MAGIC
ライフ・イズ・マジック
種ありの人生と、種なしの人生と。

『神様・仏様・アイドル様』


私は特定のアイドル、歌手、俳優、タレントさんに
ときめいたことがない。
アイドルのコンサートで、団扇などを無心に振って
応援している人々の映像を見たりすると、
どうにも羨ましくてならない。

あちこちのテレビ局に出入りすることがあり、
アイドルや有名タレントさんを
見かけることもある。
可愛いなぁと思ったり、美しさに見とれたりもする。
だが、ときめいたり夢中になったことがない。

テレビ局に仕事に行きながら、
タレントさんたちにときめいていては
ロクな芸などできはしないから、
それはそれでいいと思う。
ただ、人間に与えられた喜びのひとつを
未だ知らぬままのような気がするのだ。

アイドルたちを追いかけたり、
タレントさんを前にして夢中で叫んでいる人たちを見ると、
私が一度も経験していない恍惚感を
味わっているように思える。
やはり、羨ましい。
だが、アイドルやタレントさんに夢中になり、
恍惚となれる特別な方法があるとも思えない。
誰かに夢中になるコツを教わることもできない。
先天的に備わっていないのか、
それとも夢中になるアイドル、タレントさんと
出会っていないのか。

大好きな落語家さんと仕事先で会うと、
妙に興奮することはある。
落語家さんの表情、言葉、一挙手一投足が実に興味深く、
いつの間にか見つめてしまったりもする。
だが、その感情は深く静かに進行し、
ときめきとは違う高揚感なのだ。

アイドルやタレントさんにときめかなくても
何ひとつ不自由はないのだが、
ひとりの人間としては
不完全燃焼のままのような気がするのだ。
一度でもいい、ときめいてみたい。

私は、子供の頃から実に多くの宗教に出会ってきた。
信心深かった祖母に連れられて、
様々な宗教儀式に参加したことも、
おぼろげに記憶している。
だが、いまだ特定の宗教を信仰していない。
そもそも、信仰心が薄いのかもしれない。

ただ、私は無神論者ではない。
正月には神社に詣で、故郷に帰れば近所のお寺に参る。
困った時に神様に祈ることもあれば、
通りがかりのお寺にお参りすることもある。
だが、それらの行為はおよそ信仰というべきものとは
ほど遠いものだ。
神社に祀られている神様についての知識もなければ、
お寺が何宗に属しているのかも知らない。
実家が何宗なのか、何度も聞いているのだが、
すぐに忘れてしまう、実にバチ当たりな人間なのだ。

特定の宗教を熱心に信仰している人を見ていると、
時々羨ましく思うことがある。
篤い信仰者たちは、神仏に心を預け、時に癒され、
時に赦しを希うこともあるのだろう。
癒されているというか、満たされているというか、
信仰する人々の表情は
迷いのない幸福感に満ちているようだ。
そんな人々を見ているのは好きなのだが、
あくまで私は傍観者のままなのだ。

信仰がなくとも、今のところ不自由を感じないのだが、
現世だけを見ているというのも、
やはり味気ないような気がする。

近い将来、アイドルやタレントさんのように可愛く、
美しい神様、仏様から直に、

「これこれ、そこの人。
 不完全燃焼だの味気ないだのとぼやいていないで、
 今日からは私を信じなさい」

などと優しく導いていただきたいものだ。
私は心より深く信仰し、団扇を振り振り、名前を叫び、
味気ない日々を脱却して完全燃焼することだろう。

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2011-02-06-SUN
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