MAGIC
ライフ・イズ・マジック
種ありの人生と、種なしの人生と。

『マジシャンの故郷』

久しぶりに故郷に帰った。
今年87歳の父と、84歳の母の顔を見るためであった。
いつまでもあると思っていた父母であるが、
ふと年齢を考えれば、両親ともかなりの高齢である。
今後はなるべく頻繁に会いにいかなければ、
という思いが募ったからである。

東京駅から新幹線で2時間、岐阜羽島駅に着くと、
父と次女の姉が迎えに来てくれていた。
さっそく姉の運転で故郷である関市方面に向かった。
姉が免許を取ったばかりの頃、
助手席に乗せてもらったことがある。
田舎の細い道だからとはいえ、
対向車がやってくる度に車を停車させてしまう姉であった。
よくこれで免許が取れたものだと、
妙な感心をしたものだ。
そんな姉が、もうベテラン・ドライバーになっている。
長い年月が過ぎたのだ。

40分ほど走ると、急に懐かしい風景が現れた。
子供の頃の山や川が、
そっくりそのままの姿で迎えてくれるのだった。

世の中がバブル経済の頃、
故郷にも開発の波がやってきた。
大型の工場誘致、大都市である名古屋で働く人々の
ベッド・タウン、ゴルフ場などが計画されたのであった。
また、それに伴う新たな高速道路の建設も始まった。
そんなバブル騒動とは関係ないかもしれないが、
町の外れにピンクのネオンも
鮮やかなホテルまで建ってしまった。

ところが、高速道路が山の向こうまで完成した頃、
いきなりバブルが崩壊したのだ。
山々を削って建つはずであった工場も
ベッド・タウンもゴルフ場も、
すべては計画倒れになってしまった。
町の外れの妖し気なホテルも
いつの間にか姿を消してしまい、
我が故郷の自然、風景は変わらぬまま残されたのだ。

とはいえ、車がないと不便極まりない田舎である。
あちこちに広いバイパス道路が
縦横に張りめぐらされていて、
僕が通った小学校までの道は残っているものの、
まるで田んぼのあぜ道のように細く見えるのだった。

実家に到着し、8畳の仏間に荷物を置いた。
子供の頃は恐かった仏間だが、
今は飾られた祖父と祖母の遺影を見て、
生まれ育った我が家を実感するのだった。

東京土産の代わりに持ってきたTシャツを広げる。
父母、姉二人が手に取って品定めを始める。
しかし、関心があるのはもっぱら値段のようだ。
口々にその値段の高さに驚きの声を上げる。
ほとんどのTシャツが姪や甥のものになるが、
父も1、2枚を自分用に確保する。
ブランドのロゴが輝くTシャツを着て、
裏の畑のエンドウ豆を収穫に行く父。
少し遠くの田んぼの草刈りに行く時は、
以前にプレゼントしたL・Vのバッグを肩にかけて出掛ける。
そのバッグには、父の名前と電話番号が
フェルト・ペンで大きく書かれている。

「どこかに置き忘れて、
 誰のもんか分からんと困るでなぁ」

名前と電話番号が手書きされた、
世界で唯一のL・Vのバッグであろう。

子供の頃に泳いだ川に行ってみた。
相変わらずの清流だ。
今は歩行者専用の橋が架けられていて、
対岸の中学校に5分ほどで通えるようになっている。
僕が通っていた頃はそんな便利な橋などなく、
ぐるりと迂回しなければならなかった。
歩いて30分はかかっていただろう。
ぐずぐずしていて遅れそうになると、
真冬でも川を渡って中学校に行ったものだ。
夏は夏で、毎日のように川を渡った。
途中で大きなウナギを発見し、
追いかけては遅刻したりしたものだ。
なぜか今では川は遊泳禁止になり、
子供たちは学校に新設されたプールで泳いでいるらしい。

ある日の午後、たまたま僕の出演する番組があり、
父母とともにテレビの前に座った。
ところが、僕が画面に登場するや否や、電話が鳴った。

「もしもし、今、
 お宅の息子さんがテレビに出とんなさるよ。
 ほれほれ、テレビに・・・」

田舎の電話はなかなか終わらないのが常らしく、
父はあれこれと話し続けている。

「はぁ、そうやね、まぁ、しょうがないもんでねぇ、
 はぁ、それでねぇ・・・」

やっと電話が終わって父が戻ってくると、
ちょうど僕の出番は終わっていた。

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2008-05-28-WED
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