MAGIC
ライフ・イズ・マジック
種ありの人生と、種なしの人生と。

『高倉軒のラーメン』


明りを消してベッドに横たわると、
急に雨音が聞こえてきた。
帰ってくる時は降ってなどいなかったのに、
かなり激しい雨らしい。
雨樋を伝う雨音が聞こえる。

あの日、秋の空は晴れていた。
電車で横浜駅に行き、乗り換えて見知らぬ駅に着いた。
駅からシャトル・バスがでているはずなのだが、
早めに着いたことだし、晴れて暖かい。
私は目的地まで歩いて向かうことにした。

距離は大したことないが、ひたすら上り道が続く。
目的地は坂のてっぺん、高台にあるようだ。
坂を上るにつれて、さっき降りた駅が
眼下に小さくなっていく。

上まで登れば、きっといい眺めを楽しめるだろう。
そう思うと同時に、
「会うのは久しぶり。
 あまり、変わってなければいいなぁ」
ふとそう思い始めてしまった。
私は立ち止まって、もう一度眼下の街を眺めた。

私は思っていること、感じたことが顔に出てしまう。
子供の頃から、気持ちを隠して表情を取り繕うことが
どうにも苦手だった。
それでも精一杯取り繕うのだが、ほんの数秒も持たず
感情が表に出てしまう。

マジシャンなのに、
「ほら、まったく仕掛けなどありませんよ」
などと、ウソ発見機さえもダマし通してしまうような
堂々たる表情を保てない。
それゆえ、スプーン曲げなどを見せながら、
「仕掛けとタネは、大さじ一杯くらいあります」
そう、正直に告白してしまう。

久しぶりに会って体調が悪そうだったり、
やつれているように見えたら、
「な〜んだ、元気そうじゃないですか」
などと、動揺を包み隠して明るく言えそうもない。

だが、晴れ渡った秋の空はありがたいものだ。
暖かい陽射しを浴びて、不安は少しずつ空へと
蒸発したかのように消えてゆく。
私は再び坂道を歩き始めた。


「久しぶりだねぇ、元気か?」

あの人は少しも変わっていなかった。

いつの頃だったか、彼が炒飯を作ってくれた。
フライパンを振るたびにご飯が外にこぼれてしまう。
小さなご飯茶碗一膳分くらいが、
ガス台に散らばってしまった。
もったいないと、彼は外にこぼれた飯粒を食べ、
「おいおい、フライパンの中の炒飯より
 外にこぼれたのが旨いぞ。
 ほら、パラパラ具合がちょうどいい」。

早起きして朝日を撮りに出かけると言っていたのに、
彼は昼過ぎまで起きてこなかった。
「まぁ、いいや。後で出かけて撮ってくるよ」
彼は出来上がった写真を見せて、
「ほら、良い朝日だろう」
夕焼けを撮って、それを堂々と朝日と言いきるのだった。


時間を持て余しているという彼に、
お土産のDVDプレーヤーを渡した。
彼の好みに合いそうな、洋画のソフトも買ってきた。
アガサ・クリスティーの原作を
ドラマ化したシリーズ物だ。

「おぉ、良いねぇ。ゆっくり観るよ」

そう言いつつも、彼の表情はどこか冴えない。

彼も、どうやら私と同様に本心が顔に出てしまうらしい。
私は急に嬉しくなって、

「ねぇ、正直に言いなさいよ。
 このDVDにはあまり惹かれないのだよね。
 となると、どんなのが好い?」

すると彼も嬉しそうな顔になって、

「俺さぁ、高倉健のが観たいんだよ。
 昔、映画館でよく観たからね。
 でね、映画館の近くに高倉軒という
 ラーメン屋があったんだよ。
 いやいや、本当だよ。
 そこでラーメン食べるのが
 俺の小さな幸せだったんだよ」

後日、高倉健さん主演の『昭和残侠伝』というDVDを
数枚買って持って行った。

「また、健さん頼むよ」

再び持って行っては、彼が観終わったDVDを回収した。

回収した『昭和残侠伝』シリーズを観て、
私もすっかりハマってしまった。

健さんがドスを持って歩いて行く。
途中で、池部良さんが待っている。
「おめぇさんを、ひとりで行かすわけにはいきませんぜ」
健さんは黙って頭をさげ、ふたりは揃って歩き出す。
健さんの唄が、唐獅子牡丹が流れ始める。

そんなシーンを飽きもせず繰り返し観ながら、
高倉軒でラーメンを食べるという彼の小さな幸せを、
いつか私も味わってみたいと思った。

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2010-11-07-SUN
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