MAGIC
ライフ・イズ・マジック
種ありの人生と、種なしの人生と。


2週にわたって、マジシャン双六と題して
我が来し方を振り返ってきた。

力強く前進できたかと思えば、
空しく後退した日々もあり。
だが、あらためて思い返してみれば、
前進と思っていた出来事が、
「あれぇ、こりゃぁむしろ後退だよなぁ」
であったり、後退だったと反省していた事柄が、
「いやいや、もがきながらも
 思いは前に進んでいたのかも」
だったり。

進むも戻るも表裏一体、
休むことで見えてくる明日もあるのだ。
なんてね、いかにも達観したように綴りながらも、
未だ遠く遥かな頂、『上がり』を見つけようと
目を凝らす今日この頃でございます。

したがって今回のお題。

『マジシャン双六(すごろく)最終章』

1992年、イタリアのローマにてテレビ出演。
不思議なことに、年代が新しくなるにつれて
記憶が曖昧になる。
20年前の出来事はあれこれ覚えているのに、
10年前の事は記憶が曖昧だ。

ローマでのテレビ出演も、はてどんな番組だったか。
ただ、周辺で起きたしょうもない事柄だけが思い出される。

泊まっていたホテルに、テレビ局から派遣された通訳が
やってきた。
ローマ在住の日本人男性だった。
この男がとてもいい加減で、収録時の通訳も、
「本当にちゃんと伝えてんのかぁ?」
と思うほど短い。
とにかく面倒なことが嫌いなようで、
「まぁ、OKじゃないですかぁ」
が口癖だった。

収録の現場は、彼の不適当な通訳で混乱した。
万事休すと思いきや、以前から顔見知りの
イタリア人マジシャンがスタジオに来てくれて、
それは見事に我々のマジックを説明してくれたのだった。

「遠くの同胞より、近くのローマ人だなぁ」
収録後、イタリア人マジシャンと打ち上げをしつつ、
僕は不思議な感慨に耽っていた。
< 1つ、すすむ >

1993年、アメリカ・ニューオリンズのマジック大会に
ゲスト出演を果たす。

マジック大会のコンテストに出るというのは、
これまで幾度も経験してきた。
これはまぁ、大会に勝手にお邪魔しますというところ。
ところが、今回はゲスト出演である。
大会に招かれたお客さまに昇格したのだ。

コンテストに出てもギャラはいただけない。
当たり前だ。
ギャラどころか参加費を払わなければならない。
ところが、今回はゲスト出演であるから出演料、
ギャラをいただけるのだ。

アメリカで出演料をもらうとなると、
労働ビザが必要になる。
あれこれ英語で書類に記入しなければならない。
目の色をBlackと書いてBrown、
顔の色はYellowと記入してMiddleと修正された。

僕は物事を知らないのだということを、知った。
< 1つ、すすむ >

1996年、初めて台湾のテレビに出演した。
それもいきなりレギュラーだった。
『歓楽一級棒』というバラエティーで、
若者向けの人気番組であった。

僕は日本語でしゃべり、それを通訳者が司会者に伝える。
司会者は小さなイヤホンで聴き、
それを自分の言葉にして観客に話しかけるのだ。

司会者が才能あるらしく、観客は大笑いする。
僕のしゃべりが面白くてもそうでなくても、
司会者のトークはいつも大爆笑だった。

ただ、番組が続くにつれて、
僕の評判が奇妙に変化していった。
街を歩いていると、女の子たちが、
「あっ、変態、スケベの手品師だ。キャー」
と叫ぶのだった。

どうやら司会者が僕のしゃべりを変態化、
スケベ化して観客に伝えていたらしい。
< 3つ、もどる >

1997年、ドイツ・ドレスデンのマジック大会に参加。

ホテルに連泊して最終日、チェック・アウトの日を迎えた。
宿泊料金等の請求書の金額を見て驚いた。
日本円にすると100万円を超えているではないか。
慌てて再チェックをお願いすると、
いきなり10万円くらいに減額された。

もちろん、わざと高額にしたのではない。
ダマそうとするなら、
もう少しまぎらわしい金額にするものだ。

ある国で、コーラを売っているおじさんがいた。
1本、日本円で1万円だという。
「おじさん、それはちょいと高いよ」
苦情を言うと、直ちに千円、更に百円と値引きをする。

僕はおじさんにアドバイスした。
「始めから千円にしとけば、千円で買うと思うよ。
 1万円だと、やっぱり、気付くよ」
すると、おじさんは、
「もし1万円で売れたら、後はずぅっと遊んで暮らせる」
おじさんはギャンブラーだったのだ。 
< 1回、やすみ >

1998年、カナダ・モントリオールの
コメディ・フェスティバルにゲスト出演。

世界各地のマジック大会には多く出演してきたが、
コメディ・フェスティバルは初めてだ。
マジック・コンテストでは
採点によって順位という評価が下される。
ところが、コメディ・フェスティバルとなれば
評価はただひとつ、観客の笑いである。

恐かった。
なんせ、あちこちでシーンとされた経験がある。
ウケないままステージを降りると、
直前まで温かかったスタッフの視線が
氷点下まで冷えている。

「ウケなくたって、いいや。
 世の中はカナダだけじゃない、世界は広いぞ」
開き直ってやったら、ウケた。
開き直ればカナダもハッピーなのであった。
< 2つ、すすむ >

2001年、テレビ東京系『マジック王国』に
レギュラー出演を果たす。

毎回、若手のマジシャンに出演してもらった。
その多くが、後年マジック界のスターに成長してくれた。
振り向けば彼らの顔があったのに、いつの間にか、
彼らの背中を追いかける自分がいた。
先行逃げ切りは、なかなかに難しい。
< 2つ、もどる >

2001年以降、ニューヨーク、シカゴ、ハーグ(オランダ)、
香港、上海などに出かける。

話を急にはしょって今年、2013年まで一足飛び。
あの長寿番組『笑点』の演芸コーナーへの
最多出演記録更新を目指す。
< 1つ、すすむ >

青い鳥を探し歩く物語のように、
我がマジシャン双六の『上がり』は海外より国内、
すぐ近くにあったりして。

あの『笑点』マニア、親衛隊のようなお客さんの前で
十八番の『あったま・ぐるぐる』を演じる。
もう50回近くも出演し同じネタをやるのだが、
お客さんも負けじと同じように笑ってくれるのだ。

「あはははは、またやってるよ。
 本当に、よく飽きないもんだねぇ」

僕も同様に思う。

「あはははは、また笑ってるよ。
 本当に、よく飽きないもんだねぇ」
< 上がり >

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2013-02-17-SUN
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