MAGIC
ライフ・イズ・マジック
種ありの人生と、種なしの人生と。


『芝山』

東京を江戸といった頃のお話でございます。
長屋に、誠二郎という手妻師が住んでおりまして。
手妻師というのは、今でいうところの手品師、
マジシャンのことですな。

誠二郎は昨夜の深酒がたたりまして、
なかなか目が醒めません。
女房のお勝が起こそうと声をかけます。

ねぇ、起きておくれよ。
そろそろ支度して出かけないと、仕事に間に合わないよ。

うぅん、なんだぁ、仕事だってぇ。
やだよ、行くもんか。
頼むよ、もう少し寝かせといてくれ。

だめだよ、あんたぁ。
今日は芝山の長衛門さんが直々に声をかけてくれた
仕事だよ。
行かないと申し訳が立たないよ。

分かった、分かったよ。
行きゃぁ、いいんだろ、分かったよ。
でも、長らく仕事してねぇから、ハトなんざぁ、
手に乗ってくれねぇんじゃ‥‥。

何いってんだよぉ、ちゃんとあたしが毎朝、
手に乗っけて調教してるわよ。

鉄輪だって、錆びてんじゃねぇのか?

鉄輪も毎日磨いてるからピッカピカですよ。

ちぇっ、準備がいいこったなぁ。
分かったよ、行ってくるよ。

誠二郎は、大きな荷物を背負って出かけます。
道すがら、いつまでもぶつぶつとぼやきながら。

あぁ〜ぁ、手妻師なんて、まったく辛い商売だぜ。
人様がまだ寝静まっている頃に起きて、
重い荷物背負って出かけなけりゃぁならないんだからなぁ。
あぁ〜ぁ、ヤな商売だぜ。

誠二郎がいつも仕事をしていたのは、
江戸中に数十軒もある寄席でございました。
毎日のように寄席に出る、
中堅どころの手妻師でございました。
ところが、酒好きでしょっちゅう出番に遅れる、
すっぽかすを繰り返して、とうとうお席亭から
出入り禁止となってしまったのでございます。

うん、まぁまぁ、良い手妻師なんだけどねぇ。
酒のせいで遅れたり休んだり。
それもそうだけれどもね、どうにも手妻がねぇ。
なんというか、上手いんだけれども、
面白みに欠けるっていうかね。
ほら、寄席だから面白くないとね。
だから、誠二郎さんだけの
面白い手妻っていうのができれば、
いつだって高座に戻ってほしいんだけれどさ。

寄席に出られないとなると、
ちょいと遠くの村の祭なんかに出て稼ぐしか
手がありません。
今日も、誠二郎は山の上の芝山村を目指して
細い道を昇って行くのでございます。

まだ陽も昇らねぇや。
いくらなんでも、家を出るのが早過ぎたんじゃぁねぇか。
お勝のやつ、時間を間違えたんじゃねぇか。
ちぇっ、そうかといって
今から戻って文句いうわけにもいかねぇ。
しょうがねぇ、あそこのほこらで
少し休ませてもらうとしよう。

草ぼうぼう、荒れ果てるままの小さなほこらに入り、
誠二郎は水筒のお茶を飲んでおります。

ほこらの裏手、木々が生い茂る方向から、
奇妙な声がかすかに聞こえてきます。

なんだろう、気味の悪い声が聞こえるぞ。
人里からはだいぶ離れてるし、
人が住んでるようなところでもない。
でも、やっぱり、人の声だよ。

誠二郎がほこらの裏側の節穴を覗きますと、
何やらうごめく人の姿が見えます。

うん? やっぱり、人がいるなぁ。
修験者かぁ?
うん? なにやら木の枝を掴んで、
ぶつぶつ唱えてるのか?
そうだ、そうだよ、紅い木の実を食べてるんだな。
ずいぶんたくさん生ってるなぁ。
あんなもの、美味いのかねぇ。

いや、食べてるだけじゃない、
なんか一心不乱に唱えてるなぁ。
おっ、こっちを向きやがった。
おっ、また向きやがった。

あれぇ、違うぞ。
こっちを向いてんじゃねぇ。
体は紅い木の実の生る木の方を向いていて、
こっちは背中だ。
なのに、頭だけがくるっと回ってこっちを見てるぞ。

体はあぐらをかいているのに、頭だけが回ってやがる。
なんだぁ、ありゃぁ。
修業を積めば、あんなことができるっていうのかい。

うん? 待てよ、頭を回す前に
紅い木の実を食べてたよなぁ。
ひょっとして、あの紅い木の実を食べると、
あんな奇妙なことができちまうってことか?

しばらくすると、修験者は木々の奥へと去って行きます。
恐る恐るほこらを出た誠二郎は、
さっきまで修験者のいた場所へ向かいます。
確かに、紅い木の実がたわわに生っています。

誠二郎は、ためらいながらも好奇心につられて
木の実を口にしました。
苦く、酸っぱい木の実でありました。

うへぇ、不味いねぇどうも。
こんな不味いのを、よくもまぁ食べたもんだぜ。
誠二郎は思わず首を左右に振りました。
と、木の幹のすぐ横に、小さな水たまりがありまして、
そこに誠二郎の顔が映っているではありませんか。

ひょいっと見るってぇと、なんと、
誠二郎は木の実の不味さに
首を左右にぶるぶるっと振っていると思ったのに、
首が、頭がぐるぐると回っているのが
映っているのでございます。

ひぇぇぇ〜、なんだこりゃぁ。
首が、頭がくるりくるりと回ってるぜぇ。
さっき見た修験者と同じだぁ。
そうかぁ、この、紅い木の実を食べたせいだ。

誠二郎はもう一度、紅い木の実を食べました。
うへぇ、不味い。
あぁ、やっぱり頭が回り出したぁ。
不思議なこともあるもんだ。

待てよ。
こりゃぁ、ひょっとすると、
神様がおいらに授けてくれた、
おいらだけの魔法、術かもしれねぇ。
この紅い実さえありゃぁ、おいらは江戸一番、
いや、日本一の手妻師になれるに違ぇねぇ。
やったぁ、とうとう見つけたぜぇ。

                (つづく)

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2013-02-24-SUN
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