MAGIC
ライフ・イズ・マジック
種ありの人生と、種なしの人生と。

秋が来て、雨模様の日が続いています。
降りしきる雨を見つめながらふと思い出した夜の物語。


「お見送り」


その年の大晦日は、冷たい雨が降り続いていました。
永遠に降り続いてしまいそうな雨が、
黒いアスファルトの上を流れて行きます。
その流れの先からひとり、またひとりと坂を上ってきます。
無言で、黒い傘で顔を隠すように歩いてきます。
僕たちは塀際に立てられたテントの中で、
降りしきる雨音を聞いていました。
その雨音の大きさに、
訪れる人々と言葉を交わすことができないでいました。
でも、それをありがたく感じていました。

テントの中で受付を済ませた人々が、
また傘をさして左の坂を上っていきます。
坂の上の突き当たりが、私たちの先生のご自宅でした。
雨の向こうに、玄関の明かりがぼやけて見えます。
人々が黒い影になって玄関に消えていくのを、
ただ見つめていました。
遠くで車の音が聞こえ、
ドアの閉まる音やエンジンの音が続いて聞こえてきます。
その音の後に、傘をさした人たちが見えてきます。
遠くから聞こえてくる音、それに続く人の光景は、
まるでなにかの映像を見ているようでした。
なんだかすべてが、私には現実と思えないのでした。
冷たい雨の夜なのに、しずくが首筋を濡らしているのに、
なんだかちっとも寒くない。

どれくらい時間が経ったでしょうか、
訪れる人が途絶えました。
車の音も聞こえなくなりました。
また雨の音だけになりました。
急に寒くなったように思えて、
ハンカチでしずくを拭いました。
「さぁ、我々も行くか」
先輩の声が聞こえて、
私たちはテーブルの白い布の上を片付け始めました。
傘をささずに玄関まで走りました。
中に入ってドアを閉めたのに、
雨の音は少しも小さくならないように思えました。
廊下の先の部屋に、先生に会いに来た人々がいます。
互いに交わしているであろう言葉が、
雨の音に吸い込まれて消えていくようです。

思い出す夜があります。
深夜、てっきり先生はお休みになっていると思い、
友人と長電話をしていました。
話はいつか弟子暮らしのことになり、
「本当にさぁ、弟子暮らしは厳しいもんだぜぇ。
 良いことなんか、ひとつもありゃしないよ」
などと、つまらない愚痴になりました。
本当は毎日が信じられないほどに活気に溢れていたのに、
友人にはそんな興奮を悟られまいとしたのでしょうか。
そこに、眠っていたはずの先生が現れたのでした。
もう、言い訳なんか思いつく暇もありません。
私はさっさと謝りました。
すると先生は怒るでもなく、
「なんか不満があるのだったら、私に直接言いなさい。
 友達に愚痴ってもどうもならないだろう。
 それに、電話代がもったいない」
そう言って笑みさえ浮かべていました。
先生の『電話代がもったいない』という言葉に、
突然親しみの気持ちが湧いてきました。
これまで畏れ崇めていた先生が、
急に身近に感じられた瞬間でした。

人々の黒い背中の向こうにいる私たちの先生のことを、
あれもこれも思い出していました。
大晦日の夜、冷たい雨の夜、先生を見送った夜でした。

このページへの感想などは、メールの表題に
「マジックを読んで」と書いて、
postman@1101.comに送ってください。

2004-10-03-SUN

BACK
戻る