MAGIC
ライフ・イズ・マジック
種ありの人生と、種なしの人生と。

『マジックは芸術だ!?』


私の出身校である岐阜県立関高校に招かれた。
関高校を卒業して社会で活躍している先輩として、
1時間半ほど講演をしていただきたいとのことであった。

社会で活躍しているという認識などまるでない私である。
むしろ、社会の端っこにかろうじて引っかかっていて、
ちょっと変わったことを生業として東京で暮らしている
現状を話せばいいと思い、
まずはのぞみ19号で名古屋に向かった。

名古屋から特急ひだ7号で美濃太田駅まで、およそ40分。
美濃太田駅から車で20分ほどで、
講演会場である関市文化会館に着いた。

楽屋に入り、担当の先生方と打ち合わせをした。

「えぇ、本日は芸術鑑賞会ということで、
 講演をよろしくお願いします」

私がすることはマジック界や演芸のことを話したり、
時にはマジックを実演したりである。

およそ芸術鑑賞と呼ぶには似つかわしくないと思うのだが、
高校に招かれての講演となると、必ずと言っていいほど
『古典芸能鑑賞会』とか『伝統芸術鑑賞会』という看板が
用意されているのである。

「今までは、お芝居ですね。
 なんと言いますか、古典の名作劇の鑑賞、ですね」

私の講演は、どうやらこれまでに前例のない
芸術鑑賞会になりそうだ。

午後1時40分、校長先生のご挨拶があり、
続いて司会進行を担当される先生のご紹介で
講演が始まった。

私は、東日本大震災でガレキに埋まった缶詰を
東京で販売する活動について話し始めた。

「店頭に缶詰を並べて売るんです。
 あまり人通りの多くないところだけれど、
 それでも2、3人にひとりの人が
 話を聞いてくれてね、缶詰を買ってくれるんですよ。
 その売り上げが救援募金になるんです。
 
 それでね、私は以前
 セールスをやっていたことがあって、
 『やっぱり、オレってセールスの才能があるかも』
 などと、始めは思ってしまいましたよ。
 でもねぇ、本当は違うって後で気付いたのです。
 なぜ通りがかった人たちの多くが
 缶詰を買ってくれるのか、
 それはね、ただ缶詰を売って儲けようということでは
 ないからなんですよ。
 買ってくれる人もね、ただ安いとか
 美味しそうな缶詰だから買うのではないのですよ」

ずいぶん昔のこと、
私は電化製品のセールスマンをやっていた。
あちらこちらを歩き回ってもまるで売れない、
ダメなセールスマンだった。

毎日のように成果はゼロで、
会社に戻って部長に怒られてばかりだった。
「どうせ、今日も売れやしない」
自分で勝手に決めてしまい、重い鞄を提げて会社を出て
すぐ、公園のベンチなどでぼんやりと空を見ていたりした。

同期で、私と同様にさっぱり成績の上がらない男とふたり、
「本当はさぁ、他にやりたい仕事があるんだよね。
 いつか、モノを書いて暮らしたいんだよね」
今にして思えば、ずいぶんと他愛ない夢を語り合い、
成績が上がらないのを会社や上司のせいにしてばかりの、
本当にダメな社員だった。

「自分の儲けだけを考えているんじゃなさそうだ、
 何か、誰かのために、というのが
 少しずつ伝わるのかもしれない。
 だから買ってもらえるのかもって、思ったのですよ。
 普通の仕事、商売にしても、ただ自分の儲け、
 欲だけではうまくいかないのかもしれないのですよ。
 やっぱり、どこかに、社会のためとか、
 善意というほどではないけれど、
 実(じつ)のようなものがないとね、
 仕事ってうまくいかないんだなぁって、思ったのです」

話の合間合間に、頭を回すマジックなどを挟む。

「マジックのタネ、トリックをひと言で言うと
 『非常識』なんですよ。
 常識にあらざるもの、です。
 ところで、私たち人間は、
 社会というものを形成して生きる生物です。
 そのために、小さい頃から教育を受けます。

 つまり、
 社会に生きていくための常識を、小学生、中学生と
 延々と長きにわたって学んでいくのですよ。
 学校で非常識を学んだことって、ないでしょ?
 それで、非常識にはうとくなるんですよ。
 だから、マジックの中に隠された
 非常識には気付かないのです。

 別に、マジックのタネ、
 非常識に気付かなくてもいいとは思うけれど、
 長い間、たくさんの常識を頭の中に溜めていくと、
 思い込みや固定観念というものも増えてしまいます。

 そこで、時には非常識、マジックの不思議を味わうと、
 凝り固まった頭がほぐれるのですよ。
 なんというか、子供の頃、
 たくさん勉強しての帰り道、
 『寄り道しないでまっすぐ帰りなさい』
 という大人の言葉を忘れて、
 あっちこっちで道草を食ったことを思い出します。

 余談ですけど、道草を食うとは言いますが、
 道草を食べるとは、なぜか言いませんねぇ。

 なんだか、道草って、楽しくてたまんないものでした。
 社会に出ると、なかなか道草ってできないのですよ。
 都会だと、道草も見つからなかったりするし。
 皆さんは、授業が終わって学校を出たら、
 大いに道草を食ってほしいと思います」

関高校の生徒たちは、
はたして私の話を聞いてくれていたのだろうか。
言葉足らずで、何を言いたいのかさえ
私自身も分からないまま、
私はただ奇妙に熱っぽくしゃべり続けてしまったのだ。

目の前の生徒たちは、
大人しく座って話を聞いてくれているように見える。
それでいて、
マジックには大騒ぎする無邪気さもあるようだ。
私が生徒だった頃は丸坊主に詰め襟だったのに、
男子はそれぞれおしゃれな髪型をしている。
女子生徒も、都会の高校生とまるで変わらない制服姿だ。

私が現役の頃とは、生徒たちの服装は
ずいぶんと変わったけれど、
故郷の景色は変わりなくあり続けていてくれる。

帰りの特急電車の車窓に、苗が植わったばかりの水田や
あぜ道が見える。
またすぐに故郷に帰って、あぜ道をぶらぶら、
ゆっくりと道草を食いたいと思った。

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2011-07-03-SUN
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