MAGIC
ライフ・イズ・マジック
種ありの人生と、種なしの人生と。

『バジルの森』

まだ春は遠いのだろうか。
それとも、もうすぐ近くまで来ているのだろうか。

春になれば、
ベランダのプランターでバジルを育てよう。
もう、毎年のことだ。
3、4年前は、プランターが隠れてしまうほど
育ったものだ。
それが、このところ不作続きである。
タネから育ったのも、苗を植えたのも、
どうにも育ちがよろしくない。
数回収穫してしまうと、
もはや数枚の葉を残すのみになってしまう。

昨年の夏のこと、
「今年もバジルは不作のまま、おかしいなぁ。
 液肥を買ってきて与えたりしても、
 思うように育たない。なぜだろう」
思いを巡らしつつ、駅への道を歩いていた。
すると、途中の一軒家の庭先に
まるでゴッホの『ひまわり』、
あるいは『アイリス』のように、
小さな鉢から溢れんばかりに
バジルの葉が生い繁っている光景が目に飛び込んできた。

本当に小さな鉢が3つあり、
どれにもバジルが植わっている。
バジルたちは押し合いへし合いしながら枝を伸ばし、
葉は幾重にも重なり合って
美しいグラデーションを見せている。
そんな鉢が3つもある。
まさに、庭先のバジルの森のようだ。

翌日も、バジルの森を見に行った。
相変わらず、艶やかな緑の葉を重なり合わせている。

その次の日も、私はバジルの森を見に行った。
ほぼ毎日、バジルの森を見に行くようになった。

さて、我が家のバジルは大きなプランター、
たっぷりの腐葉土に植えられている。
なのに、森でも林でもない。
細い枝が弱々しく伸び、
「すいません、ちょっと風邪ひいたみたいです」
とでも言っているように縮こまっている。
自称マジシャン兼ベランダ農夫の私としては、
これが不思議で仕方ない。

「向こうは小さな鉢に少ない土なのに森になっている。
 我が家は大きなプランターに栄養たっぷりの土なのに
 まるで育たない。なぜだろう」

毎日のようにバジルの森を観察していると、
水さえもあまりやっていないようだった。
バジルの森に隠れた土を覗くと、いつも乾いている。
更に不思議なことに、まったく収穫された形跡が
ないのだった。

ある日、バジルの森の中のひと鉢が倒れていた。
無理もない、完全に逆三角形になっていてバランスが悪い。
きっと風で倒れてしまったのだろう。
私は鉢に近づき、助け起こしてあげた。
と、その瞬間、家の玄関ドアが開いて奥様らしき女性が
出てきた。
私はまだ鉢に手をかけている。
バジルの鉢を盗もうとしている泥棒と疑われては大変と、
私は女性に話しかけた。
「あの、鉢が倒れてたんで。
 あの、ずいぶんと育って、すごいですね」
女性は私を鉢泥棒と疑うそぶりをも見せず、
バジルにもまったく興味を見せないまま、
駅方向へ歩いて行った。
私は彼女を見送るように立ちつくし、
再びバジルの森を眺め続けた。

翌日も、バジルの森を見に行った。
葉の一枚も食べられた様子はない。
その次の日も、その次の日も、
バジルは食べられていなかった。

あれだけバジルの葉があれば、
ジェノベーゼが何回できるだろう。
バジルの森ひと鉢分でも、
軽く10人前のジェノベーゼ・ソースができるに違いない。
それほどに生い繁っているのだ。

だが、バジルの森は一切食べられないままに庭先にあった。
ビニールやプラスチックでできた葉のように
変わらないまま、ただ繁っていた。

あれほど暑かった夏も終わりかけていた。
それでも、バジルの森はたっぷりと
葉を茂らせたままだった。
相変わらず、人間にも虫にも食べられていなかった。

更に季節は移ろい、風が冷たくなった。
バジルの森は、だんだんと緑の色を薄くしていった。
色は更に薄くなり、薄緑から薄茶色に変わっていった。
森はどんどん枯れていくのだった。

ある日、バジルの森は立ち枯れていた。
小さな鉢から、数本の枝だけが伸びている。
その枝も途中から折れて、がっくりと肩を落としている。

バジルの森は消え、私には疑問だけが残った。
「なぜ、あんな小さな鉢で、大して世話もされないのに
 見事なまでに育ったのだろう。
 あれほど育ったのに、なぜ食べられなかったのだろう」

私は私の師である世界一幸福なマジシャン、
パルテッラ様に教えを乞うことにした。
パルテッラ様は、いつものように優しく
私の疑問に応えてくださいました。

「小石くん、よく聞くのですよ。
 その女性にとっては、バジルは食べるものではなく、
 観葉植物であったのですよ」

このページへの感想などは、メールの表題に
「マジックを読んで」と書いて、
postman@1101.comに送ってください。

2012-02-26-SUN
BACK
戻る