MAGIC
ライフ・イズ・マジック
種ありの人生と、種なしの人生と。


『古い日記』

長い間開けてなかった資料箱から、
便せんに書かれたメモが数枚出てきた。
日付は昭和61年11月4日とあり、
あまりに昔のことでまるで書いた記憶がない。
内容は、あるアフリカの国での日々を綴った
日記のようなものであった。

11月4日
午後6時、首都の空港に着いた。
入国手続きを待つ人の列、およそ80人。
税関審査に時間がかかるようで、
僕らは最後尾で相当に待たされる。
やっと順番が来たと思いきや、
たちまち係官から質問責めにあう。
フランス語はまるで分からないが、どうやら、

「これは、何だ?」

と聞いているようだ。
係官の指さす先にあるのはマジックの道具、
ではなく、せんべいと羊羹であった。
係官はせんべいも羊羹も見たことがなかったらしい。
英語であれこれ説明するのだが、
羊羹のパッケージが怪し過ぎたのだった。
この羊羹は、これからお世話になる現地の日本人の方への
お土産に良いと思った、
金のインゴットを模したパッケージであったのだ。
確かに、旅行者のカバンの中に、
金のインゴットが発見されれば、
大いに質問も浮かぶことだろう。
しかも、パッケージといい羊羹の重さといい、
金のインゴットとしか思えないではないか。
これはひょっとすると
入国さえ出来なくなるかもしれないと思い始めた頃、
係官はあっさりと、

「OK、行っていいよ」

我々は、この国のおおらかな国民性に救われたのだ。

11月5日
街中に流れるコーランの声で目が覚める。
こちらでは1日に5回、このコーランに合わせて
祈りを捧げるらしい。
ホテルから眺める街は、まるでジャングルのように
緑が濃い。

朝食をすませて、海外青年協力隊事務局、
日本大使館等へ挨拶回り。
昼食は、さる富豪の邸宅で豪華な料理を堪能。
初めて食べたクスクス(小麦粉を固めて、
それを小さな米粒くらいにしたものを蒸し、
カレーで味付けをしたもの)が、
まるでご飯のようで美味しかった。

食後、再び大使館へ向かうため車に乗ったら、
運転手は散々に迷ったあげく中華民国大使館へ到着。
運転手は胸をはって、

「ここだ」

と言う。惜しい。

夜、民族衣装を買いに街に出る。
忘れてはならないのがメジナ、
敵が攻めにくいように街自体が
迷路のように作られているのだ。
そんなメジナをさまよう謎の東洋人、というところか。

魔人の出てきそうなランプ、鈍く光る銀器、
豚の丸焼き、ターバンとチャドルの人、人。
そんな街中を歩くと、
自分がアラジンにもシンドバットにも
なれるような気がしてくるが、
店先の鏡にはカメラを持った普通の日本人が映っていた。

11月6日
夜は肌寒いくらいなのに、
昼間はTシャツを通して陽の光が痛く感じられるほど暑い。

海外青年協力隊の事務局で、現地の女子大生と会う。
彼女は英語とフランス語に精通していて、
かなりのエリートだそうだ。
おまけに、なんともチャーミング。

「近い将来、あなたの国、
 日本にも行ってみたいわ」

さっそく自宅の電話番号をメモに書いて渡す。

午後、現地に長期滞在している鉱山技師のM氏と会う。
M氏はすでに18年もこの国で働いている。
所属は日本の金属鉱業の社員で、
現地の鉱山で技術指導を続けているのだ。
お手伝いのファティマさん、
黒くて大きい愛犬と暮らしている。

夕方、M氏が和食を振る舞ってくれた。
日本を出てまだ数日にもかかわらず、
すでに日本食が恋しい。
出されたご飯、漬け物、焼き魚を
夢中でいただいてしまった。

生き返ったような気分になり、
いよいよこの国での初ステージ、
マジックをしなければならない時がやってきた。

             (つづく)

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2009-07-05-SUN
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