MAGIC
ライフ・イズ・マジック
種ありの人生と、種なしの人生と。

誰にも秘められた過去がある。
その傷跡は跡形もなく消えていて、
思い出すことも稀になった。
しかし、決して忘れ去ってしまったわけではない。
ゆえにこうしてまた、
ふと思い出してしまうあの日の記憶。


『剃毛』


中学2年生の春のことである。
私は先生の声を遠くに聞きながら、
窓の外の山並みをぼんやりと眺めていた。
今日はなぜか、どうしても授業に集中できない。
「先生、お腹が痛いので、保健室に行っていいですか?」
もちろん、100%の仮病であった。
このまま教室にいて、まるで授業を聞いてないのがバレて
叱られるのを待つのも能がない。
背に腹は代えられないのだ。
先生は疑り深い視線を投げかけたものの、
「しょうがないなぁ、急に痛くなったのか?
 早く診てもらってこい」
保健室の先生は大好きだ。
いつでも優しく話を聴いてくれ、
母親のように甘えたくなってしまう。
お腹が痛くて保健室に来たのに、
私は嬉しくてたまらない表情をしていたに違いない。
優しい先生は微塵も疑うことなく、
「まぁ、どうしたのかしら。
 どれどれ横になって。どこが痛いのかな?」
などと真剣にお腹のあちこちを押したりしている。
「先生、どこも痛くないで〜す」
などと答えたいのだが、大好きな先生に叱られるのは辛い。
適当に痛い箇所を答えた。
すると、
「小石くん、ちょっと先生、心配だなぁ。
 ここを押して痛いのは、ひょっとすると盲腸かもよ」
「そんなはずないっすよ。
 だっておいら、仮病なんだもん」
そう白状したかったのだが、
そうなればこれまでの優しい先生の気持ちを、
私は永遠に失ってしまうに違いない。
それだけは絶対に嫌だ。
「小石くん、今から大学病院に行って検査してもらおう。
 万が一ってこともあるでしょ。
 調べてもらって何もなければ、先生も安心だし」
しょうもない嘘つき少年の私に、
先生はあくまで優しい。
心の中で激しく後悔したのだが、もう遅い。
私は先生の車で大学病院に送られることとなってしまった。
大学病院の若い医師が、私のお腹を押している。
けっこう強く押すので、爪がお腹に当たって痛い。
たまらず痛みを訴えた。
すると医師は先生に言った。
「盲腸ですね。手術しましょう」
そんなはずはない、そんなはずはない。
絶対におかしい。
だって、おいらはどこも痛くない。
なんせ、これは仮病なんだから。
医者なら仮病くらい見抜いてくれよ。
「先生、これは仮病なんです。
 本当はどこも痛くないんです」
心の中で叫んではみたものの、声にはならなかった。

数日後、とうとう手術となった。
しょうもない始まりから、まさかこんなことになるとは。
下腹部の剃毛が始まった。
手術への恐怖とともに、
これまで一度も味わったことのない、
激しい羞恥心が襲いかかって来た。
しかも、しかもである。
なぜか大勢の見習い看護婦のような人たちが
ぐるりと廻りを囲み、
メモ用紙を乗せたボードを手にして、
一部始終を食い入るように見ているではないか。
後で分かったことだが、
私の盲腸手術は
インターンの人たちのための授業にもされたのであった。
私の両親が、息子の手術が
今後の人たちのお役に立てるならばと
喜んで賛同したのである。
しかし、中学2年生の少年にこの仕打ちはあまりに辛い。
「やめてくれ〜、それとも全身麻酔にしてくれ〜」
私は心の中で叫んだ。
しかし、現実はあくまで過酷であった。
麻酔は局部のみで、
私の意識は最後まではっきりとしたままなのであった。
あまりの羞恥にメスの痛みをまるで感じなかったのは、
不幸中の幸いでしかなかった。
手術から数日後、退院の日がやってきた。
病室に入って来た若い医師が、
「いやぁ、すっかり良くなったね。
 元気そのもの、あっはっは」
と豪快に笑って去って行った。
身体は確かに元気になった。
だが、あの剃毛の恥ずかしさは
未だに忘れることが出来ない。

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2005-09-02-FRI

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