MAGIC
ライフ・イズ・マジック
種ありの人生と、種なしの人生と。

世の中はすっかり春である。
温かな空気に誘われるように、
私もぶらぶらと近所を散歩に出掛けた。
古いアパートが並んでいる。
はて、こんな光景をずいぶん以前にも見たような。
そうだ、私の友人の、あの男がしでかした、
あの事件‥‥。


『動く焼死体』


4月に入って、
東京はまるで初夏のような暖かさになっていた。
桜は一気に満開となり、花見の人々が街に溢れていた。
そんなある日の午前1時過ぎのこと、
弥生荘A棟の一階に住む男の
タバコの火の不始末から始まった火災は、
またたく間に古い二階建て木造アパートを焼き尽くした。
更に火の勢いは衰えず、隣の弥生荘B棟にも燃え移った。
しかし、そこでやっと消防士の懸命の放水が火勢に勝り、
弥生荘B棟の壁や窓を煤で真っ黒にしながらも
ゆっくりと鎮火していった。
幸い二棟のアパートの住人たちに怪我もなく、
皆逃げ出して無事であった。
ただ、建物の一棟は完全に焼け落ち、
隣のアパートも一部が焼けてしまっていた。

男は酔っていた。
いつものことだが、
店が閉まる3時過ぎまで呑んでしまった。
フラフラとおぼつかない足取りだが、
慣れた路地をアパートまで歩いた。
やっとアパートの近くまで来たが、
いつもと違いなにやら騒がしい。
普段なら、見かける人影は新聞配達くらいのものだ。
それが、今夜は数人の男女の興奮した声が聞こえてくる。
いったい何人の人たちが、
こんな夜更けに何をしているんだ?
不審に思いながら角を曲がると、
すぐに何台もの消防車が目に飛び込んできた。
男の泥酔した頭でも、状況はすぐに推測できた。
「はは〜ん、こりゃオレのアパートのかなり近所で
 火事があったんだなぁ。
 でも、オレの部屋はここから見えている。
 なにも焼けた様子はなさそうだ。
 となると、隣のアパートが焼けたんだろうか?」
近くまで来てみると、
大勢の野次馬が隣のアパートを囲んでいる。
その視線の先には、無惨に焼け落ちた弥生荘A棟があった。
数本の柱のようなものはあるものの、
なにもかもが完全に黒い固まりとなって
薄い煙をたなびかせている。
思わず自分の部屋の方を見た。
弥生荘B棟は、自分の部屋は、
まるで何もなかったように見えている。
男は思わずにやりとした。
「やれやれ、どうせ何もない部屋だから、
 焼けてもどうってことはない。
 だが、やはりこんな夜更けに焼け出されるのは
 たまらない。
 他に行くところもない。
 それに第一、かなり酔っている。
 早く布団に潜り込んで、まずは寝ちまいたいってもんだ」
そうぶつぶつとつぶやくと、
男はふらふらと自分のアパートの部屋へと向かった。
一応はかけてある鍵を開け、部屋に入った。
電気を点けてみようとしたが、やはり停電しているようだ。
台所はなにも変わった様子はない。
二間しかない部屋、ふすまを開けて
もうひとつの部屋を覗いてみた。
「そうだ、窓を開けっ放しにして出掛けちまった。
 こりゃぁ、煤の臭いだなぁ。
 まぁいいや、とにかく今は眠くてたまらねぇ」
男は裸になると、そのまま敷きっぱなしのふとんに入って
すぐにぐっすりと眠ってしまった。
開け放たれた窓から煤が音もなく流れ込んで、
ふとんの上にも、眠っている男の顔にさえ、
静かに静かに降り積もっていった。

すっかり夜が明けた。
検分のため、数人の消防士が手分けをして
焼け残った弥生荘B棟を見て回っていた。
部屋には誰もいない。
あの火事騒ぎでみんな逃げ出してしまっている。
ひとりの怪我人も出していない、不幸中の幸い、
そんなことを思いながら、その部屋に入った。
信じられない光景が目に飛び込んで来た。
真っ黒に焼けこげた死体が、
これもまた真っ黒になっているふとんから
半身をさらけ出している。
「おお〜いっ、誰か来てくれ〜っ」
やっとの思いで外の仲間を呼んだ。
するとその瞬間、再び信じられない光景が
消防士の目に突き刺さった。
真っ黒に焼けこげた死体が、むっくりと半身を起こした。
そうして、
「あんた、誰?」
死体は動き出したばかりか、しゃべりさえした。

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2005-04-12-TUE

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