MAGIC
ライフ・イズ・マジック
種ありの人生と、種なしの人生と。

『僕が失ってきたもの』


『桑の実』

小学校3年くらいまでは、
帰り道に桑畑があったように記憶している。
蚕棚も、かすかに覚えている。
その蚕の餌が、桑の葉だったのだ。
あちこちの桑の木に、濃い紫色の実がたわわに実る。
小さな小さな葡萄のような実は、
僕の人生の中でもとびきり
甘い記憶だ。
だが、その甘美な実をつける桑の木は
養蚕業の衰退とともに消えてしまった。
学校からの帰り道、
色がつくとなかなか落ちないあの甘い桑の実を、
もう二度と食べられないでいる。


『大きな魚、うなぎ』

子供の頃、近くの川で釣りをした。
浮きを川面に浮かべ、母に釣果を自慢すべく大物を
狙うのだが、獲物はなかなか釣れやしない。
岸の近く、私の足元を大きな魚が優雅に通り過ぎて行く。
釣りを諦めて、今度は手製のモリで魚を突くことにする。
息を吸い込んで川の底近くまで潜った。
川岸の横穴の奥、大きな鰻がふぅふぅと息をしている。
モリで突こうと思うのだが、
こちらを見ているような鰻の目に、
突くのをためらう。
中学生になった頃から、濃かった魚の影がみるみる
薄くなってしまった。


『女の子』

なぜ、あれほど好きになってしまったのか。
校庭を走る、ひとりの女の子の姿を見つめていた。
ある日、やっとの思いで
遠くの渓谷に遊びに行くことになった。
ふたりで、あれこれ話しながら岸辺を歩いた。
女の子は小さなおにぎりを持ってきてくれ、
ふたりで食べたように記憶している。
実のところ、僕の記憶は薄れに薄れてしまい、
ほんの数枚の白黒写真のような思い出でしかない。


『祖父、祖母』

祖父が小遣いをくれる際、
「ほらほら、両方の手のひらを上にして待ってて」
すると、私の手のひらにポトリとコインが落ちるのだった。
なんのことはない、祖父は頭の上にコインを置き、
私が手のひらを見つめている瞬間に
頭のコインを落としたのだった。
祖母は、オートバイを買ってくれた。
50CCの小さなバイクだった。
高かったに違いない、
祖母の買ってくれたオートバイを置いて、
私は東京に出て行ってしまった。


『雷の夜の蚊帳』

雷は恐かった。
今より100倍も恐かった。
「早く蚊帳に入り。
 そうすれば雷様も入ってこれないよ」
祖母の言う言葉を信じて、私は蚊帳の中に逃げ込んだ。
蚊帳で雷の脅威は防げないのだが、
なぜだか蚊帳の中だけは
平和だったのだ。


『ねこ』

あれほど愛したねこはいない。
道に捨てられていた、ちいさな茶トラのねこ。
懐いてくれた。
一緒に眠った。
布団のなかで温かい体を寄せてゴロゴロと喉を鳴らした。
ある日、車にはねられて小さな体は冷たくなった。


『ステレオ』

父に無理を言って買ってもらったステレオ。
部屋の大部分を占めてしまうほど大きかった。
初めて買ったレコードはビートルズのシングル盤。
CCR(クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル)も
大音量で聴いた。
母が、
「もっと小さい音で」
文句を言いに来たが、その声さえ聴こえなかった。


『師匠、引田天功』

若くして亡くなり、永遠のカリスマになった。
どこへ行っても、
「て、て、天功さんだぁ」
誰もが知っている、とてつもないヒーローだった。
それなのに、私の記憶の中では気弱で迷える人だった。
抱えていたであろう、たくさんの重い荷物を。
それでも、いつでもカッコ良かった。


『マジック』

これまで何百何千という数のマジックを
試してきたように思う。
それらのほとんどの、やり方を忘れてしまった。
毎日のように新しいマジックに惹かれ、
なんとか覚える。
だが、劇的な効果を生み出すマジックが
そうそう簡単に手に入るわけもない。
ウケないマジックは、当然ながら
見せる機会が少なくなってしまう。
引き出しの奥に押し込められてしまったまま、
何年も過ぎてしまったマジック。
いつの日か、マジックもマジシャンも
人々の記憶から消えていくのだろうか。


『体力』

大ネタふたつで筋肉痛になった。
番組のコンセプトは、危険なマジックだった。
相当に危険な状況での脱出マジックゆえ、
気力を集中させて無事に終了した。
今後は、もっと体力アップ目指して
トレーニングしなくっちゃ。


思い返してみれば、あれこれ無くしてきた。
でも、その分、これまで実に多くのものを
与えられてきたことを思い出す。
また、失ったものは
私の中から消えてしまったわけではなく、
いつまでも記憶の中に留まってくれるものであると
思う。

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2010-04-18-SUN
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