MAGIC
ライフ・イズ・マジック
種ありの人生と、種なしの人生と。


『マジシャンはつらいよ お袋の味』


1年半ぶりに故郷へ帰ることになった。
打ち合わせやら収録やら、
何かと時間がかかるネットの仕事が続いて、
長く帰郷できないでいた。
その間、母が骨折して入院したりした。
それでも、不肖の息子は帰れずにいたのだった。

母から葉書が届いた。

『永い間御無沙汰致して居ります。
 お元気ですか。
 私も元気です。
 今◯◯といふ所で御世話になっています。』

◯◯は、故郷にあるデイケアセンターだ。
僕の姪が務めていて、以前に行ったことがある。
多くの高齢者たちがいて、
なかには長期入所している方もいると聞いた。

僕は実家に電話を入れてみた。
幸いにも母は電話に出てくれて、
あれこれ話はできたのだが、
会話の中身はどうにも要領を得ない。
僕は帰る決心をした。

朝9時37分、品川から新幹線に乗った。
席に座ると、急に良からぬ想像ばかりが浮かんできた。
電話の母の声はいつも通りだった。
だが、話の内容はどうにもチグハグだった。
母はデイケアセンターにお世話になっているという。
実家ではなかなか面倒を
見切れなくなったということだろうか。
届いた葉書の、他人行儀な文面も気にかかる。
「お母ちゃん、どうか元気でいてくれよ」
僕は心のなかで祈った。

11時11分に名古屋駅に着き、在来線に乗り換えて
11時45分、岐阜駅に辿り着いた。
「ヤッホー、いつもの所で待っとるでね〜」
姉から電話があり、
駅近くで待ってくれている姉の車を目指した。
車には、いつもの通り90歳の父が助手席にいた。
いつも姉の運転で送り迎えをしてもらい、
助手席には父がいるのだった。
いつも通り、助手席に父がいた。
父は、変わらず元気でいてくれた。

車に、いつもの通り母はいなかった。
母は長い時間車に乗りたがらないのだ。
姉に母のことを尋ねたいのだが、なぜか言葉にならない。

途中スーパーへ寄り、カラシ豆腐を買った。
カラシ豆腐とは、丸い豆腐の真ん中に
練りカラシが入っているものだ。
豆腐と醤油とカラシが妙に合って、実にうまい。
子供の頃からの好物で、故郷に帰ると
まずはカラシ豆腐が食べたくなる。

1年半ぶりに、故郷の実家に着いた。
いちばん上の姉が迎えに出て、
「おかえり、お母ちゃんは今日は◯◯に行く日で、
 5時には帰ってくるでね」
僕が聞く前に教えてくれた。
「空豆が生っとるでね。
 穫ってきて食べるかね」
実家のすぐ近くの畑には空豆やブロッコリーが育っている。
畑で収穫をするのは、なんとも楽しいものだ。
僕は畑で空豆を穫り、姉に焼いてもらった。
「空豆はこんな感じの焼き具合でいいかね」
穫りたてを焼いた空豆は味が濃く、
僕はビールをゴクゴクと飲んだ。

あれこれ、ふたりの姉たちと話をした。
父はすでにいつもの農作業に戻っている。
「もうすぐかねぇ、お母ちゃん戻ってくるよ」
外に出て、デイケアセンターの送迎バスを待った。
車が到着した。
母が降りてきた。
母の手を取り、玄関に連れて行った。
「ありがと、おおきに」
母は、変わらぬ様子だった。
僕は、急に酔いが回ってしまった。

「お母ちゃん、元気やけどね、
 週に2回、デイケアセンターに行ってもらっとるでね。
 その方が同じ年配の人と話もできるしねぇ。
 刺激もあるし、みんなで葉書書いたり字を習ったりねぇ。
 そのお陰で元気やし。
 まぁ、耳は遠くなってまって、
 話が通じんことあるけどねぇ」

そうだったのか、それで電話での会話が変だったのか。

「ブロッコリー穫ってきたんか、
 ほんなら茹でたろか」
母がブロッコリーを茹でて持ってきてくれた。
まだ湯気が立っているブロッコリーに、
マヨネーズがかけられている。

食べると、残念ながらアルデンテではなかった。
やや固いくらいの方が美味しいと思うのだが、
このブロッコリーは茹でたというより
煮たという方が正しいくらいに柔らかくなっている。
箸で持つとクタァ〜と折れ曲がり、
口に入れると舌の上で
マヨネーズとともにとろけてしまいそうなのだ。
母が、笑顔を浮かべて僕の食べる様子を見ていた。

そうだ、そうなのだ。
90歳になろうとする母は耳も遠くなり、入れ歯なのだ。
その入れ歯も、普段は外してしまっている。
この目一杯煮込まれたブロッコリーは、
歯などなくても食べられるのだ。

「お母ちゃん、ブロッコリー、うまいよ」
急に、クタクタのブロッコリーが美味しくなった。

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2012-06-17-SUN
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