MAGIC
ライフ・イズ・マジック
種ありの人生と、種なしの人生と。

『私を責めたもうことなかれ』


品川に向かおうとしていた。
電車は空いていて、身も心も軽やかだった。
しばらくして、軽い原因が判明した。

私はカバンをまるごと家に忘れてきたのだった。
カバンには仕事の道具がたっぷり詰まっていて、
なくてはならないものであった。

こうなると選択肢はただひとつ、取りに戻るのみ。
私は次の駅で途中下車し、タクシーに乗って
家に戻った。

私の行動を見ている人は、
「うっかりだねぇ」
とか、
「おっちょこちょい」
などという言葉で、
私の全人格を表現してしまおうとする。
あるいは、
「馬鹿まるだし」
などと罵倒する輩さえ存在する。
だが、私は決してうっかりでも
おっちょこちょいでも、
ましてや馬鹿などではないのだ。

あくまで自己診断の範囲を出ないのだが、
私は積極性物忘れ症候群なのだ。

積極性物忘れ症候群とは、
頭脳が活発に働きすぎるため
次から次へと思考が飛んでしまい、
結果的に先ほどまで鮮明に覚えていたものを
忘れてしまうという
病の一種なのだ。
私の持病なのである。
私はやや、病んでいるのである。

そういう人に、
「うっかりだねぇ」
「おっちょこちょい」
「馬鹿まるだし」
という言葉を投げつけていいものだろうか。
およそ人間として恥ずべきことではなかろうか。
ここは、
「忘れたのがカバンだけで良かったですね。
 もし、ズボンをはき忘れていたりしたら大変でしたよ。
 それに、忘れたことに気付かれたのはお見事です」
などと誉めるのが妥当であろう。

私は、納豆・蕎麦依存症でもある。
私が大学生だった頃、ある事情で窮乏していた。
仕方なく友人のアパートに住まわせてもらい、
食事も食べさせてもらっていた。
友人は長野の出身で、
実家から美味しいお米を送ってもらっていた。
毎晩のように、温かいご飯にたっぷり納豆をのせて
食べた。
「金もいらなきゃ女もいらぬ〜、
 あたしゃも少し
 納豆がほしい〜」
そう叫びたいほどに納豆が好きになった。

私の故郷は岐阜県である。
岐阜県には、そばきり助六という名店がある。
そのお蕎麦をいただいた瞬間、
「金もいらなきゃ女もいらぬ〜、
 あたしゃも少し
 蕎麦がほしい〜」

冷たい蕎麦は無論のこと、珍しい釜揚げ蕎麦の旨さ。
食べた瞬間から、正しいものを与えられて
身体が喜んでいるのが分かるような気さえするのだ。

年に数回、助六さんを東京に招いて
蕎麦を打ってもらう会を主催している。
普段でも、あちこちの美味しい蕎麦を見つけ出しては
食べている。

夜、お酒をたっぷり飲んだ後、多くの人は、
「シメにラーメン食いたいねぇ」
と言うが、私はシメに蕎麦を食べたいのだ。
できれば、納豆蕎麦を食べたいのである。
シメのラーメンは容易に見つかるのだが、
シメの納豆蕎麦は未だに見つかっていない。

「よくまぁ、毎晩飲みますねぇ」
と、批判めいた言葉を投げかけられることがある。
だが、私は決して依存症でも中毒でもない。
私の持病である、睡眠性緊張疾患に対処するため、
仕方なく毎晩お酒をいただいているのだ。

眠ろうとベッドに入る。
しかし、どうにも緊張してしまって眠りに入れない。
「明日はどうなるのだろう。
 明日は来るのだろうか。
 いや、そもそも明日という定義は何なのか」
などと、思考が堂々巡りしてしまうのだ。
それで、ビール、焼酎、ワインと
次々に杯を空けるのである。
すると、思考はたちまち緊張を解いて、
「いいや、明日のことは明日起きてから考えよう」

最近、ある貴重な事実を発見した。
自分で飲んでも眠れるが、
人におごってもらった夜は
特にぐっすり眠れる。

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2011-01-30-SUN
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