MAGIC
ライフ・イズ・マジック
種ありの人生と、種なしの人生と。

銀座は大人の街だそうである。
ならば充分に大人である私も、
銀座になじんでおくべきだろう。
かくして、時間ができると銀座へと足を運ぶ私であった。
そんな大人の街銀座で、私が見たものは‥‥。


『銀座ものがたり』


最近のマジシャンに必要なもの、それはマニキュアである。
昨今のマジック・ブームではトランプを使った
カード・マジックが主流となっている。
そうなると、カメラに映るマジシャンの指先が
どうしても気になってしまうのだ。
というわけで、
私も銀座のネイル・サロンへ通う身となったのだ。
まさかマニキュアをするとは、私自身夢にも思わなかった。
しかし、今や爪がピッカピカしていないと
不安になってしまうほどである。
変われば変わるもの、来年あたりはお化粧してたりして。

さて本日も、私は予約をしていたネイル・サロンへと
出掛けた。
土曜日の午後、
サロンは相変わらずのにぎわいを見せている。
とはいえ、さすがに男性の姿は私ひとりのようだ。

いつものように案内されたシートに腰をかけ、
スキのないユニフォーム姿のネイリストさんに
両手を預けた。
さぁこれから1時間ほど、
素晴らしいカード・マジックにふさわしい
(テクニックは大したことなくても、
 見た目はなんだかすごいこと出来そうな)
美しい指先に仕上げていただきましょう。

しばらくすると、私の隣の席に数人の男女が現れた。
皆一様におしゃれに着飾っていて、
話から家族と推測された。
このサロンの常連、お得意様のようだ。
本日これからマニキュアをされるのは、
80歳は超えておられるとおぼしき老婦人ひとり。
「じゃぁ、おばあちゃん、
 指も足もきれいにしてもらって、
 髪もカラーしてもらってね。
 それと、マッサージもお願いしますね。
 えぇっと、とにかくフルコースだからゆっくりね。
 では、よろしくお願いしますね。
 後で迎えにまいりますから」
そう言い残して、他の家族たちはサロンを出て行った。

マニュキアとペデュキア、加えて髪のカラーリング、
更にマッサージなどというと、
ゆうに4時間は掛かるであろう。
「ねぇねぇ、お隣のご婦人だけど、
 これからあれもこれもとなると、
 4時間もここにいなくちゃならないよねぇ?」
私は担当してくれている女性に小声で尋ねてみた。
「いえいえ、4時間どころじゃないですよ。
 途中で休憩しなけりゃならないし、
 お茶とかお菓子とかサービスするし、
 なんだかんだでこれから6時間は
 このサロンでお過ごしになるんですよ」
女性はすっかり慣れた口調で答えてくれた。

6時間!
マニキュアもペデュキアもされるがまま、
カラーだってマッサージだって
ただ身を任せておけばいいとはいえ、
かなりの長丁場ではないか。
しかし、老婦人は足の手入れが始まると
優雅に持ってきた本を読んだり小さく寝息をたてたりと、
優雅に時を過ごしていたのだった。

私の指先もすっかりピッカピカになった。
仕上がりの美しさにウットリとしながら、
私は別のフロアーに移動した。
ほんの20分ほど、
ソファーに座ってマニキュアが乾くのを待つのである。
支払いを済ませた私は
そのまま銀座をブラブラとすることにした。
あちこちの店をひやかし、
裏通りのそば屋さんで天ざるを食べたりした。
今日の銀座での過ごし方は、
まさに『銀座の大人』そのものであろう、
などとひとり勝手に満足したりしていた。
そんなことで過ごしていると街はもうすっかり夕暮れ、
そこである忘れ物を思い出した。
切らしているベース・コート(爪の表面に塗るもの)を
買わなければいけなかったのだ。
私はあたふたとサロンへと引き返した。

サロンはビルの最上階である。
エレベーターを降りると、
あの老婦人がフロアーの椅子に座っているのが見えた。
膝の上に本を置いて、頭を少し右に傾け、
静かに眠っているようだった。
サロンでの時はもう6時間を過ぎようとしている。
お迎えの家族たちはまだなのだろうか。
サロンの客は来ては去り、長らく留まることはない。
そんな空間に、あの老婦人だけが忘れ去られたかのように
留まっている。
お迎えはまだ来ない。私は老婦人を見つめて思った。
「現代版・姥捨山は、銀座にあった‥‥」

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2005-08-10-WED

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