MAGIC
ライフ・イズ・マジック
種ありの人生と、種なしの人生と。

『ラジオの師匠』


アタシはねぇ、
新潟の雪深い村の生まれでさ。
その時分は、
今のように娯楽なんてぇものが
からっきしなくてね。
特に冬の夜なんかは、ラジオを聴くってぇのが、
そりゃぁ唯一の楽しみ、娯楽でね。
中でも、落語が好きだったなぁ。

元はね、アタシのお爺さんが好きだったんだね。
ラジオに耳をくっつけんばかりにして聴いては、
笑ってたんだよ。
普段はさ、あんまり笑った顔なんぞ
見せたことなどない爺さんがさ、
本当に嬉しそうに、ふふふ、ふふふと
笑うんだよ。

あの夜も、爺さんがラジオの前にいてさ。
ふふふ、ふふふ、笑っててね。
ラジオからは、なんだか賑やかな話し声がしててね。
そりゃぁもう、楽しそうなんだよ。
アタシは、思わず爺さんに訊いたんだよ。

「これって、なんという話なの?
 誰がしゃべってんの?」

爺さんが、

「これはな、落語というものでな。
 色んな話を、ひとりでやってるんだよ。
 いやぁ、落語家っていうのは、
 面白いもんだなぁ」

それ以来だね、
アタシは大きくなったら落語家になろう、
そう固く胸の内で決めたもんさ。

そうなると、
ますますラジオから聞こえてくる噺を
夢中になって聴いたもんさね。
そりゃぁそうだよね、
今までは単に面白い話だったのが、
今は自分が数年先にしゃべるかもしれない噺と、
勝手に決めちゃってるんだから。
もうさ、爺さんを押しのけて、
ラジオの前で落語家の息づかいまで聞き逃すまいとね。

中学卒業が近づいてきたよ。
その頃だから、親も高校に行かなくっちゃなんねぇ、
なんて言わなくて。
まぁ、アタシが落語家になると決めてるのも
分かってたしね。

卒業して何日も経たない頃だったけれど、
爺さん両親が
コメをリュックに詰めるだけ詰めて、

「まず、ラジオの師匠のところに行ったら、
 ちゃんと気持ちを聞いてもらってな。
 怒られても簡単に引き下がっちゃなんねぇぞ」

てなもんさ。
アタシは、これから先への不安なんて
これっぽっちもなかったけれど、
とにかく、背中のコメの重さを
今でも忘れないねぇ。

東京の親戚のおじさんに調べてもらってた、
師匠の家に無事に着いたよ。

小さな長屋の、これまた小さな家でね。
玄関先で背中のコメを降ろし、
しばしぼんやりしたりしてさ。

それでも、アタシは絶対落語家になるんだって
決意を自分に言い聞かせるように
リュックを背負い直してね。
思いっきり大きな声でごめんくださいって。
すると、本当にラジオの師匠が出てきて、
後ろにおかみさんが隠れるようにいてね。

「ダメだよ、
 ご覧の通りの暮らしだよ、
 弟子なんか置いとけるような余裕なんて、
 ねぇんだから」

だけれども、アタシも簡単には引き下がらないよ。
なんせさ、当たり前なんだけど、
そう断ってる師匠の声が
ラジオで聴いていた声にそっくりなんだから。
てか、本人なんだよ。
やぁ、ラジオの師匠だ、なんてね。
うっすら笑みさえ浮かべて聴いてたりして。

そのうちにおかみさんが前に出てさ、

「どこから出てきたんだっけ?」

て訊くから、新潟だって答えたよ。
すると、

「まぁ、とにかく入ってもらってさ、
 もうちょい話を聴いてあげてもいいんじゃないかねぇ」

てなことになって、
そのままラジオの師匠んところに住み着いちまった。

ラジオの師匠は、
その後もラジオの仕事が多くなってね。
ほんの少し、広い家に越したりしてさ。
いつものように、師匠とおかみさんと
アタシの実家から送ってきたコメを炊いて、
晩ごはん食べてたんだよ。

師匠は、やっぱりアタシの実家の酒を呑んでたよ。
おかみさんが急にうふふと笑って、

「お前の弟子入りを許したのはね、
 他でもない、お前が新潟の出だったからだよ。
 でね、あの時に背中に背負ってた大きなリュック、
 ずいぶんと膨らんでたねぇ。
 それを見て、
 きっとコメをぎっしり詰めてきたんだなぁと
 思ったわけさ。
 お前には悪いんだけれど、実家が新潟なら
 コメを送ってくるんじゃぁないかなと」

師匠が続いて、

「おらぁ、あのリュックに新潟の酒もあるかなぁと」

当時はね、コメもそうなんだが、
食料事情が極端に悪い時代でね。
アタシは、爺さんと両親が持たせてくれたコメを、
やたら大きなリュックに詰めて背負ってた。
それで、弟子入りを許されたって訳だったんだよ。
アタシは背中のリュックで、新潟のコメで、
師匠の初めての弟子になれたんだよ。

それからも、師匠はどんどん仕事が増えて。
そうなるってぇと、
弟子入りを志願するのも多くなってねぇ。
玄関先に立っている若者に、
必ずおかみさんが訊くんだよ。

「で、お前はどこの出なんだい?」

アタシのすぐ下の弟弟子、
あいつは千葉の飯岡の出なんだよ。
魚の干物を、いっぱい手に持っててね。
この干物がねぇ、実にうまい。
こんなんで良ければいくらでも持ってきます、なんてね。
3番目の弟子は九州は宮崎の出。
実家で牛を飼ってて、名物になるほどの良い牛肉だてんで。
たまにゃぁ肉も食いてぇなぁ、なんてことになり。
次のは北海道の出、そん次は伊勢の出と続いてね。

月日が経って師匠も年を取って、
すっかり酒も弱くなってねぇ。
それでも、その日は珍しく元気な様子で、
伊勢から送ってきたあんころ餅を旨そうに食べてたんだよ。
ところが急に、

「ちょいと眠ったくなっちまったぁ。
 ちょいと横になるよ」

そう言ったかと思うと、すぅ〜っと眠っちまった。
声をかけても、もう意識がないんだよ。
アタシとおかみさんが師匠、師匠と呼ぶと、
うぅぅんと唸って、

「次の弟子は茶どころの静岡にしよう」

そう小さくつぶやいて、師匠は逝っちまいました。
アタシたちは、枕元で泣き笑いしましたよ。

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2010-10-03-SUN
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