MAGIC
ライフ・イズ・マジック
種ありの人生と、種なしの人生と。


『撮影日』


とうとう、撮影日がやってきた。

「小石さん、まだ先なんですが、
 出演依頼がありまして」

マネージャーからそう告げられたのは、
ずいぶん前だったような気がする。

時間はたちまち過ぎて、
今度は衣装合わせの日がやってきた。

衣装部屋で、用意してもらった衣装を着てみる。
タキシードの正装だ。
マジシャンだから着慣れていると思われがちだが、
私は実はまるで着慣れていない。
いつものステージ衣装は、
割とカジュアルなものを好んで着ているのだ。

それでも、ドレスシャツを着ると
背筋が伸びるような気になるから不思議だ。
「じゃ、それで」
どうやら、OKをいただいたようだ。
衣装合わせの後、少しだけ打ち合わせをして
この日は終了。

衣装合わせの日から撮影日まで、
まだまだ2週間という余裕があった。
その間、台本を読み、原作も読み直した。
ぶつぶつと、セリフの練習を繰り返した。
役の人物をイメージして、
何度も何度もセリフをつぶやいた。

そうして、とうとう撮影日がやってきた。

撮影場所は木更津だった。
アシスタントのNによれば、

「現地集合は朝の9時です。
 土曜日だし、ひょっとすると
 海水浴の車で混むかもしれないです。
 で、出発は5時、ですね」

早朝5時、迎えに来たNの車に乗った。
座席で横になって寝てようと思うのだが、
あれこれ考えたりして眠れない。
仕方なく、台本をめくってみたりする。

車はガラガラの高速を走って、
1時間ちょいで木更津に着いてしまった。
だが、それでもいい。
せめて時間だけは余裕たっぷりが、いい。

車内で待つうち、指定のビルの前に
トラックやワゴン車が次々に到着しだした。

「このビルの4階に、控え室がありますので、どうぞ」

案内されて、広い部屋に入った。
奥に様々な衣装がずらりと掛けられている。
私のタキシードも見える。
広いテーブルにはメイクの道具が並んでいる。

「簡単な朝食ですが」

おにぎりがふたつ、鮮やかな黄色の大根の漬け物が
2切れ入ったパックを渡される。
ほんのふた口くらいしか食べられない。
やはり私は緊張しているのだろうか。

「じゃぁ、衣装、お願いします」

フリルのシャツを着て、蝶タイを付けてもらう。
光沢のある細身の黒ズボンを履く。

「次は、メイクをお願いします」

テキパキと明確な指示にオロオロと従う。

次々に役者さんたちが入ってくる。

「あの、◯◯役の□□です」

「あぁ、どうも。私、◯◯役の□□です」

私も挨拶をするのだが、
緊張していてモゴモゴ返すばかりだ。
普段から滑舌が悪いのだ。

「では、撮影場所へ移動願います」

ビルを出て大通りを歩き、横道に入った。
スナックやバーの看板、ネオンサインが光っている。
なんだか昭和の匂いがする路地だ。
いま時こんな風景もあるのかと思ったのだが、
実は看板やネオンサインは
今朝に建てられたセットだと教えられてビックリ。
そうだよなぁ、朝からスナックやバーが
開いているはずもない。

スナック店内に入る。
総勢何人がいるのだろうか、
店内は人、人、人で埋まっている。
奥のソファー席に案内され、
役者さんたちと動きの稽古をする。
監督の指示を受け、何度も何度も繰り返す。
その間、セリフも繰り返す。

当然ながら、役者さんは誰も台本を持っていない。
すでにセリフが頭に入っているのだ。
私も頭に入れておいたはずなのだが、知らぬ間に
少し頭から出ていってしまったらしい。

「えぇ〜っと、次のセリフも続けてください。
 間を置かないで、畳み掛けるみたいに」

そう言われて、なんとかセリフが戻ってきた。
忘れてしまったわけではなくて、
いざ役者さんとセリフをやり取りするとなると、いわゆる、

「頭ん中が真っ白になって・・・」

というやつだ。

役者さんたちはごく普通にしゃべりながら、
あるポイントになるとセリフをキラリと光らせる。
脇役でも端役でも、どこかでひとつだけでも、
自分を光らせようとセリフに魂を込める。
目の前の役者さんもそうだ。
淡々としゃべりながら、
突然にギラギラしたナイフのようなセリフを
私に刺してくるのだ。
私はたちまち怖じ気づいて
役者さんの目を見つめるばかりで、
ついついセリフが遅れてしまう。

何かで映画監督の経験談を読んだことがある。

「撮影の前日は、役者と朝まで飲むんだよ。
 役者に寝てほしくないんだよ。
 そうすると、役者たちの充血して赤い、
 ギラギラした目が、撮れるんだよなぁ」

すごい。
すごい世界だ。

私もどこかでセリフを光らせ、
ギラついた眼差しを見せたいのだが、

「もうちょい、怒って」
「もっと、怒って」

監督の指示が続く。

名刺交換のシーンがあった。
これをOKが出るまで、はて何回繰り返しただろうか。
おそらく30回、それとも50回だろうか。
それを中腰でするものだから、翌日は筋肉痛になった。
太もも、ふくらはぎが痛いのなんの。
役者は肉体も鍛えておかなければならないと思い知った。

撮影は続いた。
昼食の休憩が終わり、再び撮影は続いた。
誰もが疲れているだろうが、誰も弱音を吐かない。

撮影の時は空調を止める。
エアコンの音が気になるからだ。
室内は異様に暑くなる。
だが、撮影が始まるとむしろ凍えるように
空気が冷たくなる。
誰もが息をしていないように、
役者の一挙手一投足に集中する。
役者は体温もなく、音もなく動くように思える。
セリフだけが生き生きと真っすぐに飛んできて、
耳に刺さる。

撮影は続いた。
いつしか外は暗くなり、路地のセットのネオンサインが
妖しく輝き始めていた。

(つづく、かも)

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2013-08-18-SUN
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