MAGIC
ライフ・イズ・マジック
種ありの人生と、種なしの人生と。

『マジシャンの災難』


「災難は、忘れたころにやってくる」
午前4時半のことだった。
なんだか蒸し暑い夜、
私は重苦しい夢を見ていたようだった。
布団をはねのけ、右から左に大きく寝返りをうった。
その際、右足を高く上げて、
まるで回し蹴りをするように左へと振った。
ベッドの左側には壁があった。
私の回し蹴りは、見事にその壁を直撃した。
しかし、壁にはさして損傷はなく、
私の右足の親指に激しい痛みをもたらした。

すべては夢のような出来事のようだが、
右足の親指の痛みは現実であった。
「いたたたたたたたたぁぁぁぁぁぁ」
夢から覚めた私は、慌てて右足の親指を見た。
部屋の電気を点け、
おそるおそる指先に焦点を合わせると‥‥。
親指の爪、その左側半分くらいが、あれれれれれ、
なんだか浮いてないかい?
ひょっとして、いや、どう見てもこれは
爪が親指本体から
剥がれそうになっているではないかぁぁぁ。
私は更に慌ててその爪を親指本体に強く押し戻そうとした。
すると、爪と親指本体の間から、
血が血が血が、なんだかじゅわ〜、じゅわ〜、と
小さな赤い玉のようになって出てきた。
いかんいかん、ことはかなり深刻ではないか。
私はまずティッシュでその血を拭った。
更に数枚を重ねて止血を試みた。
続いて、近くにあった薬などを入れている
ポーチの中を探り、絆創膏を発見した。
ティッシュを外すと、
幸いにも血は止まっているようだった。
とにかく、今はこの哀れな爪を
親指本体に絆創膏でしっかりと戻さなければならない。
いきなり、急に爪がなくなったら困るのだ。

そこで、やっと私は時計を見た。
午前4時半、こんなに辛い目覚めは初めてかもしれない。
意味のないことだが、私は左側の壁の実況見分を始めた。
確かに、ちょうど右足の親指が当たったであろうあたりに、
かなりのへこみが出来ている。
そのへこみから下へと、斜めに筋が続いている。
壁を蹴った後、まるで壁を引っ掻くようにしたに違いない。
その際、爪に相当に無理な力が掛かってしまったのだ。
だいたいのことが分かると、私は妙に落ち着いてきた。
まだ起きるには早い、もうひと眠りしよう。
何枚もの絆創膏で固めた親指であるが、
布団が乗っかるだけでも痛い。
痛いぃぃぃぃ、しかし、眠いぃぃぃぃ。
痛眠いのであった。
痛いなぁ眠いなぁ、こんな感覚って過去にあったかなぁ、
そう思いながら浅い眠りに落ちた。

目覚ましが鳴った。
眠りから覚めると同時に、痛みも目を覚ましたらしい。
ひゃぁぁぁぁ、痛い〜。
この日が休みなら良かったのだが、
あいにくと午前中に横浜まで行かなければならない。
支度をせねばと立ち上がったのだが、
絆創膏で固めた右足をスリッパに入れようとした瞬間、
激しい痛みが襲ってきた。
これはまずい、スリッパが履けないとなると、
靴など履けるわけなどないではないか。
私は、ベランダで使っているゴムのサンダルを履いて、
のろのろと駅に向かって歩いた。
電車はちょうど通勤時間帯、かなり混んでいた。
本当は優先席に座らせてもらいたい、切にそう願うのだが、
誰も席など譲ってくれるはずもなかった。
私は、右足を踏まれないよう
(もし踏まれたら、想像するだけでヘナヘナと倒れそうだ)
右足を上げ続けた。
まるで王選手のフラミンゴ打法のように。

あの日から数日が経った。
私はまだ病院で診てもらってはいない。
誰からも医者に行けと言われるのだが、
実は恐くて行けないのだ。
以前、怪我をした際に、
固まった包帯をグイッと剥がされたことがある。
痛みのあまり気絶しそうになった。
それ以来の病院恐怖症である。
したがって、
私はいつも治ってから病院に行くことにしている。
「治ってるねぇ。
 で、どうするの? 薬? いらないと思うけど」
お医者さんはとても迷惑そうだ。
その困ったような顔を見て、私は始めて安心するのだ。
あともう少し、もう少ししたら治る。
治ったらすぐに病院に行こう。

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2006-06-07-WED

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