MAGIC
ライフ・イズ・マジック
種ありの人生と、種なしの人生と。


『日常の哲学』


< 腹のへる仕事 >

間もなく米寿を迎えられる師匠に、
久しぶりに仕事先でお目にかかった。
ご高齢のためか、寄席への出演は
めっきりと減ってしまわれた。
それでも、ひとたび高座に上がれば、
往年の飄々としたおしゃべりで客席を沸かす。

高座を終えた師匠が小さくつぶやいた。
「いやぁ、しゃべらないと腹がへらないんですよ」

私は大いに合点した。
私も、まるでお腹がすいていないのに、
ほんの10分、20分の出番でも、
終えると空腹になっている。
私の芸風ゆえ、それほどの熱演でもなければ
激しい動きもない。
それなのに、不思議とお腹がすいてしまうのだ。

師匠のたまわく、
「健康のため、ほとんど毎日1万歩くらいは
 歩いたリしてますよ。
 体操とか運動とか、やってみたりね。
 でも、腹ぺこにはなりませんなぁ。
 それがね、そこそこ10分くらいの高座で
 腹ペコになる、不思議ですなぁ」

出番の前に、弁当が配られてくる。
ついつい、お腹いっぱいになるまで平らげる。
満腹でズボンのベルトがきつくなる。
それでも、20分ほどの出番を終えると食べたものは
どこかに消えてしまったようになる。
確かに、不思議なものだ。

きっと、腹のへる仕事は好きな仕事なのだ。
好きな仕事は、腹がへる。

『笑う門には 空腹 来たる』


< イリュージョン >

日本語に訳せば、幻想だろうか。
かの立川談志師匠が、
「落語はイリュージョンなんだよ」
そう、おっしゃっていた。

子供番組の収録があった。
着ぐるみさんたちと一緒にステージに飛び出す。
子供たちの視線が、着ぐるみさんたちを追いかける。
子供たちは、着ぐるみさんを本物の生物と思っている。
大きな口の四角い生物、巨大なウサギのような生き物、
人間の言葉をしゃべる背の高いイタチ。
つまり、子供たちは間違いなく
イリュージョンを見ているのだ。

大人の私は、もうイリュージョンは見られない。
大きな口の四角い生物を見て、中の青年を思ってしまう。
着ぐるみさんたちの、ステージ裏での笑みを
ふと思い出してしまう。

子供たちに、マジックというイリュージョンを見せる。
しかし、四角い生物、巨大なウサギのような生き物、
背の高いしゃべるイタチという、
すごいイリュージョンには太刀打ちなんぞできやしない。
イリュージョンが満ちている空間の中では、
マジックが起こす幻想、イリュージョンは
埋没してしまうのだ。

録画しておいた番組を見てみた。
どのマジックにも、子供たちは
あまり反応しなかったように感じていたが、
意外とマジックの不思議を楽しんでいるように
思えるではないか。
番組のディレクターは言う。
「これぞ編集マジック、編集イリュージョンです」

横浜から電車に乗った。
前の席の女の子が、座るやいなや化粧を始めた。
相当に慣れているらしく、バッグから次々と
道具を出し入れして塗ったり描いたり。
電車は渋谷駅に着き、女の子は妖艶な女性になって
降りて行った。
誰かが言っていたのを思い出す。
「女性はみんな、イリュージョニストなんだよ」

『大人には大人の、イリュージョン』


< 象の鼻水 >

動物園に行った。
大きな象が2頭、のっしのっしと歩いている。
もっとよく見ようと柵に近づくと、
象もこちらに近寄ってくる。
そして、長い鼻をぶらんぶらんとしたかと思うと突然、
ビシャッと鼻水を飛ばしてきたではないか。
鼻水は、見事に私のジャケットを濡らした。
飼育員さんによれば、
「象の『あまり近寄らないでね』という警告なんです。
 でも、象の鼻水は無味無臭、すぐに乾きますよ」

確かに、柵から少し離れて立っている限り、
象は決して鼻水を飛ばさない。
柵に近づくと、鼻水飛ばしの態勢に入る。
その距離感は絶妙かつ正確なのであった。

『象の鼻水を、なめてはいけない』

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2013-12-15-SUN
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