MAGIC
ライフ・イズ・マジック
種ありの人生と、種なしの人生と。

『バブルを知ってる?』


友人たちとバブル景気の頃の話で盛り上がった。

「今から思うと、ずいぶん贅沢してたなぁ。
 高級な寿司なんかを食べて
 高いワインを飲んで。
 当時、福生に住んでたんだけど、
 週に2回はタクシーで帰ってたなぁ。
 タクシー代は2万近かったけど、
 部長が出してくれたりして」

確か、もう20年以上も前のことだ。
その頃に社会人として働いていて、
バブル景気の恩恵に浴していた人となれば、
少なくとも40歳以上で、
多くの景気の良い体験を持っているはずだ。

私はといえば、プロ・マジシャンとなって
10年を超えていた頃。
毎日のように東京駅、あるいは羽田に出かけ、
そこから日本全国を飛び回っていた。

「毎日のように羽田に来るんだから、
 定期を買った方が安いよなぁ」

本当に、何度も通ったものだ。
東京駅や羽田で、やはり各地に向かう芸人さんたちと会い、

「今日はどこに行くの? 札幌かぁ。
 私はねぇ、博多と長崎なんですよ」

そんな会話を交わしていた。
誰もが忙しそうでいながら、生き生きと働いていた。

バブル期ならではの仕事もあった。

『100万円ディナー・ショー』と題されていて、
お一人様100万円でステージ・ショーを見ながら
贅沢を極めた食事を楽しむという、
まさに超バブリーな企画であった。
大きな松茸を備長炭で焼き、
マグロは丸々1本目の前で解体され、
新鮮極まりない状態で一流の寿司職人が握ってくれる。
フグは伊万里の巨大な皿に盛られ、
しゃぶしゃぶするのは松阪牛である。
キャビアは大きなスプーンで食べ放題、
デザートのアイスクリームには
トリュフがこれでもかとスライスされている。

今から思えば、相当に罰当たりな企画ではないか。
だが実のところは、地価が高騰して
小さなマンションさえ億ションと呼ばれるほど
高くなって買えず、せめて飲み食いくらいは
贅沢に行きましょうという、
半ばやけ食いのような企画だったのだ。

そんな話を、バブル期以降に生まれた人、
あるいはまだ子供だった人に話してみると、

「はぁ、そうなんですか‥‥」

まるで関心なしのご様子である。

昭和の時代の映画をDVDで観た。
森繁社長、小林桂樹秘書、加東大介総務部長らが
浮かぬ顔をしている。
どうやら業績が悪化の一途をたどっているようだ。
そこへ三木のり平営業部長が登場して、

「社長、こういう時は景気付けに、
 ぱぁ〜っと行きましょう」

森繁社長があきれたように、

「富田林くん、君はいつもそうだねぇ。
 でもまぁ、こうして
 しょぼくれた顔つき合わせていてもしょうがない。
 今からぱぁ〜っと行くか」

場面は呑めや唄えやの大宴会シーンとなる。
そこへ小林秘書が駆け込んできて、

「社長、大口の注文が入りました!」

「そうかぁ、良かったなぁ。みんな、ありがとう。
 よし、今日はぱぁ〜っと行くぞ!」

あくまで映画の中の架空の物語で、
現実にはありえないお話である。
だが、バブル全盛期の頃は誰もが、
「ぱぁ〜っと」
どこかへ行っていたように思う。

平成生まれの方々に、

「ねぇ、ぱぁ〜っと行きましょう〜!」

と呼びかけると、

「はぁ、どこへ行くんですかぁ。
 ぱぁ〜っとって、何ですかぁ」

薄い反応を示しつつ、
携帯画面に戻ってしまうのである。
平成生まれの方々には、
もう『ぱぁ〜っと』文化は存在しないのであった。

平成生まれの、素晴らしいテクニックを持った
イケメンのマジシャンに出会った。

「すごいなぁ、
 今すぐプロ・マジシャンになれるよ」

私の賞賛に、

「いや、好きでやってるんで。
 プロにはならないっす」

誰に見せるともなく、
彼はまた自分の指先に戻ってしまった。

ある時を境に、文化も人の気質も変化するのだろうか。
ある出来事を境に、心の持ちよう、考えが
変わってしまうこともあるのだろうか。

私は近々、友人たちと東北を訪ねようと思う。
今はまだ何も分からず、想像すらできないままだ。
見る前と見た後で、私の中で何がどう変わるのだろう。

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2011-05-22-SUN
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