MAGIC
ライフ・イズ・マジック
種ありの人生と、種なしの人生と。

「スロー・ライフ」


僕はジィ〜ッとしていることが大の苦手である。
「小石さんっ、もうチョコマカチョコマカ、
 落ち着かない。子供じゃないんだから」
美人マネージャーに叱られてばかりいる。
だが最近の研究で、そういうタイプの人間は
「多動性症候群」という立派(?)な病気であることが
多いという。
つまり僕は「落ち着きのない人」ではなく、
いたわってもらうべき病人だったのだ。
(実をいうと「多動性症候群」というのは、
 子供にだけ見られる症候らしい。
 だから僕はやはり落ち着かない
 ただのセッカチ男なのかもしれないが)

セッカチのツケは突然にやってきた。
もう去年のことになるが、
生まれて初めて肉離れを経験してしまったのだ。
夜遅く新幹線で東京駅に着いた僕は、
いつものように駅の階段を
タッタカタッタカと一段とばしで昇って
乗換えホームに着いた。
電車は発車寸前、ドアが閉まろうとしていた。
遅れちゃならないソレッとダッシュした瞬間、
右足のふくらはぎに強烈な痛み。
始めは誰かに蹴られたのかと思ったが、
後ろに人がいるはずもない。
電車には駆け込むことができたのだが、
今まで経験したことのない鋭い痛みは増すばかり。
とうとう途中駅で降り、馴染みの指圧の先生に電話した。
いつもと違う僕の声に緊急事態を察してか、
すぐに診てくれることになった。結果は、
「こんなもん、軽〜い肉離れじゃ。
 3日で治しちゃるわい」
さすがその道の達人、みるみる回復してしまった。
心配してくださった方から送っていただいた杖が
届いた頃にはすっかり完治するほどであった。

反省した。
これまで、ゆっくりと歩く人を
押し退けはね退けしてきた自分が、
急に恥ずかしくなってしまった。
肉離れで歩くのが大変だった。
特に階段を降りるのがつらかった。
電車が揺れて右足に体重が掛かると、
悲鳴をあげたいくらいに痛かった。
だが、肉離れは外見では分からない。
ただのノロマな男にしか見えないのだろう、
人は僕をじゃまものにして追い越して行く。
押し退けられはね退けられもする。
因果応報とはこのことである。
これまでの行いのツケを、
お陰様で短い期間ではあったが
たっぷりの痛みとともに支払わなければならなかった。

もうセッカチ男は返上しなければならない。
これからはスロー・ライフを目指そう、
固く誓ったのでありました。
ゆっくりゆっくり人の迷惑にならないよう歩き、
電車が来ていても悠然と見送り、ゆったりと次を待つ。
いつもいつでも「お先にどうぞ」の気持ちで
優雅に生きるのだ。
だが、長い間身についてしまった性分というのは
一朝一夕に変えられないもの。
肉離れが完治してしまうと、
ついつい走るように前へ前へと急いでしまう。
人を押し退けることはさすがにしなくなったものの、
またぞろ電車に飛び乗ってしまう。
なんとも情けない性分である。
そんな性分を少しでも良くするべく、
山で修行することにした。

ちょうど富士山の写真を撮るための
「山登り一泊ツアー」があり、参加することにした。
15人程の人たちと山小屋に一泊して、
朝焼けの富士をフィルムに収めようという計画である。
皆さん三脚にカメラ、交換レンズその他の装備とともに
絶好のポイントを目指す。
腕前よりもカメラよりも、撮影ポイントがすべてなのだ。
ポイントさえ良ければ、
良い写真が撮れたも同然なのだという。
それぞれ皆、自分の三脚を好みのポイントに立てて
場所取りをしておく。
それも夜明け前の2時くらいに起き、
我先にダッシュするのだ。
セッカチな性格を矯正するはずが、
セッカチを今まで以上に
発揮しなければならなくなってしまった。
負けじと走り出て三脚をセットした。
さて、東から薄〜く光が見える頃、
さっそくカメラのファインダーを覗いてみた。
するとなんと、ずいぶん前方に
カメラを構えている人がいる。
ハデな蛍光色のジャケットが
美しい自然の美を破壊せんばかりだ。
う〜む、このままではせっかくの写真が台無しではないか。
怒りを通り越して殺意さえ覚え、
そいつを睨みつけてやった。
と、僕の背中にフト気配が・・・。
後方の数人のカメラマンが、
僕を呪い殺さんばかりに睨んでいたのだった。

カメラを仕舞い三脚をたたみ、僕は山小屋に逃げ帰った。
「おや、ずいぶん早いお帰りで」
ケゲンそうな山小屋の主人にぼやいた。
「山にも激しい競争があったんですね。
 なんか負けてしまいました」
「あっはっは、そうですか。
 皆さん、富士山を見るとつい我を忘れて
 夢中になるんですよ。
 病気みたいなもんですよ。
 これがホントの『フジの病』、あっはっは」
主人の座布団を取りあげる僕でありました。

2002-11-11-MON

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