MAGIC
ライフ・イズ・マジック
種ありの人生と、種なしの人生と。


『夏の始まり』


『まだ梅雨はあけておりませんが、
 初夏の気候を感じるこの頃です。
 さて、今年も夏の鱧を楽しむ会を企画しております。
 皆様とお会いできるのを楽しみにしております』

今年も、Yさんからありがたいメールが届いた。
夏の鱧となれば、万難を排して参加しなければならない。
その日の朝に届いた新鮮かつ極上の鱧をいただく機会など
めったにないのだから。

『当日は、午後5時にお越しください』
Y家のご馳走は量も半端なく多い。
ゆえに、午後5時には
腹ペコ状態に持って行かなければならない。
これが、なかなか難しい。
朝食は紅茶と小さなサンドイッチで済ませ、
昼食は茶碗半分のごはんと漬け物、みそ汁にした。

午後4時半、一緒にY家に行くTさんが
車で迎えに来てくれた。
車中、今回の鱧会への期待を話し合う。
15分ほどでY家に到着、玄関のチャイムを鳴らす。

「やぁ、いらっしゃい。
 もうね、準備万端、部屋も冷やしてあるからね」

大きなテーブルの上に、これでもかの料理が並んでいる。

「Tさん、シャンパンを開けてくださいね」

シャンパンを開けるのは、いつもTさんの役割なのだ。
Tさんは慣れた手つきでコルクを外し、
すぐに軽やかなポンという音が聞こえた。

「今回はねぇ、なかなか美味しいと思うロゼにしました。
 まだKくんファミリーが来てないけど、
 乾杯しちゃいましょう」

乾杯の後、まずは自分の目の前の料理を眺める。
目の前にあるのは、京ナスの味噌田楽。
素揚げされ、半分に切られた京ナスに
淡い色のアンがかかっている。
味噌アンの香りが、空っぽのお腹を
グルグルと鳴らしてしまいそうだ。

皮付きのメロンを、生ハムが覆い尽くしている。
初めて生ハムとメロンを食べた時、
「なんだこりゃ?」
と思ったものだ。

「日本じゃスイカに塩だからね。
 たぶん、それと同じで
 甘いメロンに生ハムの塩気が合うんだろうね」

そう聞いて納得して以来、
生ハムとメロンは美味しくなった。

大皿に蓮根とインゲン、鶏肉の南蛮風が盛られている。
見事に香ばしい焦げ目がついていて、
「まずは、これから食べたい」
と秘かに思う。

小鉢に盛られているのは、鱧の卵。

「鱧はいつものように今朝、届いてね。
 卵はほんの少ししかとれないのね」

ホロホロと崩れそうな黄色い塊に、
細切りのショウガが乗っている。
確かに量は少ない。
しかし、たまらなく美味しそうだ。
「遠慮してたらありつけないかも。
 始めはこれからいただいてしまおうか」
私の中の悪魔がささやく。

主役の鱧は、氷を敷いた丸皿に盛られている。
梅酢をつけて食べる。
もう一方の丸皿には、鱧の揚げ煮。
鱧のダブル・キャストと言うべきか。

前回の鱧会では、さばく前の鱧を持たせてもらった。
その太さ、長さ、重さに感嘆したものだ。

シャンパンをいただいているうちに、
Kくんファミリーも到着した。
皆すでに飲み、パパイヤの器に盛られたビシソワーズを
いただいたりしている。
私はすかさず、

「僕はね、Kくんたちが来るまで待とうと言ったんだよ。
 でも、皆腹ペコだから食べちゃってさ」

と言うのだが、他から、

「いえ、小石さんが一番早く食べ始めましたよ」

と指摘される。

京ナスの田楽は美味しい。
ナスはとろけるようで、甘辛の味噌アンとともに
舌の上に短く滞在し、喉を滑り降りてゆく。

メロンには生ハムだと今は思う。
同時に、子供の頃に縁側で食べたスイカを思い出す。
口の中はメロンに生ハムなのだが、
塩をかけたスイカの味、香りもよみがえる。

カラリと揚がった鶏肉は甘辛で
少し酸っぱいソースが絡んでいて、美味しさへの一本道。

いつの間にか赤ワインがデキャンタされていて、
グビッと飲む。
甘辛、ちょい酸っぱいソースと混沌となり、恍惚。

主役は少し遅れて登場するもの。
鱧は一口大に切り分けられ、
とろけかけた身を氷でしめられている。
梅酢をつけて食べると、淡白な鱧が肉化するようだ。
しっかりと、鱧の身肉の弾力と白身の甘さを感じるのだ。

ダブル・キャストのもう一方、鱧の揚げ煮を食べる。
歯ごたえは鶏肉のようだが、
ちゃんと白身の端正な味がする。

鱧と鱧の間を、皆の箸が行き来する。
梅酢の鱧と揚げ煮の鱧が大皿から同じ早さで減ってゆく。
梅酢の鱧を食べると揚げ煮の鱧を食べたくなる。
揚げ煮の後は梅酢のさっぱりが欲しくなる。

ワインを2、3杯飲んだ頃、

「は〜い、焼けました」

真ん中が見事にレアなロースト・ビーフ。
私は急いで胃の中にロースト・ビーフの居場所を作る。

テーブルで擦り降ろしたワサビを乗せ、醤油をたらす。
他のどれとも違う、ロースト・ビーフは
ロースト・ビーフの味。

Y家のロースト・ビーフは、かなり年期が入っている。
始めに見せてもらった大きな赤い肉の塊、
25センチ四方はありそうな、重そうな肉の塊。
塊はオーブンで焼かれ、ステーキのような厚さに
切り分けられて皿に並べられている。
1枚、また1枚と皿から消えてゆく。

次第に皆の話題がマジックのこと、
マジシャンの話で盛り上がってくる。
Yさんはマジックにとても造詣が深い。
奥様もYさんに付き合ってマジックの大会に参加され
たりしていて、時に辛辣な批評をいただいたりする。

皆でこの場にいないマジシャンの悪口を語り合う。

「だから、ダメなんすよねぇ。あの◯◯」

「□□、あれもひどいねぇ。
 気の毒に、才能がないのだろうねぇ」

かの古今亭志ん朝師匠がマクラで述べられていた。

「どうしてもねぇ、みんなで酒を呑むってぇと、
 いない落語家の悪口ばかりになっちゃう。
 逆に、落語家ホメながら酒呑むと悪酔いしちゃう」

マジシャンも同様である。
マジシャンの悪口は二日酔い防止に必要不可欠なのだ。

大いに飲み、騒いで、口福、幸福な夜は更けてゆく。
食べ残したロースト・ビーフ、鱧など、心配無用だ。
ちゃんとお土産にパック詰めしてもらう。
満腹でも2個は食べてしまう、
絶品の〆の稲荷も詰めてもらう。
皆、早くも家に帰ってから再び食べることを夢想している。

Y先生、奥様、本当にご馳走さまでした。

『 長いもの 巻かれずに食えと 我が師云い 』

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2012-07-22-SUN
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