MAGIC
ライフ・イズ・マジック
種ありの人生と、種なしの人生と。


『涼しいお話』


『動く天井』

アジアの各国を頻繁に訪れている友人がいる。
毎年のようにアジアの奥深いところまで出かけ、
時には危険な目にあったりもしている。
それでも、彼は幾度もアジアを目指す。

日本が初夏を迎えた頃、彼はアジアの某国にいた。
宿はずいぶんと安かった。
ただ数時間、寝るだけの宿、部屋が小さくても
衛生的でなくても、一向に気にならない。
酒をたらふく飲んで、ベッドに倒れ込んだ。
電気を消すと、ただでさえ薄暗い部屋が真っ暗になった。
天井も真っ暗、眠りに落ちた。

朝、目が覚めた。
眩しいような陽射しが部屋に入り込んでいる。
そうかぁ、こんな部屋に泊まっていたのか。
ふと天井を見ると、なぜか天井だけが真っ暗のままだ。
枕元のメガネをかけ、じぃっと天井を見つめた。

天井は微妙に動いていた。
黒い無数の粒々がムズムズと動いている。
数えきれない何かが天井にへばりついていて、
陽射しに温められて動き始めたらしい。


『落下』

マジシャンは、ひとりの観客をステージに招き入れた。
ステージ中央には、ギロチンと呼ばれるマジックの道具が
立っている。
上方に大きな中華包丁のような刃物が見える。
下方には人間の首が入る穴が開いている。

マジシャンは観客の男性の頭を穴に入れ、
逃げられないように鍵を掛けた。

「さぁ皆さん、今からこのロープを離すと、
 上からあの大きな刃が落ちてきます。
 ロープを離して刃を落とした方がいいですか?
 落とせ、という人は拍手をお願いします」

残酷な観客は、大きな拍手をする。
その反響に応えて、マジシャンも拍手をしようとする。
その瞬間、マジシャンの手からロープが外れた。

ドシーン。
普通なら、刃は落ちても
観客の頭は傷ひとつなく胴体にくっついている。

だが、この日は違った。
刃が落ちた瞬間、黒いフサフサした何かが
ステージ上に転がった。
マジシャンは気を失いそうになりながらも、
慌ててその黒いフサフサを拾い上げ、
頭があるはずの穴に戻そうとした。
穴には、ちゃんと観客の頭があった。

怪我ない、無事なままの頭があった。


『老マジシャン』

やれやれ、今日の仕事もきつかった。
あちこちの骨がきしむように痛い。
こういう時は酒を飲んで早めに寝ちまうに限る。
老マジシャンは、冷蔵庫の酒に手を伸ばした。

年々、仕事が辛くなってくる。
だが、仕事さえすればその日のうちに日銭が入ってくる。
ありがたいことだ。
普通の職業ならば、とっくに定年退職している年齢だ。
たとえ僅かでも、日銭を稼ぐ術はないだろう。

プロ・マジシャンになって、
アッと言う間に50年が過ぎてしまった。
同期のあいつも、一緒に魔術団を組んでいたあいつらも、
ずいぶん前に逝っちまった。
ひょっとすると生き残ってて、
しかもまだ現役を続けているのは
オレだけになっちまったかなぁ。

オレのマジシャン人生は、
はたして幸運なんだか不幸なんだか。
色々なことを思い迷っているうちに、
すっかり酔いが回ってしまった。
老マジシャンはいつの間にか眠りに落ちた。

翌日は、早くに楽屋入りした。
昨日のオレのマジック・ショーは、大してウケなかった。
やはり、デビューした時からの得意ネタを
やらなかったせいだろう。

実をいうと、あのロープ抜けは段々きつくなっている。
しかし、このネタは絶対にウケる。
いわゆる、鉄板ネタというやつだ。
今日こそはこのロープ抜けでウケまくらなければならない。
なんせ、劇場の支配人がオレのステージを見てたからなぁ。
今日もウケないとなれば、別のマジシャンを
手配するに違いない。

老マジシャンは鞄から太いロープを取り出した。
ロープは手あかで赤茶けている。
無理もない、このロープ抜けを始めた頃から
使い続けている。
つまりは、もう半世紀もの長い間、
同じロープを使い続けていることになる。

ロープくらい、新しいのを買えばいいじゃないか
という人もいる。
そんな風に考えるのは、マジシャンの気持ちを
まるで理解しないやつらに決まっている。

マジシャンは、手になじんだ道具を使いたいのだ。
新しい道具は、どうにも気持ちを不安にさせる。
使って使って、まるで自分の手の一部になったように
感じられる道具だけが、
マジックの不思議を支えてくれるのだ。

出番がやってきた。
相変わらずウケが悪い。
だが、最後のロープ抜けを見るがいい。
あまりの恐怖、不思議さに絶叫するに違いない。
老マジシャンは客のひとりにロープを渡し、

「さぁ、私の首にそのロープを掛けて、
 何度も巻き付けてください。
 そしてその端を、後ろのポールの一番高いところに
 結んでください」

ロープが首に食い込んでくる。
端はポールに結ばれていて、
老マジシャンはつま先立ってなんとか呼吸をしている。
苦しい表情は、黒い布袋を顔面にかぶせていて見えない。
苦しい息づかいだけが聞こえてくる。
そうして、次の瞬間、老マジシャンはロープから
首を抜いてしまうのだ。
あの太いロープは、黒い布袋だけを
グルグル巻きにしたまま、ポールに垂れ下がっている。

観客は驚嘆し、拍手はいつまでも鳴り止まない、
はずだった。

老マジシャンは、いつもの手順で
ロープから首を抜こうとした。
が、新しいシャツの襟の滑りが悪いからか、
抜けない。
無理に抜こうとすると、逆にロープが首を締め付ける。
老マジシャンは、意識を失い始めた。
すると、体重が首のロープに掛かって
増々きつく締まっていった。

老マジシャンは病院のベッドに寝ていた。

「はて、どうしたことだろう。
 オレはロープ抜けに失敗して、
 死んだのじゃなかったのか」

ふと気付くと、医者らしき男がベッドを覗き込んでいた。

「意識が戻りましたね。
 いやぁ、良かったです」

老マジシャンはおずおずと質問をした。

「あの、私はどうやってロープから抜けたのでしょうか?」

医者はニッコリと笑みを浮かべて、

「実はですねぇ、
 ロープが重みに堪えかねて切れたんですよ。
 あのロープねぇ、いやもう、何年お使いになったのか、
 中はボロボロになってまして。

 あれがまだ新しいロープだったら、
 あなたは今頃・・・」

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2012-08-12-SUN
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