MAGIC
ライフ・イズ・マジック
種ありの人生と、種なしの人生と。


『見えない事情』

< ラーメン修業 >

ラーメン屋さんに入った。
奥のカウンター席に座ると、厨房が見えた。

ねじりはちまき、老眼鏡のおじさんが
額に汗をにじませてラーメンを作っている。
後ろで、まだ20代と思われる若者が
じっとおじさんの動きを見つめている。

ラーメン修業というのも、大変なものだ。
手取り足取り教わるのではなく、
こうして背後から師の技を盗まなければならない。

ふと、後ろの若者が口を開いた。

「はい、そこまで。
 ねぇ、これはウチのラーメンじゃぁ、ないよね。
 よく見なさいよ、ウチのラーメンに見える?
 違うでしょ?
 違いが分からないんなら、もう一回、作り直して。
 これじゃぁ、まだまだお客さんに出せないよ」

なんと、老眼鏡のおじさんは店主ではなかった。
後ろの若者は見習いではなく、
彼こそがこの店の主だったのだ。

あの歳で、若者に罵倒されながらのラーメン修業。
さぞかし辛く、口惜しい思いをさせられることだろう。
急に老人に見えてきてしまった老眼鏡のおじさんは、
いったいどのような事情で
ラーメン修業をしなければならなくなったのだろう。

ラーメンが運ばれてきた。
スープを味わい、熱い麺をすすりながら、
おじさんの見えない事情を思った。


< 匂うタクシー >

寒い夜更け、道ばたでタクシーを待っていた。
なかなか空車はやってこない。
凍えるような風に吹かれて、手がかじかんで冷たい。

やっと、空車がやってきた。
やれやれと乗り込んで行く先を告げた直後、
ただならぬ臭いに気付いた。
獣の汗、いや、おしっこの臭いだろうか。
猛烈に、臭っている。

私は慌てて窓を全開にし、鼻先を窓の外に出した。
冷たい風が吹き込むが、この臭いには
1秒だって堪えられない。

タクシーの中で、犬か猫が粗相をしたのだろうか?
それとも、酔客が粗相を?
だが、それならば
まず運転手さんが堪えられないだろう。

運転手さんは普通に停車させて、私を乗せた。
窓は閉まっていて、いつものように
普通に発進したのだった。
となれば、この臭いの元は、まさか運転手さん?

ひょっとすると、運転手さんに
持病とかがあるのかもしれない。
不躾な質問や抗議もはばかれる。
私は無言のまま、自宅近くまで乗り続けた。

タクシーを降り、運転手さんにまつわる事情に
思いを馳せた。
だが、的確な答えなど見つかるはずもない。
タクシーは臭う事情を内包したまま、
夜の街に走り去った。


< 破門 >

知り合いの落語家さんが、突如、
破門になったと聞いた。
師匠のところに弟子入りして、もう15年は経つだろう。
そろそろ、真打ちの声も聞こえてきそうな時期に、
まさかの破門。

漫才でもコントでも、あるいはマジシャンでも、
デビューしたかと思いきや、
あっと言う間に月日が過ぎてしまう。
いつまで経っても芽が出ない。
それでも、いつかきっとの想いを抱いて稽古に励む。
誰に何を言われても、そうそう簡単にやめられやしない。
なのに、彼はあっさりと破門を受け入れたのだ。

いったい、どのような事情があったのだろうか。

私は幸いにも、破門されることなく今日に至っている。
師は、私が弟子入りしてすぐに亡くなってしまったので、
破門するヒマがなかっただけかもしれないが。

絶対にタネ明かしをしないマジシャンのように、
人はそれぞれの事情を秘めながら生きている。
不思議なマジックのタネなら、
「ねぇ、あれって、どうなってんの?
 頼む、教えてちょうだい」
そう尋ねれば、教えてもらえるかもしれない。

だが、様々な事情を抱えている人たちに、
「おじさん、なんでラーメン修業してるんですか?」
「運転手さん、臭いの元はどこ?」
「破門された理由は?」
などと無遠慮に尋ねるわけにもいかない。
私はただ、彼らの見えない事情を
おもんぱかるばかりだ。

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2014-05-25-SUN
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