに懇願したのだった。

東次郎氏は反対したものの、
ハリソンのマジックに魅了された晴子さんに説得され、
渋々ながら了承したのだった。

やがてハリソンと晴子さんは愛し合うようになり、
結婚。
ステージでも良きパートナーとなり、
晴子さんの出現マジックは
『貴婦人の誕生』というイリュージョンとなり、
大評判となった。

『貴婦人の誕生』マジックは、
マジシャンが大きな鉢に種を数粒蒔くと
たちまち芽を出し、
茎は天井まで伸びて花をつける。
鉢いっぱいになった花の中央から、
美女が出現するというマジック、
イリュージョンで、晴子さんの気品あふれる美しさから、
いつしか『貴婦人の誕生』と呼ばれるようになった。

ふたりのショーは評判となり、
シアターは連日賑わった。
ところが、ハリソン・テレックが病に倒れ、
短い生涯を閉じてしまう。
晴子さんは気丈にハリソンのマジック・ショーを継ぎ、
自ら数々のマジックを演じ続けた。

細身のタキシード姿で、
『男と女、性を行き来する妖艶なるマジック・ショー』
と評判となるものの、東次郎氏の事業の失敗により
シアターは人手に渡ってしまう。

晴子さんは劇場やホールでショーを開催するかたわら、
ボランティアとして各地の施設を廻る活動を始めた。
いつしか娘の麻由子さんがアシスタントとなり、
『貴婦人の誕生』も再演されるようになった。


メッセージを読み返す度に、
私は様々なことを思い出した。
しかし、ほんの少しお話をしただけだったのに、
かくもありがたい言葉をご家族に遺されたのか。
となれば、万難を排して
ご自宅に伺わなければならないだろう。

まるで夏のような陽射しを浴びながら、
私は邸宅への坂道を上った。

               (つづく)

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2014-06-08-SUN
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