MAGIC
ライフ・イズ・マジック
種ありの人生と、種なしの人生と。

『学びの秋』

「ウチの息子は日がな一日、
 外に出ないで難しい本ばかり読んでますよ。
 遊びが過ぎるのもいけないが、
 あぁ真面目というのも困ったもんですよ。
 ホラ、また本を読んでるよ。
 師宣わく師のたまわく、師ぃのたまわくう、
 火の玉食うって、火の玉ばっかり食ってますよ」

大店の主人である父親が
あまりに真面目な跡取り息子を嘆くという、
落語ならではのお話の一節である。

真面目とは縁遠い私ではあるが、
我が師と仰ぐ人がいて、
その教えを脳裏に留めたいと願っている。
我が師宣わく、

「そうねぇ、最近は
 機嫌良く過ごすことに努めているわねぇ。
 ホラ、時々ね、考え事をしているとね、
 いつの間にかこわい顔をしている時があるでしょ。
 だから、口角を上げてね、
 嫌な顔にならないように心がけているのね」

我が師のお宅には、キッチンにもリビングにも
綺麗に磨き上げられた鏡がある。
我が師は、いつも鏡を見て
自らの笑顔チェックをされているのだ。

「だから、今日も機嫌良く、
 美味しくランチをいただきましょうね」

年に数回私をランチに招いてくださる、
実に心優しい我が師なのだ。 

我が師は、いつも着物姿である。
お着物にはさりげなく季節が装われていて、
何も知らない私にも詳しく易しくレクチャーしてくださる。
我が師がいつも利用されるレストランは
日本在住の米国人、それも米国政府関係者用らしく、
他の席は外国人ばかりだ。
そこに着物姿の我が師が登場すると、
レストラン側も大変に丁寧な対応をしてくれる。
これも、我が師の凛としたお姿から滲み出る
人間力なのであろう。

「やはりね、着物は日本の文化、
 歴史そのものであってね。
 それを敬い学ぶことは、私には楽しいことなのね」

我が師は京都のご出身で、
若かりし頃から着物の染め、紋章、袱紗などについて
学んで来られたという。

「いや、それも好きこそものの上手なれでね、
 袱紗にもただ包むだけではなくて、
 掛ける、乗せるという作法があってね。
 作法というと堅苦しいけれど、ちゃんと意味があって」

我が師は実に楽しそうに宣われるのだ。

我が師はお見合い結婚なのだそうだ。

「私の父がね、どんな方も書類審査で落としてしまって。
 だから、なかなかお見合いまで進まなくてね。
 当時はね、お見合いは京都の料亭でするのが
 普通だったから、私は父のせいで
 たくさんのご馳走を食べ損ねたのよ、
 ふふふ」

お見合い結婚をされて後、
1960年代に旦那様の仕事で
ロンドンに5年間滞在されたという。

「メイドさんがいてね、
 部屋の電気を消すのもメイドさんの仕事で。
 私が消すとメイドさんの仕事をなくすから
 消せないのね。
 部屋が14あって、庭に大きなリンゴの木があって。
 20人は座れるテーブルで
 ローストビーフ、サーモンなんかをいただいて。
 それでもね、主人の仕事先の日本人の方々はね、
 お茶漬けとみそ汁が食べたいのね。
 当時はたくわんとか油揚げの缶詰があって、
 それを送ってもらってね。
 クレソンを塩漬けにして、漬け物の代わりにしたり」

そんな経験をされた我が師ゆえか、
ランチはいつも洋食である。

「ここはやはりね、お肉が美味しいからステーキよね。
 ハンバーグ、シチューもお肉が美味しいのよ」

我が師のリクエストで、テーブルにステーキ、
ハンバーグ、シチューが並ぶのであった。
それらの肉料理を、我が師はご機嫌良く召し上がる。
つい先日、91歳になられた我が師の
並々ならぬエネルギーの源泉は、
どうやら肉食にあるらしい。
91歳の我が師の目には、
私など空きっ腹を抱えた若造にしか見えないらしく、
我が師が切り分ける肉が私の皿に山盛りになる。
火の玉は食わなくていいが、
火で焼かれた大量の肉を
すっかりいただかなくてはならないのだ。

「ロンドンには65の劇場があってね。
 私は英語の勉強を女優さんに教わることにしてね。
 その女優さんのアドバイスで芝居を観たりしたわ。
 舞台美術の学校にも聴講生として通ったのね。
 すると、私が京都で習った着物の染色、
 その技術を教えてほしい、日本から持ってきた紋帳、
 紋章の辞書みたいな本ね。それも見せてほしいってね。
 私は、英語を教わる生徒から
 染色やデザインを教える先生みたいになって」

我が師は、海の向こうでもたちまち師となられたのだ。

「私はサプリとかは飲まないけれど、
 美しい帯や着物を見ることが
 どんなサプリよりも効果があるみたいね。
 買わなくてもいい、手に取って見るだけで
 元気になるのよ」

我が師はご自身の来し方から様々に教え下さり、
空っぽの我が脳に生きる術を刻み、
空きっ腹には美味しい料理を満たしてくださるのだ。

「今年も和の美のパーティをするから、
 あなたはホラ、頭を回してくださいね。
 あれを見ると、皆さんご機嫌になるのよ」

我が師よ、今年はいつもより余計に回す所存にございます。

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2011-11-06-SUN
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