MAGIC
ライフ・イズ・マジック
種ありの人生と、種なしの人生と。


『続・弟子入り志願』


5月になると、
急に弟子入り志願が増えるという傾向にある。
以前にも記したが、
最近はメールで弟子入り志願するという、
お気楽な人物もいたりするから困ったものだ。
さて今回は、
ちょっと変わった弟子入り志願のお話であります。

プロ・マジシャンであるA氏のもとに、
若いアメリカ人男性が訪ねてきた。
アメリカで
A氏の和妻(日本古来のマジックのこと)を見て、
その奥義を学びたくなったのだと言う。
彼は、はるばるアメリカから日本人マジシャン、
A氏の元へ弟子入り志願にやってきたのだ。
昔も今も、日本のマジシャンにとって
アメリカのマジック界はあこがれの対象である。
そんなマジック先進国のアメリカからの弟子入り志願、
A氏はさぞかし驚いたに違いない。
日本のマジック界の長い歴史の中でも、
アメリカ人を弟子にした日本人マジシャンは皆無だろう。
A氏は初めてアメリカ人を弟子に持つ
日本人マジシャンとなるのだ。
人情に厚いA氏、
アメリカ人青年の弟子入り志願を受け入れて
修行させることになった。
寄席にも長く出演してきたA氏は、
多くの落語家さんや芸人さんの弟子たちと同様に、
アメリカ人青年を
4畳半のアパートに住まわせることになった。
生活資金は師匠からもらう小遣い程度、
朝から晩まで雑用ばかりの日々。
狭い部屋にはお風呂などあるはずもなく、
夏の暑い日には台所で身体を拭いておしまい、
それは普通の弟子入り修業の暮らしである。
しかし、アメリカからの弟子入り志願者には
とても耐えられない待遇であったに違いない。
大きな家に住み、
これまた広いバスルームで朝晩シャワーを浴び、
バスタオルを巻いたままベッドに飛び込む。
あくまでテレビ等から受ける
アメリカ人の暮らしのイメージであるが、
私が実際にアメリカのマジシャン宅を訪問した時にも、
その家の広大さに驚いたものだ。
そんなアメリカからやってきた青年が、
修行とはいえ日本の狭いキッチンで身体を洗う暮らしは、
やはり堪え難いものだったのだろう。
アメリカ人青年の日本型弟子修業はアッという間に終了、
青年はさっさと帰国してしまった。

B氏は、海外公演の経験豊富な
ベテラン・マジシャンである。
世界各地で開催されるマジック大会で、
そのスピーディなマジックは高く評価されている。
そんなB氏が、
イギリスのマジック大会にゲストとして招かれた。
演技を終えて控え室に戻ると、
ひとりの外国人が訪ねてきた。
「私はアフリカからこの大会に参加しています。
 貴方のマジックは素晴らしい。
 日本に行って貴方のマジックを習いたいのだが、
 連絡先を教えてはいただけないでしょうか?」
これまでも同じような依頼があったB氏は、
気さくに名刺を渡し、
「日本に来たら連絡してみてください」
そう告げた。
これまでがそうであったように、
マジックを習いたい人物はあっても、
実際に来日するマジシャンはひとりもいなかったのだ。
帰国して、アフリカ人男性の弟子入り志願も
すっかり忘れていたある日、自宅の電話が鳴った。
「ハロー、私はイギリスで会った者です。
 今、成田に着きました」
心底驚きながらも、
なんとか自宅までの交通手段を伝えたB氏、
最寄り駅に迎えに行くと、
改札の外に5人のアフリカ人が立っていた。
中央に立つ男性には、確かに見覚えがあった。
ひたいに大きなマークのようなものが描かれている。
間違いなくイギリスでのマジック大会で出会い、
名刺を渡した人物であったが、
まさか本当に訪ねてこようとは。
唖然とするB氏に、
「マジックを習うため、来日しました。
 他の者は、私のお付きの者たちです」
お付きの皆さんも、ひたいに同じマークを描いていた。
道すがらそのマークの意味を尋ねると、
「これは、我が一族の家紋でありまする」
翌日からマジックの修行となった。
「苦しゅうない、もっと近くで教えてたもれ。
 細かいところは、
 余の付き人がノートに書き付けるゆえ、
 いくらでも存分に、ほほほ」
みたいな稽古風景であったらしい。
1週間ほどでめでたくマジック修業は終了、
ご一行は感謝の言葉を述べつつ日本を去って行かれた。
「あれ以来、名刺を渡すのに慎重になったよ」
遠くを見るような目になって、
B氏がぽつりとつぶやいた。

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2007-05-09-WED
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