MAGIC
ライフ・イズ・マジック
種ありの人生と、種なしの人生と。

『弟のマルコ』


ニューヨーク在住のマジシャン、
マルコ・テンペストが来日している。
日本に来るたびに、
「モシモシ、オニーチャン、マルコ、デス」
という電話をくれる。

彼との出会いは、もう20年以上も前だ。
彼の母国であるスイスでマジックの世界大会が催され、
互いにマジック・コンテストへの参加者として
出会ったのだ。

コンテストには、世界中から100人を超すアマチュアや
プロのマジシャンが参加していた。
毎日、多くのマジシャンたちと言葉を交わしたのだが、
なぜかマルコとはすぐに打ち解けて親しくなった。

マジック大会の期間中、
マルコは街のあちこちを案内してくれ、
昼も夜も食事をともにした。

当時、彼はベジタリアンで、
肉を一切使わない料理を求めて
レストランを渡り歩いたものだ。
私はすっかり腹ぺこになって、

「マルコ、この野菜スープなら大丈夫では?」

ところが、マルコは、

「スープに、きっと肉が使われているに違いないよ。
 もう少し探してみようよ」

空腹は最高のソースになり、
マルコが合格点を付けた料理は
どれも美味しかった。

出会ってから数年後、
マルコが初めて日本にやってきた。

ダンサーやジャグラーたちと一緒に、
新宿で1週間ほど公演をするためであった。

今度は、私が東京のあちこちを案内することになった。
夕食にお寿司屋さんへ連れて行った。
ベジタリアンのマルコが頼むのは
カッパ巻きとお新香巻きばかりで私の出費は少なく、
大いに助かったものだ。

蕎麦屋さんでも、ざる蕎麦ばかり食べていて、

「日本は、ベジタリアンの国だね」

と、喜んでいた。

以来、マルコの来日は数えきれないほどになった。
今回の来日は、彼のマジックの新作を撮るためである。

「オニーチャン、トクベツ、シュツエン」

私は原宿に向かい、
マルコの考案した不思議な映像マジックの
登場人物となった。

収録が終わって、マルコの宿泊しているホテルへ戻り、
夕食を共にした。
その席で、マルコが嬉しそうに、

「来年の夏、ポルトガルで
 インターネット版のFISMを開催するよ」

FISMとは、おもにヨーロッパの国々で
3年に1度開催される
世界最大のマジック大会のことだ。

私もこれまでほとんど欠かさず参加してきた大会で、
前回はオランダのハーグ市で開催された。

日本から約10時間ほど飛行機に乗り、
1週間ほどマジック漬けになる。

朝からコンテストやレクチャー、
有名マジシャンのショーなどを見続け、
再び10時間かけて日本に帰って来る。

大会への参加費用、ツアー代金など、
合わせて40万円ほどの大きな出費である。

そんなFISMのネット版を、
マルコたちが主催するのだという。

ポルトガルの有名マジシャンが持っているスタジオに
世界から30人のマジシャンが集まり、
3日間ショーやレクチャーをする。

その映像をネットに配信し、
見たい人は30ドルだけ払えば
すべてを見られるという仕組みである。

「たくさんお金はいらないよ。
 遠くまで旅をすることもない。
 自宅のパソコンの前に座れば、
 いつでも大会に参加できるよ。

 質問やアドバイスが欲しければ、
 すぐにアクセスして
 聞きたいマジシャンから教わることもできる。
 面倒なことは一切ないよ。

 どう? 素晴らしいでしょ。
 オニーチャンも、ぜひ参加してね」

これまでのFISMは、確かに面倒なことばかりであった。
大きな荷物を抱えて成田に行き、
長々と飛行機に乗り、時差ボケになりながらも
一日中マジックを見続け、
つたない英語で会話しなければならない。

食べ慣れないものを食べ、時には体調が悪くなる。
すっかり疲れはて、再び長い旅の後、
やっと自宅に戻る。

それに比べれば、ネットの中のFISMは
楽々と参加できるものであろう。

自身が、

「ボク、オタク ダヨ」

というほどパソコンに精通しているマルコならではの、
新しく洗練された試みだ。

私はマルコの話に大いに感心しながらも、
3年に1度だけFISMの会場で会う、
世界中のマジシャンたちとの交流、
見知らぬ街の風の匂い、
言葉の分からないレストランでの食事、
初めての味わい。

色んなことがごちゃ混ぜになった、
あの面倒な大会の、ひとつひとつの小さな出来事を
懐かしく思い出していた。

このページへの感想などは、メールの表題に
「マジックを読んで」と書いて、
postman@1101.comに送ってください。

2009-12-06-SUN
BACK
戻る