MAGIC
ライフ・イズ・マジック
種ありの人生と、種なしの人生と。

『わけあり』

私はとある駅前の商店街を歩いていた。
雑多なものが並べられている店先にちらりちらりと
目をやりながら、歩いていた。

すると、靴屋さんの店先の、
一足だけ離れて置かれた靴に目が止まった。

驚くことに、値札は
『特価 980円』となっているではないか。

サンダルとか運動靴ではない、
どう見ても黒光りする革靴なのであった。
サイズは25cmとある。
私の靴のサイズも25cmである。

私は誘われるように靴に近づいて、手に取って靴を眺めた。
どう見ても安物には見えない。
それなのに980円はいかにも安い、安過ぎる。
すると、店主であろうおじさんが店の奥からやってきた。

「いいでしょ?
 別にねぇ、980円で
 売らなきゃいけない品じゃないけどもね、
 まぁ、サービス品ですね」

確かに、横に並んでいる革靴とまるで違わない。
私の疑問はただ一点、
なぜこの靴だけがいきなり980円なのかであった。

他の靴も安い値段設定ではあるが、
他は5000円以上の値札が付いている。
私はついに店主に疑問をぶつけてみた。

「ずいぶん安いですねぇ。他と違って1000円以下って。
 あの、どうしてかなぁって、つい思いますよねぇ」

おじさんは、

「だから、目玉のサービス‥‥」

と言いかけたのだが、私の眼力に気圧されたのか、

「まぁね、ここだけの話なんだけど、
 その、ちょっと理由があってね。
 まぁ、実は左右のサイズがちょっとだけ違うんだよ」

うん?
左右のサイズが違う?

私はすぐには事態を飲み込めずにいた。
おじさんは続けて、

「実はね、ちょっと前に同じ靴を買ってくれた客がいてね。
 その時にさぁ、ホラ、サイズを試したりするでしょ。
 それで2足出してね、24.5と25のと。
 で、間違ってその客に24.5と25のを売っちゃったんだよ。

 それで、そのちょっとサイズ違いの靴が
 もう一足残ったってわけで」

その後、サイズ違いの靴を買って行った客は
現れないという。

「だからさぁ、少しぐらいサイズ違いでも
 気にならないと思うんだよ。
 それでね、この一足も売っていいと思ってさ。
 でも、やっぱりね、普通の値段は付けられないよね。
 ちょっと、わけありってことだよね」

私はその一足の靴を試してみた。
確かに、前もって事情を知らなければ
左右のサイズ違いに気付かないかもしれない。
それどころか、良い履き心地でさえある。

「うん、問題なしですねぇ。
 これで980円は安過ぎだと思いますよ。
 でも、なんていうか、サイズ違いって思っちゃうと。
 人間ておかしいですよね、
 なんか違うなぁなんて思ったりして」

おじさんはうなずいて、

「まぁね、なんせ、わけありだからね」

私は店を出た。

すれ違う人々の足下を見ながら、私は再び歩き始めた。
どこかにいる、『わけあり』の一足を履いた
紳士を探すように。

いつもの寿司屋さんに行った。
カウンターに座ろうとすると、
すでに『予約』という札が並んでいた。
私はいつも空いている時間帯に来る。
今日もまだ早い時間なのにテーブル席は埋まり、
座敷にも数組の客がいる。

「まだ出前の分を握ってるから、
 しばらく出せないけど、待ってもらうよ」

おじさんは必死の形相で次々と寿司を握っている。
私は仕方なくビールだけを頼み、飲んだ。
客は次々と入ってきて、相席もかまわず席に着いている。
私の寿司はいつになるのだろう。

ビールを飲み干し、私はついに寿司を諦めて店を出た。
寿司屋に入って寿司を食べないのは初めてだ。
店の引き戸を閉めて振り返ると、扉に貼り紙があった。

『本日寿司の日 3割引』

学生だった頃、小さなアパートに引っ越すことになった。
日曜日、不動産屋さんの貼り紙に
格段に安いアパートを発見して、
すぐさま引っ越しを決意したのだった。

「ここからすぐだよ。見てみますか?」

おじさんに案内されたそのアパートは、
線路沿いなのに静かに感じられた。
駅からも近いし、それに何といっても家賃が安い。
迷うことはひとつもなかった。

その後の日曜日、
友達に手伝ってもらって引っ越しを完了した。

翌朝早く、私は騒音に驚いて目が覚めた。
なんと、部屋のすぐ隣が市場だったのだ。
野菜などを売っているであろうことは、
大きなだみ声で否応なく分かるのだった。

更に、トラックが何台も出入りする音が、
ちょうど私の枕元で聞こえるではないか。
私の頭のすぐ横を、
トラックのタイヤが通過しているかのようだ。

私はしみじみと、家賃の安さのわけを知るのだった。

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2011-11-13-SUN
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