MAGIC
ライフ・イズ・マジック
種ありの人生と、種なしの人生と。


『迷える日々もあった』

近所をぶらぶらと歩いていた。
すると、前方から
見覚えのある女性が近づいてきた。

しまった、こんなときに限って
だらしない近所歩き用ファッションだ。

たとえ近所であろうとも、
やはりいつものようにアルマーニのスーツで
出かけるべきであったのだ。

しかし、時すでに遅し。
私は赤面を隠すようにお辞儀をした。

「こんにちわ、小石さん。
 きっといつか会うと思っていました。
 わたし、実はご近所に住んでいるんですよ」

え? そうだったのか。

「もう本当に近くですよ。
 たぶん200メートルくらいですよ」

「よかったら、ご近所飲み会をしませんか」

あれこれ、ご近所の美味しい店情報などを
語り合った。

本当に、我が家から歩いて5分もかからない所に
お住まいはあった。

あまりの近さにうれしくなり、
さっそくお邪魔して延々とご馳走になってしまった。

数日後、お誘いがあった。

「小石さん、今度ボウリング大会をやります。
 参加しませんか?」

私が大学2、3年の頃、
ボウリングがブームになりつつあった。

大学の最寄り駅にも大きなボウリング場ができ、
私たちは授業そっちのけで
ボウリングに興じたものだ。

なんせ、若い上に時間はたっぷりとあった。
朝からボウリング場に集結し、
なんと18ゲーム以上も投げ続けたこともあった。

今はスコアは自動で入力されていくが、
当時はすべて鉛筆で
スコアを書き入れなければならなかった。
それゆえ、だれもが
スコア計算を完璧に覚えてしまった。

ほぼ毎日のように通い18ゲームも投げていると、
かなり良いスコアも出るようになった。
時には260台も出るようになり、
相当に高いレベルでサークル仲間と投げ合ったものだ。

「俺、プロ・ボウラーになろうかな」

一緒に投げ合っていた仲間たちは、
半分本気で考えもした。

当時は、テレビでボウリングの試合が
ゴールデン・タイムに放送されていて、
プロ・ボウラーは一躍スターになってさえいた。

私たちは3年生になっていて、
そろそろ就職が現実のものとなっていた。

あの頃、本当にプロ・ボウラーになっていたら、
私はどうなっていたのだろうか。

当時のスター・ボウラーたちを、
たまにテレビで見ることがある。

懐かしいと同時に、
あの頃の迷ってばかりの日々を思い出す。

「小石さん? 小石さん?」

相当に長い間、
昔々の思い出に耽っていたに違いない。

「あ、はいはい。ぜひとも参加します」

私は二つ返事でOKした。

はて何年ぶりだろう。
数年前に仕事仲間と一緒にボウリングをして以来だ。

私のボウリングは、
プロを目指そうかという
真剣なものではなくなっていて、
さんざん飲んで酔っぱらってする遊びになっていた。

私はボールを持ちレーンに上がった。
しかし、相当に酔っていて
よろよろと歩き出し、投げた。

ボールは偶然にも良いコースを辿り、
見事にストライクになった。

喜んで振り返ると、まるで知らない人たちが
驚きあきれたように私を見ていた。

なんと、私は隣のレーンまで歩いていって
投げてしまったのだった。

仲間が謝ってくれ、呆然と自分の席に戻った。

それ以来、ボウリングはしていなかった。

「小石さん、
 ビールかなんか、飲みますか?」

私はきっぱりと断り、ボールを手にレーンに上がった。

かつてのフォームをイメージしながら、
力いっぱいボールを投げた。

しかし、ボールは無情にも
途中から溝を流れていった。

いきなりのガターである。

だが、私は妙にうれしかった。

プロ・ボウラーにはなれなかったが、
マジシャンになった。

そして今、こうして新しい友人たちと
ボウリングを楽しんでいる。

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2009-09-06-SUN
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