MAGIC
ライフ・イズ・マジック
種ありの人生と、種なしの人生と。

『マジシャンの匂い』


2010年となって、私はプロ・マジシャン生活
33年目を迎えることとなった。
最近では、

「さぁ、マジック会の大ベテランの登場です」

とか、

「奇術会の大御所」

などと紹介されることが多くなった。
袖で待機していて、いったい誰を紹介しているのか、
本人が気づかなかったりする。

大御所になった気などさらさらなく、
大ベテランの自覚もないままだ。

我が日本国では20歳が成人と定められている。
となると、芸歴の上ではまだ13歳である。
芸の上では、まだ中学生になったばかりなのだ。
どうりで、芸が幼いわけだ。

「本当に、いつ見ても変わらないですねぇ。
 確か、ナポさんを初めて見たのは
 20年も前のことなんだけど、
 その時とまるで変わってないですもんねぇ」

こう言われることが多く、
それらは褒め言葉として受け取ってきた。
しかし、あえて苦言と受け止めると、

「20年もの間、まるで成長も進歩もないねぇ」

とにかく、せめてあと7年は芸に精進しないと
立派な成人マジシャンとはなれないのだ。
こりゃぁ、大変である。

このところ思うことは、
マジックの不思議さだ。
もちろん、マジックであるからには
不思議でなければならない。

ただ、不思議であればマジックという分野の芸が
成立するかというと、
必ずしもそうでないところがややこしい。

ジョージ・カールという、
フランス出身のボードビリアンがいた。

まったくのサイレント、何も喋らず、
ただ面白可笑しい動きで笑わせる。

彼が初めて来日した際、
幸運にも私が世話係に任命された。

彼はサーカス小屋の近くに捨てられていたという。
サーカスのメンバーに拾われ、育てられたのだ。
親の顔も知らないまま、サーカス一座の様々な芸を
仕込まれてきたという。

「客席の中に、
 ひょっとして
 母や父がいるのではないかなぁと思って、
 つい眺め回してしまうよ」

何年も修行したジャグラーのような技を見せることはない。
難しい技法をマスターした不思議なマジックでもない。

なのに、ジョージ・カールの芸は
忘れられない印象を見た者に残すのだった。

彼の目に宿る何かが、
ひとつひとつの動きの中から滲み出て、
やがて私たちの心に伝わるのだ。

通訳の女性が嘆いた。

「ねぇ、わたしね、もうジョージの通訳は嫌。
 だって、彼って
 日ごとに体臭がきつくなるのよ」

どうやら風呂嫌いのジョージの体臭が
日ごとに増しているらしい。

私も彼の体臭気づいていたが、
それ以上に私の鼻ではなく、
心に沁みるものがあったのだ。

感情というか哀愁というか、無機質でないもの。

誰もが抱く、ふとした時に人間が感じる、
心を揺らすもの。

芸に心底惚れてしまうと、
きつい体臭もまるで気にならなくなってしまうのだ。

私も彼の芸に心酔しなければ、
無理矢理ジョージ・カールを
丸ごと洗っていたことだろう。

ハンカチから鳩が出て、観客は驚き拍手する。
あるいは、ステッキが宙を舞って不思議さに目を見張る。
選んだトランプが目の前で変化してびっくりする。

だがそこに、
はたして心までも揺らす不思議があるだろうか。

ある種の匂いのように、
知らぬ間に心に忍び込んでくるものがあるのだろうか。

あのジョージ・カールのように、
彼の人生にまで思いを馳せてしまうような
味わいがあるだろうか。

長らくマジックの苦手な私であったが、なんとか
不思議なマジックを5、6種類マスターできている。
あと少なくとも7年、なんとか芸にしがみついて
私なりの、私だけの匂いを発散させたい。

「へぇ〜、不思議だなぁ。
 で、どうやってるの?」

という感想だけではなく、
不思議さの後の残り香のような余韻を
醸し出したいと願っている。

2010年、私は匂うマジシャンになりたい。

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2010-01-17-SUN
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