MAGIC
ライフ・イズ・マジック
種ありの人生と、種なしの人生と。

ビデオの普及によって、
いつでもどんなマジシャンでも
簡単に見られるようになった。
私たちはあちこちからビデオを入手して、
同じマジシャンの同じ演技を飽くことなく見たものだった。
日本の経済が豊かになって、
海外旅行ブームがやってきた。
あこがれのマジシャンたちを、
生で見られる日がやってきたのだ。
うれしい、うれしい、


「なま・マジシャン」


島田晴夫
(1940〜 )


1983年、ハワイに行った。
ホノルルでマジックの国際コンテストが開催され、
私たちも初参加したのである。
恥ずかしながら、これが初の海外旅行であった。
夜ごとゲスト・マジシャンのショーがあり、
その最終日の最後(クロージング・アクトといい、
名誉あるトリの出演)に出てきたのが島田晴夫であった。
日本でプロ・デビューした島田晴夫は、
新天地を求めてオーストラリアへと渡った。
そこで出会ったダンサーのディアナ
(後にディアナ・シマダとなった)という
美しいアシスタントとともにアメリカへ移住した。
黒い真っすぐな髪を肩まで伸ばし
紋付きはかま姿のマジシャン、
ときおり見せるキメのポーズは
やはり歌舞伎の見得(みえ)のようであった。
この日本調(本当の日本調とはかなり違うとは思うが)
スタイルのマジックが、アメリカ各地で受けた。

日本を飛び出した島田晴夫は、
アメリカで評判のマジシャン、ミスター・シマーラー
(英語ではシマーラーと聞こえてしまう)となったのだ。
大劇場の大きなステージに、
多くのマジシャンたちの後を締めくくるべく、
さっそうと我ら日本が世界誇るあの島田晴夫が現れたのだ。
海外の劇場で日本人マジシャンの登場に会うと、
妙にナショナリズムを刺激されてしまう。
ましてや萬来の拍手が起きたりすると、
バンザ〜イなどと叫びたくなってしまう。
それは私だけだろうか。
島田はなんだか大きい!
この大舞台にもひけをとらないくらいに
大きく見えるではないか。
島田は観客を魅了しつくした。
島田が演ずる日本が、島田という日本人が、
今世界中の観客から熱い拍手をひとり占めしている。
興奮醒めやらぬままに、楽屋に向かった。
しばらくして、笑顔の島田晴夫が出てきた。
当たり前だが、完璧な英語でスタッフたちと話している。
多くの若者たちがサインをねだっている。
私は声もかけられずその光景を見つめていた。
サインをもらった少年が、嬉しそうに私にささやいた。
「He is my hero.」
(彼は僕の英雄だよ) 


アリ・ボンゴ
(Ali Bongo.1929〜 )


アラビアあたりから来たマジシャンのような
コスチュームで演じる抱腹絶倒の
ドタバタコメディ・マジックで評判となった。
だが、素顔のアリ・ボンゴはもの静かなイギリス人である。
ステージ以外の普段のアリさんは、
いつもスーツをきちんと着こなしている
英国紳士のイメージそのままの人だ。
スーツ姿のアリさんと舞台上のアリ・ボンゴは、
まったくの別人に思えてしまう。
だから、アリさんがスーツのままで
リハーサルをしているのを見ても、
始めは誰もあのアリ・ボンゴのリハーサルだと気付かない。
しばらくして、
あのヘンテコリンな動きはひょっとして・・・、などと
気付くのである。

アリ・ボンゴが初来日したのは1978年のこと。
日本が経済発展を遂げ、
やっと国際的なマジックの大会を開催、
海外からマジシャンを呼べるようになってきた頃であった。
それまで映像でしかお目にかかることがなかった、
あこがれのマジシャンを
生で見られる時代がやってきたのだ。
Hさんは、アリ・ボンゴをこよなく愛し崇拝している
ファンのひとりであった。
彼の目の前に、幾度も映像で見た
あのアリ・ボンゴが飛び出してきた!
その瞬間から、客席を爆笑の渦に巻き込んでしまう
アリ・ボンゴ。
Hさんも笑っている。
が、やがてわけの分からない幸福な感情がこみあげて、
笑っているのに涙があふれてきた。
笑いながら泣いているのであった。
演技は夢のように過ぎて、
鳴りやまない拍手に応えるアリ・ボンゴ。
拍手をしながら泣きじゃくっているHさん、
それを不思議そうに見ているアリ・ボンゴ、
しあわせな出会いがそこにあった。


リチャード・ロス
(Richard Ross 1946〜2001)


金髪の美男子で天才的なテクニック、
リチャード・ロスこそは
神に祝福された最高のマジシャンであった。
だが、誰にも老いがやってくる。
モナコで会ったリチャード・ロスには、
昔日の面影など微塵もないほどであった。
代わりにすっかり温厚な大人になっていて、
一緒にワインを飲んで長い夜を楽しませてくれた。
海外のマジシャンからメールが届いた。
「リチャード・ロス、自宅の庭で花の手入れ中に
 心臓発作で死去」
出会えてよかったよ、私たちのリチャード。

2003-02-19-WED

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