MAGIC
ライフ・イズ・マジック
種ありの人生と、種なしの人生と。

『求む、師匠』


突然に、師匠が欲しくなった。

プロ・マジシャン歴33年にもなるというのに、
なぜか師匠が欲しくてたまらなくなったのだ。

先日、いつものように、
「なにか、良いアイデア、
 新ネタはないかなぁ。
 どうにも、浮かばないなぁ」
と、嘆息していた。
すると急に、
「師匠はこんな時、
 どう答えてくれていたかなぁ」
そう夢想する自分がいたのだ。
本当に、30年ぶりの想いだ。

そうなると私の心は、
「師匠さえいてくれれば、今のこの漠然とした
 不安や疑問、
 あるいは悩みさえも聞いてくれて、
 弟子たちはたちまちホッとしてしまうに違いない。
 師匠さえいてくれれば‥‥」
自分で解決することなど捨てて、
師匠に寄りかかってしまおうとするのだった。

こちらから打ち明けなくても、
師匠は私の表情を見て
心の中を探るのだった。

「どうしたぁ、ははぁ〜ん。
 また、しょうもないことで悩んでるなぁ。
 きっと悩みですらない、小さな
 ことで悩むよなぁ、君は」

「なんだか、思ったようにウケなくて‥‥」

「ウケなくて、かぁ。
 やっぱり、小さい悩みだなぁ。
 私なんかは、ナイヤガラの滝から
 どうやって脱出するか、
 命がけの悩みだからなぁ」

結局、師匠の悩みだか夢だか分からない
大き過ぎる話に聴き入ってしまい、
自分の悩みなど忘れてしまうのだった。

私の師匠は、初代・引田天功である。
昭和9年の生まれで今年74歳、
ご存命ならばまだまだ
現役のマジシャンでおられたのだろうか。

残念ながら、45歳の若さで現世からの脱出に
成功され、この世を去ってしまったのだ。
我が師匠のことを、いつも様々に思い出しては
懐かしんでいる。
会えなくなって何年が過ぎようとも、
師匠はカリスマ、ヒーローのままだ。
昔の写真を見ると、普通のおじさんに
見えなくもないが、私の記憶の中では
カッコいいマジシャンのままだ。

毎日のように思い出してはいても、
ただ懐かしむのみで、
師匠に聴いてみたい、尋ねてみたいと思うことは、
これまでなかったことだ。
それが今になって、
「師匠さえいてくれれば‥‥」
という想いが、にわかに湧き出てしまったのだ。

初代・引田天功という師匠に仕える前に、
先生というべき人はいた。
亡くなった後にも、先生と呼ぶ存在はあった。
マジック業界のこと、あるいはマジックの方法、
演出など、多くのことを教わった先生方もいる。
だが、マジシャンとしての人生のすべてを
見せてくれる、師匠と呼ぶ人はいなかったのだ。

天功師匠については、
実はマジックについて教わったという記憶が
まったくない。
師匠に弟子入りした頃、
私は海外のマジック界の様子が載っている業界誌や、
海外の新しいマジシャンたちのビデオを
たっぷりと見ていた。
それゆえ、

「どうだ、新しいマジック、
 面白いマジックはないのか?」

と訊いてくる我が師匠に、

「はい、今はこれとあれで、
 これは師匠にピッタリのマジック、
 ネタだと思います」

などと、蓄えた情報を伝えていたのだった。
だから、雑誌などの取材には、

「天功先生に教わったことはないですが、
 教えたことはいっぱいあります」

「師匠は、とても素敵な反面教師でした」

などと答えていたのだ。

だが、天功師匠には
プロ・マジシャンのすべてを教わったのだ。
マジックのネタや技法ではなく、
プロとしての生き様、
喜びと哀しみ、裏も表も、
師匠の一挙手一投足から学んできたのだ。

また、マジックの選択も演出も
いくら師匠を真似てみてもダメで、
弟子でありながら芸風は師匠とまるで違ってしまった。
それでも師匠は、
「君は、気楽でいいなぁ」
と笑うのだった。

長らく努力は重ねたものの、
芸は師匠の足もとにも及ばず、
超えられたものはただひとつ、年齢だけだ。
師匠に聞いてみたい。

「33年もプロ・マジシャンを続けたものの、
 どうにも芸が積み重なってくれません。
 円熟とか、枯れた芸というものにも遠くて、
 このままでは
 ちょっと器用なおじさんでしかありません。
 師匠、どうしたらいいのでしょう?」

はたして、師匠はなんと答えてくれるのだろうか。

お盆もとうに過ぎたのに、
天功師匠の思い出がふわふわと
私の周りを漂っている。
師匠の声を聴いてみたくなった。

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2010-09-12-SUN
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